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第3話 好きになったキッカケ
栄太朗は血走った目でしおんを見つめ、その手を肩にかけたまま抱きしめていた。真面目なサラリーマン風の栄太朗の突然の行動にしおんは驚いたが、やがて目を細め、口元を開いて微笑み始めた。
それを見て、栄太朗はようやく我に返った。
「俺、一体何をしようと……」
栄太朗はしおんから手を離し、起き上がると、二、三歩後退してその場で膝をつき、土下座を始めた。
「ごめんなさい、俺、しおんさんにとんでもないことをしてしまいました。まだ出会ったばかりなのに、失礼しました!」
床に頭が付く位深々と頭を下げる栄太朗を見て、しおんは立ち上がると、栄太朗の目の前に座った。
「何してるの。興奮しちゃったんでしょ? ハッキリ言いなさいよ」
「でも、いくらなんでもいきなり襲い掛かってはまずいと思いまして」
「襲いたいくらいたまらなかったんでしょ? 私のキャミソール姿を見て」
「……」
「いいんだよ、私、怒ってないから。素直な気持ちを言っていいんだよ」
「は、はい。実は……」
「アハハハ、やっぱりそうなんだ。かわいいね、栄太朗さん」
しおんは白い歯を出して笑いながらそう言うと、冷蔵庫から取り出したアイスコーヒーをコップに注ぎ、栄太朗の元に差し出した。
「はい、これ飲んで。興奮しすぎちゃったんでしょ? 」
「あ、ありがとうございます。いただきます」
栄太朗は両手でコップを持ち、アイスコーヒーをゆっくりと口に注ぎ込んだ。しおんは体育座りの姿勢でその様子をじっと見ていた。
「ねえ、キャミソール、どうしてそんなに好きなの?」
「自分でもわからないんですけど、肩や背中を大きく見せるデザインが、すごくドキドキしてしまうんです」
「そういう気持ちになったのは、何かきっかけがあったの?」
「うーん……昔、小学校の時の臨海学校で、僕の隣の席のチヒロって子がキャミソールを着てきたんですよね。彼女、普段は露出の少ない無難な洋服が多いのに、その時は背中や胸元が大きく開いたデザインのキャミソールを着てきて、それがすごくセクシーで……」
「あー、よくわかる。そういう子どもの時の体験って大きいよね。私がキャミソールを好きなのも、小学生位からだったかも」
「そうなんですか?」
「うん。好きになるきっかけはね……確か、家族で海水浴に行く時に買ってもらったキャミワンピがすっごく可愛かったからだと思う。ひまわり柄で、背中で紐が大きくクロスして。それ以来夏になるとお母さんにキャミソールとかキャミワンピ買ってっておねだりしてたな。大人になってもその嗜好が変わらなくて、気が付いたらこんなにキャミソール持ってたんだ。アハハハ」
しおんの話を聞きながら、栄太朗の胸は再び高鳴りだした。しかし、これでまたしおんを襲い掛かることだけは避けたかった栄太朗は、飲んでいたアイスコーヒーを床に置くと、「じゃあ、これで……」と言って立ち上がった。
「え? 帰っちゃうの?」
「帰っちゃうって……もう遅い時間ですし、家族も心配しますし、その……」
「せっかくお互いキャミソール好きなもの同士出会ったのに、もったいないな、これでお別れじゃ」
しおんは流し目で栄太朗の横顔を覗き込んでいた。栄太朗は後ろ髪がひかれる気持ちになりながらも、首を振って必死にその気持ちを抑えようとした。
「また私に会いたくなったり、キャミソール見たくて我慢できなくなったら、ここに連絡くれるかな?」
しおんは名刺を取り出すと、栄太朗の手にそっと置いた。栄太朗は名刺を見ると、そこには名前と共に都心にある大学病院の名前と、担当科が書いてあった。栄太朗は驚きのあまり、目の前に立つしおんと手にした名刺を見比べてしまった。
「看護師さん……だったんですね」
「うん。でも、その前にちょっとだけ、風俗の仕事をしていたんだよね」
「え? ま、マジで?」
「ホントだよ。でも、お金にはなるけどなかなか指名を取れないし身体ももたなくて、一年位働いて辞めちゃった。さっき一緒だった未由はその時店で一緒だったの。今日は久しぶりに休みが合ったから、一緒に飲んできたんだよね。お揃いのキャミソールで、可愛かったでしょ?」
しおんはそう言うと、金色に近い明るい茶色の長い髪をかき上げてウインクした。
「まあ、お二人ともセクシーだったから、余計にドキドキしました」
「でしょ? 店にいた当時、私達二人は店で一、二を競う位プロポーションが良いって評判だったからね。そんな二人から背中見せつけられたら、普通の男の人でも耐えられなかったかもね。今度未由にも言っておくよ、栄太朗さんがセクシーだって言ってたよって」
栄太朗は照れ笑いすると、立ち上がり、「すみませんでした」と言って深々と一礼した。そして、そのまましおんの顔を見ながら「このことは、女房や子供には内緒で……」とボソッとつぶやいた。しおんは呆れた顔でうなずくと、申し訳なさそうな顔をした栄太朗に向かって言葉を投げかけた。
「奥さん、キャミソールとか着ないの?」
「昔はよく着ていたんですけど、もう歳だし体型も変わったしもう似合わないから着ない、って言っていました」
「そうなんだ。もったいないなあ、こんなに背中や胸が開いて涼しいし、何よりも栄太朗さんの心を繋ぎ止められるのにね。このままじゃ、ここにいるしおんちゃんに心を奪われるかもしれないのに、ね」
「え?」
「あ、何でも無いよ。さ、奥さん心配するだろうから、もう帰って」
「は、はい」
しおんに見送られながら、栄太朗はしおんの部屋を出た。外はすっかり真っ暗で、駅へと続く道を行く人の姿もまばらであった。栄太朗は駅に到着すると、改札を通るためスマートフォンをポケットから取り出そうとしたその時、しおんからもらった名刺がポケットからひらりと舞い落ち、床にこぼれ落ちた。栄太朗は慌てて名刺を拾ったが、その時栄太朗は、名刺の隅に彼女のLINEのアドレスらしきものが手書きで書いてあるのを発見した。
栄太朗は、名刺に書いてあるLINEのアドレスにメッセージを送った。
『今日はありがとうございます。色々ご迷惑をかけてしまいましたが、しおんさんが言ってくれた言葉が、何だかとても温かくて、すごく嬉しかったです』
メッセージを送ると、栄太朗は深呼吸し、改札を通りホームへと駆けあがった。その時、ポケットに仕舞い込んだスマートフォンが激しく振動した。
栄太朗は慌ててスマートフォンを取り出し確認すると、LINEにしおんからの返信が届いていた。
『ありがとう、キャミソールが好きな可愛い栄太朗さん。これからもよろしくね』
栄太朗は文面を読んで思わず赤面しつつも、キャミソールが縁となった新しい出会いに心がときめいた。新婚の時以来、忘れかけていたときめく心をこんな形で再び味わうことになるなんて、夢にも思わなかった。
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