第5話 寂しくないよ

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第5話 寂しくないよ

 埼玉県内の自宅で、栄太朗はいつものようにテレビを見ながらビールを飲んでいた。妻の紀子は洗濯を、長男の慶一郎はタブレットでゲームに興じていた。以前ならばビール缶を手に、テレビを見ながら延々と会社の愚痴を言ったりするのだが、今の栄太朗はそんな下らないことに時間を浪費しようと思わなかった。栄太朗は一本だけビール缶を飲み終えると、ほろ酔いのまま自室に行き、スマートフォンを取り出してLINEを立ち上げた。 『こんばんは、しおんさん。毎日本当に暑いよね。今日もキャミソール着てたのかな?」  栄太朗はメッセージを打ち込み、送信すると、しおんから直ぐ返事が戻ってきた。 『こんばんは。もちろんですよ~。今日着たキャミソールの写真を送ろっか?』  しおんの返事を読むと、栄太朗の胸は急に高鳴った。写真をわざわざ栄太朗のために送ってくれるなんて、しおんは栄太朗の気持ちをとことんまで分かっているように感じた。 『はい、どうですか? 感想聞かせてね』  しおんから送られてきた写真を見た栄太朗は、思わず目が釘付けになった。  胸元が大きく開いた細い紐のキャミソール、しかも丈が短く、ジーンズとの間からちらりとヘソが覗いていた。 『すごい……お腹まで見せて、じっくり見るには刺激が強すぎる』 栄太朗は送られてきた画像に興奮しながら、スマートフォンのボタンを必死に打ち込んだ。 『背中だけじゃなく、お腹も褒めてくれてうれしいな。最近太り気味だったから、がんばってダイエットした甲斐があったかな』  しおんからの返事は、褒められたことへの喜びに満ちていた。 『ねえ、私の写真ばっかり送ってるけど、栄太朗さんの写真も送ってよ。今、どんな恰好してるのかなあ』  栄太朗はしおんの返事を読み、びっくりして両手で自分の着ていた服を触りながら確かめた。今日は蒸し暑いこともあり、背中がすこし広く開いた白のタンクトップに紺色の膝上丈のショートパンツを着ていた。筋肉質ではなくやせ型の栄太朗は、自分の今の服装をしおんに送ったら、さすがに嘲笑されるのではないかと不安になった。 『ちょっと遠慮するよ。人に見せられるものじゃないから』  すると、一分もたたないうちに栄太朗のスマートフォンから着信音が鳴った。 『どうして? 恥ずかしがらなくていいよ。全裸とかじゃないんでしょ?』  最後の下りは思わず笑いそうになったが、このまま返事を送らなかったら本当に全裸だと思われてしまうので、栄太朗はしぶしぶ自分の写真を撮ることにした。せめてくたびれた印象にならないよう、出来る限り背筋を伸ばしながらタンクトップ姿の写真を撮り、しおんに送った。 『……素敵だね。かっこいいじゃん』  数秒後、しおんから返ってきた言葉に、栄太朗は目を丸くして何度も読み返した。しかし、何度画面を見ても、そこには「かっこいい」という言葉がしっかりと書かれていた。 『タンクトップ、すっごく似合ってるよ。マッチョじゃなくても、腕も肩もしっかり肉がついてるから、とてもきれいに着こなしてると思うよ』  しおんの返事を見て、栄太朗はスマートフォンを持つ手が震え始めた。我が家では、妻の紀子からは「そんなだらしない恰好で歩かないでよ」と言われ、息子の慶一郎からは「中年オヤジのタンクトップなんて見たくねえよ」と悪態をつかれているのに。 『ありがとう。まさかそんな風に思ってくれるなんて』  栄太朗は信じられない気持ちのまま、しおんに返事を送った。そして数秒後、しおんから送られた返信には、さらに驚くようなことが書かれていた。 『私、昔からタンクトップが似合う人が大好きなの。今度栄太朗さんのタンクトップ姿を直に見てみたいかも』  栄太朗はさすがにそれは……と思いつつも、タンクトップ姿を褒められて、思わず赤面してしまった。  その後も二人のやりとりは深夜まで続いていた。しおんは洋服のことだけでなく、仕事や友達のことも色々とざっくばらんに話してくれた。しおんは病院勤務だが、自分の身体を触ったり誘惑するような言葉を投げかけてくるエロオヤジの患者がいることや、風俗時代の常連客が、勤務していた店に今でもしおんの連絡先を執拗に聞き出そうとしていることなど、男として耳が痛い話ばかりであった。基本的にしおんは開放的な性格で、自分のことを隠さずありのままに話しているようだ。 『しおんさん、俺……また会いたいよ』 『私も会いたい。また飲みに行きたい』 『ありがとう。じゃ、今度の週末、仕事帰りにどうかな』 『いいよ。その時はまた、キャミソール着て行こうかな。栄太朗さんが私を見てドギマギするところ、また見てみたい』 『だって、しおんさんの胸と背中……すごく綺麗だから』 『嬉しい。褒めてくれるのはもちろんだけど、栄太朗さんが素直な気持ちを見せてくれるのがもっと嬉しい』 『だって俺、好きだもん。キャミソール……たとえ気味悪がられても、やっぱり好きなものは好きだから』 『ありがとう。でも、あまり夢中になりすぎないようにね。あ、それから奥さんやお子さんにはちゃんと予防線張ってくるんだよ。じゃないと、私と栄太朗さん、二度と会えなくなるかもしれないでしょ?』 『そ、そうだね。忠告ありがとう』  栄太朗のメッセージが「既読」を示していたが、その後しおんからは一切返事が来なかった。窓の外からは、花火の炸裂する音が何度も聞こえてきた。栄太朗はカーテンを開けると、そこには無数の花火が夜空一面に広がっていた。 「花火かあ……昔は家族と一緒に見に行ってたけどな」  栄太朗はため息をつきながら花火を見ていた。けれど今年の夏は不思議と寂しさが無かった。妻と子どもがいなくても、心の隙間をしおんが埋めてくれていたからだ。きっとしおんも、同じ花火を遠く離れた自宅から見ているに違いない……そう思いながら、栄太朗は頬杖をつきながら、窓の外で打ちあがる花火をじっと見続けていた。
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