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プロローグ
骨となった父母の霊前で茫然とし、涙を浮かべていると、背後から包み込むように掬われ、強く抱きしめられた。
うららかな初夏の陽気だった。両親の急死という途方もない悲しみに、石みたいに俺は硬直していた。だが、された抱擁があまりにやさしくてあたたかくて、その腕にしがみつきながら俺は声をあげて泣いた。胸につかえていた堰が外れたかのようだった。
あの時の智明の腕のぬくもりは、十四年経った今でもなお、されているみたいに思い出すことができる。
「よく聞け、聡――――。」
体にまわされた腕の強さよりももっと強い意思の声がして、俺の意識を深く呼び覚ました。後にも先にも、あんなに真剣な智明の声を俺は聞いたことがない。
「これからは二人きりで生きていく。誰に頼ることもできないし、二人で助け合って生きていかなくちゃいけないんだ。そのために約束してほしい」
一言一句、言い含めるように智明はゆっくりと告げた。
「俺の前で絶対に我慢をするな。欲しいものがあれば、なんでもいいから言え。欲しいものがあれば欲しいと伝えろ。俺が困るだろうとか、迷惑かもとか、絶対に考えるな。友達が持っているものでお前だけが持っていないものがあるなら、買ってやるから教えろ。行きたい場所があるなら、連れていってやるから言え。して欲しいと思うことがあれば、なんでもいいから伝えろ。これまでお父さんとお母さんがしてくれたことを、これからは俺がお前にしてやるから」
智明は十七才だった。
一人っ子同士で結婚した両親を持つ俺達に頼れる親族はなく、祖父母はすでに鬼籍に入っているか重度の認知症で老人ホームの世話になっていた。
そんな切羽詰まった状況のなかで、両親を一度に亡くしたたかだか十七の少年が、八歳の弟にどんな気持ちを込めてあんなことを呟いたのか。
自分だって悲しかったに違いない。不安でたまらなかったろう。なのに、幼い俺をもっと不憫に思ってくれての労りだった。
ほどなくして智明は高校を中退し、バイトをかけもちしながら音楽を志した。あの頃にはすでにバンドで成功するとの確信があったという。
智明は強い。今だって最強だ。
強いだけじゃない。天才なのだ。智明は神に選ばれた覇者のような才能がある。
彼は俺にとってのヒーローだった。どんな戦隊もののヒーローよりも明るくて強くてやさしいヒーローだった。
そんな兄に寄り添い、協力する馬車の両輪のように、天高く飛ぶ双頭の鷲のように、共にありたかった。ずっとそう思い、焦がれ、憧れてきた。
なのに。
そんな猶予も与えてくれないほど、智明はたった一人で俺のはるか先を走って。
すでになにもかもを成し遂げてしまっている。
俺はその足元にも及ばなくて。
そんな現実が疎ましくて、歯痒くて、もどかしくて。
その焦りが今も無為に空回りしている。
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