傷跡を乗り越える

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 それは残業をしていたときのことだったと思う。終わらない仕事にイライラしていると、同僚が差し入れを持ってきてくれた。すぐ近くで飲んでた帰りだと言う彼はとても酒臭かった。 「明日も仕事だと言うのによく飲むな…」 「なぁに、明日も仕事だから飲むのさ。」  彼はつい先日彼女に振られたばかりだという噂だった。さもありなん、と同情して彼が買ってきてくれたコンビニのサンドイッチを頬張っていると、彼はなぜか俺が食べるのをじっと見つめてくる。 「お前ひょっとして、自分の分を買ってきてないのか?」  彼はなははと変な笑いかたをして、肩をすくめた。 「酒で腹一杯でさ。」 「どんだけ飲んだんだ。」 「お金の許す限り」  そうか、とサンドイッチを食べきってしまう。それで明日の仕事が乗りきれるのだろうか。 「ありがとな、美味しかった。今度お礼するよ。」  そういって仕事に戻ろうとしたが、彼は横のデスクに座ったまま。 「…帰らないのか?」 「なぁに、一緒に帰ろうぜ」 「そうか。」  そのまま無視して仕事してると彼は横で訥々と語り始めた。 「家帰っても独りだし居たたまれないんだよな。あーあ、今夜だれか付き合ってくれないかな。」  案外彼女と同棲してたのかもしれない、と思った。彼女が出ていって寂しいなんて女みたいなやつだな。俺は仕事しながら「待て、あともう少しで終わる。礼はする。」と言った。 「あんがと」  そのときのフッと笑った柔らかな顔が優しげで、俺はなんとなく彼のことが気になり始めた。  それから数十分彼は隣でネクタイを緩めて黙ったままだった。俺の紙をめくる音とボールペンの音だけが響く。 「終わった。」  彼はぱっと顔を輝かす。 「長谷のうち遊びに行っていい?」  のりが高校生だ。 「男と同伴出勤なんて気が重いな。」  長谷こと長谷のぼるは苦笑しながらそういい募るのだった。 「へえ、結構きれいにしてんのね。」  きょろきょろのぞく永野に俺は頭を押さえた。 「みてもいいが周りに言うなよ。気持ち悪がられそうだ。」 「へ?なんで?いいじゃん。」  よくない。全然よくない。永野が俺の部屋に詳しかったら、おかしいだろう。 「おー、こっちリビングか。」 俺は冷蔵庫から茶をとって注いだ。 「酒とかないの?」 「そんなものはない。お前今まで飲んでたんだろう。」  永野は罰が悪そうな顔をすると、黙って茶を飲んだ。 「俺は寝るからあとは好きにしろ」  そういって着替えてベッドに潜り込むとなぜか永野も電気を消して脱いで入ってくる。ベッドは一つしかないし、よく考えたら布団はこれしかない。それでよく泊めようと思ったな、と我ながら思う。 「なー、長谷」 「なんだ。」 「俺ねー、振られちゃった」  俺はそうか、と言う。永野は勝手に俺の腕をとって枕にすると、甘えるように話し続けた。 「超グラマラスで年上のお姉さまだったんだけどねー、子供っぽいのに飽きたって。俺そんな子供っぽいかなー」  俺は「さぁな」といった。一つのベッドに大の男が二人。寝返りも打てない。 「甘えん坊って付き合った女みんなに言われるんだけどねー。俺末っ子だし仕方ないじゃん?」  どうでもいいがこの話しはいつまで続くのだろう。 「寝るぞ」  俺が目を閉じて寝ようとするとすぐそばで吐息を感じた。目を開けると永野の顔があった。なんのようだと言う前に永野に言われた。 「俺がグラマラススレンダーお姉さまだったら長谷は抱く?」 「…何を言っている?」 「俺がぼいんぼいんで腰がきゅっと括れてて、ハスキーな声のお姉さまだったら抱くかどうか聞いてんの」  俺は何を言ってるんだこいつは、と思いながら「どうでもいいが眠い」というと、永野は足を絡めてきた。 「…なんの真似だ」 「しよ。」 「耳を疑う爆弾発言を聞いた気がするが気のせいか?」  するする、と腹のシャツを永野はまくった。俺が慌てた。 「おまっ、馬鹿か!」  彼はキョトン、と俺を見上げると「え、だって…」という。 「長谷ってホモセクシャルティでしょ?」  その晩は一睡もできなかった。いきなり自分の性癖を言い当てられることにもびびったが、とにかく永野の誘いがしつこいのだ。俺は根掘り葉掘り今までの男性経験を聞かれ、最後にセックスしたのはいつかまで詳しく聞かれた。明け方近くになって俺があまりに拒むので、永野が強行手段に打って出た。 「そんなに俺のこといや?嫌なら部屋に男泊めないよね。本当はちょっと期待してたくせに。」  俺はう、と言葉に詰まる。確かにその通りだった。 「オーケーしといて今更、掌返したようにしませんとか。俺のこと馬鹿にしてんの」 「永野は女と別れたばかりだから…」 「ああ、あの女ね。振られたのは事実だけど、俺が次に狙ってるのは君なんだけど」 「職場恋愛とか」 「あーもううるさい。ごちゃごちゃいうな。」  そのまま永野は俺にのし掛かると口付けた。たっぷり唇の感触を楽しんだあと、ニヤリと笑う。 「ほら、拒絶しない」  俺は永野の口づけにくらくらしながら、会社の出勤時間までむさぼりあった。  俺の体には擦過傷の痕がある。軽い火傷や打撲痕は消えたがこれだけはどうしても治らなかった。昔、母さんに虐待された痕だ。父親は今持ってなお、何も知らない。  永野は俺の擦過傷の痕を、丁寧に舐めた。そんなことしたってそこは性感帯ではないのだから、なにも感じない。きれいに舐め終えると俺に口付けて舌を絡めあったあと、「消毒」などといって悪戯っぽく笑うのだった。  その日の会社がきつかった。永野は鼻唄など歌いながら仕事をこなしてるのに、慣れてるな、と思う。昨日永野が座っていたデスクに座ったデスクの主の女性に「やだ、長谷さん目の下隈が出てますよ」といわれた。俺は苦笑してやり過ごした。
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