月虹

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その日もベンチに座ったラナが自分の煙草に火をつけた。ライターを借りようとした僕に顔を近づけ、僕の煙草の先に自分のを触れさせた。 (はや)る鼓動を抑えて息を吸うと、赤い火が僕の煙草に移り、一瞬だけふたりを明るく照らした。 「今日は新月なんだね」 見上げた空には星だけが輝いていた。星座を繋ぐように光を追いかけていると、心臓も呼吸もようやく落ち着いてきた。 「煙草って美容に悪いんでしょ。レモン何個か分のビタミンCが失われるんだって」 「こないだ変な話聞いたの。びっくりするとレモン20個分無くなるって」 「何、それ。ストレス?」 「わかんないけど。煙草より多いって何かウケる」 ラナは煙草を指に挟んだまま、可笑しそうに笑っている。 「夜中のバイトはストレスじゃないの」 「生活と夢のためだから仕方ない。それに海と会えるのは楽しいよ」 あっけらかんとする彼女に、自分にはないものを感じて僕は憧れる。 「夢って?」 「ハワイに行くの。まだ小さい時に日本に来たから、向こうでのことはあんまり覚えてないけど、月虹(げっこう)が見たいんだ」 「月虹?」 「満月の夜に見える虹のこと。見ると幸せになれるって噂だよ」 「ふうん…」 スマホで検索すると、条件が整わないとなかなか見られない現象のようだ。月の光は太陽よりも弱いために白っぽく見えるので、白虹(はっこう)とも呼ばれている。 「すごいね。『先祖の霊が虹の橋を渡って祝福を与えに訪れる』だって」 「うん。ロマンチックでしょ」 「日本でも沖縄とかで観測記録があるんだね」 「沖縄! いいよね。ハワイに似てる」 「確かに」 ハワイから沖縄の話で盛り上がり、気がつくと終電の時間が過ぎていた。 「ごめん。喋りすぎたね」 「大丈夫。歩いても帰れるよ」 ラナは本当に何も怖くないのだろうけど、僕のせいで危険な目に遭わせたくなかった。 「自転車で送るよ」 「地味に違反だけど?」 「煙草吸っといて、今さら何言ってんの。君が心配なんだよ」 「わかった。お願いする」 根負けしたラナは嬉しそうに笑って、僕の自転車の荷台に腰かけた。 夜風が涼しくて、彼女が僕の腰に回した腕の温もりがちょうどいいくらいの心地よさだ。煙草や飲み物と言い、触れあうことには多少ドキドキするのだけど、ふたりとも恋愛感情と言うよりは、何だか家族みたいな絆を感じていた。 きっと、僕も彼女も寂しかったんだと思う。 誰かと言葉を交わしたかったんだ。 大通りから曲がって路地に入ると、急に暗くなったように感じる。 「その先の、市営アパートなんだ」 真夜中だからか窓の灯りはほとんど消えている。ラナは3号棟の入り口で僕の後ろから飛び降りた。 「ありがとう、(かい)」 「お休み。また明日」 無邪気に手を振って階段に消えていく彼女を見送って、僕はまた来た道を戻っていった。友達を作るのは苦手だったのに、ラナのおかげで僕はだいぶ元気を取り戻していた。夏休みが終わったら、彼女がいる教室に一度顔を出してみようか、なんて思えるほどに。
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