オジサンになれるくすり

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 会社のエントランスを抜けると、三基あるエレベーターの一基がちょうど閉まりかけているところだった。  急げば滑り込めそうだ。平嶋(ひらしま)が駆け寄ると、中には先客がいた。五十代くらいの男がスマートフォンを見ている。平嶋の気配に気づき、男は顔を上げた。業務部だったか、とにかく見覚えのある顔だ。平嶋は、男が扉を開けてくれるものと期待した。 「あ」  だが男は再びスマートフォンに目を戻し、扉は平嶋の鼻先で閉じた。 「くそっ、なんだよ……」  上昇していくランプをにらみつけながら、平嶋は乗り場のボタンを連打した。呼び出しに応え、最上階で待機していた別のカゴが降りてくる。それを見ても、平嶋のイライラは収まらなかった。あんなふうに、あからさまに無視するとはなんて奴だ。こっちがペーペーのヒラ社員だから、平気で失礼な態度が取れるのだろう。これだからオッサンは嫌なんだ。  カゴが到着すると、平嶋は階数を指定し、さっさと『閉』ボタンを押した。  そこに足音が聞こえてきた。また誰か出社してきたらしい。ちょっと遅かったな。平嶋は思った。まあ、次のカゴを呼べばいいさ……。  やってきたのは四十代半ばの男だった。悠々とした足取りで、扉が閉まりかかっているのを見ても慌てるようすがない。顔つきは鋭く、なんとなく見覚えのあるような気がして見ていると目が合ってしまった。平嶋は思わず『開』ボタンを押した。  扉が開き、男は会釈して入ってきた。 「おはようございます」 「お、おはようございます」  低い声だが、どこか気安さも感じられる。どうやら、向こうもこちらを知っているらしい。でも誰だっけ? 動きはじめたカゴの中で、平嶋は相手を盗み見た。  この年代の多くの男性のように、男は腹に肉がつき、頭髪も薄くなりかけている。だが身だしなみは整っており、加齢による変化がむしろ貫禄に置き換わって見えた。役員に多いタイプだ。  社員は全員、名前と顔写真の入ったIDカードを身に着けている。平嶋はそっと首を伸ばし、男のカードを見ようとした。……本、ナニ本? 「平嶋さん」  男はふいに口を開いた。ぎくりと動きを止めた平嶋に向きなおる。 「ほんとは、朝礼でまとめて言うつもりだったんですけど。気にされているようなので、先に言っておきますね」  男は、首からさげていたIDカードを平嶋の目の前に差し出した。カードには『三木(みき)(もと) (はるか)』という名前と、ショートカットで目もとの涼し気な女性の顔写真が印刷されている。それは、平嶋が昨年から指導係として担当している後輩社員の名前と顔であった。  平嶋は、カードと男を交互に見た。エレベーターが指定階に到着した。 「み、三木本……さん?」 「はい」  男はうなずくと、エレベーターの扉に手をかけて閉じないようにした。 「私、これからしばらくこの格好で働こうかなって……。あ、平嶋さん、お先にどうぞ」
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