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「アキ! ねえアキってば! なに、泣いてんのよっ?」  腕を掴んで、ゆっさゆっさと起こさる。 「ねえ、ちょっとっ。なにか、怖い夢でも見ているのっ?」  るせえ、起きたくねえんだ。察せよ。  うんざりしながら無視を決め込んだ。こういう頭の軽い女は、本当に、哂いたくなるほどになにも分かっちゃいない。どんなに寂しくて悲しい夢でも、覚めて欲しくないときがあるんだ。そして本当に怖いときには、人間は涙なんか出ない。 「ねえ、起きたら、ってば」  ああ、そっか。セイナが軽いのは頭だけじゃなかった。尻(ケツ)もだ。 (ま、俺も充分、そうだけど)  自虐的思考が小気味良く浮かんだところで、ようやく口をきく気になった。 「黙ってろよ、ブス」  セイナがムスッとしたのが空気で伝わる。 「失礼ねっ。悪夢から起こしてあげたっていうのにっ」  こういう語尾を尖らせる女は大嫌いなのに、どうして俺はこいつと付き合っているんだろう。自分でもよく分からない。  薄目を開ければ、目の前に唇を尖らせた眉のない女がいる。中途半端なレベルのモデルって化粧が落ちるとこんなになる。あやうく茫然としかけた。 「…化粧しろよ」  でも、こんな中途半端な女が俺にはふさわしい…ってことも、残念ながら自覚済みだった。 「なんの夢を見てたのよ」 「兄貴の夢」  目を閉じたら続きが見られるかもしれないと思って、くるりと背を向けて眠りに戻ろうとした。先をゆく夢の塊に追いつこうとして、意識を懸命に走らせる。 「はあ? ――って、トモのぉ? うっそ、まじ?」  奇声をくらって夢の続きを逃した。忌々しさに舌打ちする。 「お兄ちゃんの夢を見て泣くって、なあに? いじめられた記憶とか?」 「違う…。あ…くそ。もっと見たかったのに」  悔しさで眉間に皺を寄せると、呆れた声が降りかかってくる。 「あのさぁ、これ、ちょっとばかり有名な話だけど、アキってほんと、ブラコンだよね」  俺はさらに眉間を狭めた。 「…ふざけんじゃねえ」 「ふざけてないわよ。こないだのライブに行ったミカも言ってた。今回の新曲もエタナにそっくりだったって。めっちゃリスペクト丸出しだったって」 「リスペクトなんかじゃねえよ。俺とあいつは遺伝子がほとんど一緒なんだ。頭から出てくる曲が似てて当たり前だろうが」  内心のチクリとした疚しさに気付かれないよう、正論っぽく言い返した。でも本心じゃない。本当に遺伝子が似ていたら、俺はここまで悩まないですんでいた。 「てか、あんたのはほとんどパクリでしょ」  くっそ、言いやがったな、この女。 「なにもわかっていないくせに、偉そうなことぬかすんじゃねえ、バカ」  地雷を踏まれて腹が立った俺は低く唸り、振り向いてセイナを睨みつけた。 「て。本当のことじゃん」  しれっとした顔が憎たらしい。  別にパクっている訳じゃない。これぞと思いつくメロディーが、こうという歌詞が、たまたま似てしまうだけだ。なぜなら俺がまともに傾聴している音楽といえば、智明がガキのころからかけまくっている洋楽と『エターナル・フェイト』の曲しかないんだから。 「言いがかりもいい加減にしろ」 「だってみんなそう噂してるよ。知らないのはあんただけじゃん」  知ってる。俺にいい噂がないのなんて。  でもそんなのはどうでもいい。他人の噂なんかマジでどうでもいい。究極的には、俺には智明の作り出す音楽さえあればいいんだから。 「出てけよ、どブス」 「は?」  化粧さえすればかなりな美人に化ける顔が、一気に剣呑になる。  「飽きたから。お前とは別れる。バイバイ」  セイナがむくりと起きあがった。俺の被っていた毛布を奪って裸体に巻きつける。おかげでこっちはベッドの上ですっぽんぽんだ。 「なんなのよ、それ」  さらに険しく歪んだ顔に向かって、思いきり嘲ってやった。 「ムキになるなよ。どうせお前だって俺なんか腰掛けのつもりだろ?」 「ひっど。サイテー。あんたね、自分の仕事に図星を刺されたからって醜いわよ、そういうの」  図星、だとよ。偉そうに。 「そういうお前は、なに。俺の次は智明を狙ってんじゃねえの? おあいにくさま。あいつはもっと賢くて美人な女優と付き合ってるよ」 「うっわ、性格悪。信じらんない」  いよいよセイナの顔が般若と化した、その時。  足元のドアが突然すっと開いて、それに気付いたセイナが奇声をあげた。 「きゃあ! な、なによ…?」  慌てまくって、いっそうぐるぐると体に毛布を巻き付ける。ミノムシみたいになった。 「…うるせ」  こういうの、ちょっとした修羅場? 「ごめんなさいね…。急に…」  シャネルの黒シャツにリーバイスのビンテージパンツという奇妙ないでたちで、狭く開けたドアの隙間から智明が顔をのぞかせる。冗談でなく、ハンカチの端を口に噛み締めていた。 「もしかして、最中でした…? お邪魔して本当にすみません…、ほんとに、すみません…。ちょっと、入っていい…?」  おどおどした表情で声を震わせる。邪魔と知りつつ入ってくるとは幼児か。しかし絶妙なタイミングだと俺は喜んだ。 「かまわねえよ。こいつ、今から帰ろうとしてたとこだから」  あからさまに追い出そうとする俺をセイナが鬼の形相で睨みつけてくる。それを軽く無視してニヤリと頬を緩めた。 「もう二度と会いたくねえしな、お互い」  追い打ちをかければ、「信じらんない…」と茫然とした呟きを噛み含みながら、着替えと荷物を抱えてドアへと向かう。 「あら…本当にいいの…? ごめん、ごめんね…」  ドアですれ違いざま、智明はまるで馬鹿の一つ覚えみたいに無駄な深謝をセイナに向かって繰り返す。 「いいんです! アキとはたった今、別れたんで! シャワーと洗面所、借りますね! そうしたら私、勝手に帰らせていただきますんで!」  お邪魔しました! と、プイっと出ていく。
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