第9話

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第9話

 椅子の背に片方の腕を乗せ、後ろにもたれている彼には全く動じた様子はない。切れ者揃いのマネージャーたちもお手上げだった難題を、たった一人で、一日で解決しようとする彼は、もしかして、とんでもない凄腕エンジニアなんじゃないか?『ディック・グレイは歴戦の猛者』という勇樹の言葉の重みをじわじわ実感し始めていた。  その日の午後、俺は必死に調べた。アメリカの大学の宿題は、日本の大学と比べたら量も納期もエグイが、会社で与えられている持ち時間の短さに比べれば遥かに楽なんだと痛感した。どのルートを辿れば、最短で求める答えに辿り着けるのか? 脳みそが筋肉痛になりそうなほど真剣に考えた。ディックに今日の成果を報告していると、勇樹が打ち合わせを終えて戻ってきた。すかさずディックが立ち上がる。 「勇樹。さっき三人のジャックと、マイナーバージョンアップについて話したよ」 「出荷前で忙しいって、カリカリしてただろ? 何て言ってた」 「見積もりに、もうちょっと追加情報が欲しいって相談された。明日の午後イチには彼らに情報を渡す。明後日の午後……遅くとも明後日中には、まずは見積もりにどれくらいのスケジュールが掛かりそうか、勇樹に報告するって言ってたよ」 「素晴らしい! 助かるよ。副社長が『それで、マイナーバージョンアップは』ってすぐ聞いてくるだろうからな。ジョーカーチームの調査進捗はどうだい?」 「一つ手こずってるけど、後は行けると思う。一つは健司に調べてもらってるけど、彼、なかなか良いよ。彼らと握った予定が変わりそうな場合は、また報告する」 「了解。さすがディックだ。健司のことも頼むよ」  部下たちが力を合わせて全速力で前進していることを確かめ、勇樹は満足そうだ。 夕方になると、勇樹のスマホに電話が掛かって来た。 「ああ、訓志。もうすぐこっちを出るよ。……分かったよ。車に乗り込んだらまた連絡するから。うん、うん」  困ったような彼の後ろ姿を横目に眺め、ディックが耳打ちする。 「この調子じゃ、もう今日は仕事にならないな。僕らも終わりにしよう。勇樹の真のボスは、家にいるんだよ」 決まり悪そうに振り返った勇樹は、いつでも退社する準備ができている俺たちを見て苦笑した。  俺はディックの車に乗せてもらうことになった。意外と言っては失礼かもしれないが、彼の愛車はクラシックなヨーロッパ車だった。表情に出ていたのだろう。彼は少し耳を赤くしながら言い訳のようにもごもごと呟いた。 「僕のイメージと違うってことは分かってる。でも映画や音楽も、ヨーロッパのものが好きなんだ。この車も古いからメンテが大変なんだけど、デザインが好きで」 「格好良い車ですね。すごく素敵な趣味だと思います」  恥じらう彼を励ましてあげたくて、ハッキリ言い切って笑顔を向けると、ディックは嬉しそうにはにかんだ笑顔を返してくれた。  いざ走り出すと信号で勇樹に置いて行かれたが、ナビも付けていないのにディックは慌てる様子もない。 「勇樹の後をついて行かなくても大丈夫ですか?」 「ああ。彼の家には何度も行ってるからね。道は覚えてる」 「仲が良いんですね」
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