第10話 素直なあなたでいてほしい

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第10話 素直なあなたでいてほしい

 栄太朗は夜の横浜横須賀道路を一路北へ向かって運転していた。腕時計の針は九時を指しており、このままでは自宅への到着が日付が変わる頃になると思い、出発する前に紀子に「残業」で帰りが遅くなる旨の電話を入れておいた。   家事のほとんどをこなしてくれている紀子に嘘をつき続けるのは気が引けるが、さすがに紀子以外の女性とのデートがばれるのはまずいと思い、最後まで嘘で固めることにした。  出発当初、しおんは運転する栄太朗に陽気に話しかけていたが、さすがに疲れたのか、途中から助手席でぐっすりと眠り続けていた。高速道路を下り、料金所へと続く列で待つ間、栄太朗はしおんの寝顔と、キャミソールやミニスカートから惜しげもなく露出している肌を隣から見つめていた。すると、しおんが寝言をいいながら脚を左右に動かし、スカートの隙間から下着が見えてしまっていた。 「や、ヤバい……」  ホテルでしおんと愛し合い、ほぼ出し切ったはずなのに、栄太朗の股間は再び膨らみ始めていた。 「栄太朗さんのスケベ!」  突然、隣から唸るような声が聞こえた。栄太朗はそっと助手席を横目で見ると、ずっと寝ていたはずのしおんはいつの間にかぱっちりと目を開き、腕組みしながら座席に座っていた。驚いた栄太朗は前方へと向き直り、見ていないふりをしようとした。 「ねえ、さっきから見てたでしょ? ここが膨らんでるからわかるわよ」 しおんは片手で栄太朗の股間を撫でまわした。 「アハハハ……しおんさんに嘘はつけないや」 「もう、栄太朗さん。本当にどうしょうもないなあ。でも、そういう所が憎めないし、好きなんだよね」  しおんは呆れた顔でクスクス笑いながら、スカートの裾をぎゅっと押さえていた。そしてその顔は次第に曇り始め、窓を見ながら何かを考えている様子だった。 「どうしたの? 急に黙り込んで」  するとしおんは栄太朗の方に向き直り、着ていたキャミソールの裾を指でひょいとつまみ、スカートとの隙間からちらりとへそを見せながら問いかけた。 「ねえ……栄太朗さんはこういう肌が露出した服、好きなんでしょ。以前、奥さんはもう歳だし体型変わったから、こういう服を着てくれなくなったって言ってたよね。どうしてもっと奥さんにこういう服を着てほしいって言わないの?」 「何というのかなあ……俺からはちょっと言いづらいよ。軽薄でスケベな男だと思われそうで。言ったことが仇となって仲違いするのも嫌だしさ」 「どうして? もっとぶつけたらいいじゃん。私にしてくれたようにさ。奥さんの前で無理に隠し通すの、疲れるでしょ?」 「まあ、それは、その……」 「私、栄太朗さんと話するたびに思っていたんだけど、もっと向き合った方がいいんじゃないかなって。奥さんも、栄太朗さんも」 「え?」 「お互いに好きな物を言い合って、認め合って、気持ちを伝えて、受け入れてあげなくちゃ」  栄太朗に必死に訴えているしおんの横顔は、心なしか寂しそうに見えた。 「……こんなこと言ったら、栄太朗さんが私の元を去って行ってしまうかもしれない。奥さんとよりを戻してしまうかもしれない。その結果、せっかく出会えた心から好きになった人を、みすみす逃すようなことをしてしまうのかもしれない。でも……やっぱり心配になっちゃうんだよね。この人、奥さんと心から話し合い、許し合えたら、もっと幸せな人生を送っていたんじゃないかって」  その後、しばらく車の中に沈黙が続いたが、やがて栄太朗はハンドルを握ったまま、しおんの方を向かずに口を開いた。 「そういうしおんさんはどうなんだよ。彼氏のこと」 「……」 「しおんさんの彼氏への気持ちは、こないだ聞いたから良く分かったよ。でも、それをちゃんと彼氏に伝えたのかい? お互いちゃんと向き合っていかないと、いつまでもしおんさんの心の中でくすぶり続けるだろうし」  しおんは黙り込んでいたが、やがて顔を上げ、顔に垂れ下がった長い髪を掻き分けると苦笑いしながら口を開いた。 「そうだね……私もちゃんと淳史と向き合わなくちゃね。上手くいくかどうか、自信はないけど」  やがて栄太朗の車は料金所を過ぎ、しおんの住む清澄白河が徐々に近づいてきた。 「もうすぐ着くぞ。あっという間だったな、楽しい時間は」 「そうだね……」  道路には沢山の車が行き交い、夜中まで営業している居酒屋やラーメン屋の灯りが通り沿いを明るく照らしていた。やがて清澄白河駅の入口が目に留まると、栄太朗は車をゆっくりと歩道に寄せた。 「ねえ、栄太朗さん」 「何だい」 「タンクトップ、すごくかっこいい。出来るならずっと見ていたい」 「ありがとう。しおんさんのキャミソール、すごく似合ってるし、そんなにきれいな背中を全部見せられたら胸が騒ぎだしてたまらないよ」 「嬉しい」 しおんは栄太朗の肩に手を置くと、唇を重ねた。口中にしおんの甘い吐息と、口紅の香りが広がった。こうして二人で唇を重ねるのは、これでもう最後なんだろうか? いや、心が通い合い、身体を絡め合った二人ならば、いつかまたどこかで会える、どんな時が経っていても心が離れず繋がっていると栄太朗は確信していた。 「じゃあな。彼氏とは、ちゃんと膝を突合せるんだぞ」 「栄太朗さんもね。奥さんにちゃんと自分の気持ちを伝えて、キャミソールを着てもらうんだよ」  二人は固く手を握り合うと、お互いの顔を見て笑い合った。しおんは車から降りると、片手を振って次第に離れていく栄太朗の車を見送っていた。  いつまでも手を振り続けるしおんを、栄太朗は名残惜しそうにずっと見つめ続けながら、車のエンジンを起動した。 「ダーリン」  エンジンの起動音に交じり、かすかにしおんの声が聞こえたような気がした。栄太朗はふりむこうとしたが、その視界の中にしおんの姿を見つけることはできなかった。  夢のような一日は、これが夢であるかのようにあっという間に儚く過ぎ去っていった。
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