自由へ

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 ブラック企業とはよくいうが、尋(ひろし)のいる所は、正に漆黒企業だった。特に就職活動も熱心に行わず、だらだらと研究がてら大学院で実験をおこなっていたが、地味すぎる研究の道にも嫌気がさしていた。 「ま、適当に近所の塾で、アルバイトでもするか。」 これまでも、家庭教師や他の塾でバイトをしたことはあったが、長続きはしなかった。今回も、そんなものだろうと、尋は指定された日時に面接に伺った。 「ぶっちゃけ、いくら欲しいんだ?。」 生徒が来る前の教室で受けた面接で、塾長は野太い声で尋にそういった。 「あ、いや、募集要項に書いてあった額で。」 尋は気後れしながら、どうせ短期だろうと思いつつ、そう答えた。尋の家の近所には別の塾もあったが、今回面接に訪れた此処は、全く知らなかった。妙に片付いていて、何処となく無機質な感じのする建物だった。その日に採用が決まった尋は、翌日から出勤することになった。 「え、これより、ミーティングを行う。」 塾長が教壇の所に座り、これから同僚となる講師達が重々しい表情で座っていた。全く闊達さは無く、指示されたことを淡々と聞くだけの、いわば独演会だった。そして、 「これがシフト表だ。」 と、手渡されたコピー用紙には、縦に細長いマス目に、矢印が幾つも記されていて、その右端にアルファベットが書かれていた。初めはそれが何のことかサッパリ解らなかったが、後に尋達を苦しめる元凶こそが、それであると知ることになる。 「えっと、この小さい数字は時刻かな。」 「それぞれの教室に向かって、其処での授業が終わったら、次の教室にいくんだよ。」 年配の同僚が、シフト表の見方を教えてくれた。 「あ、すいません。」 尋のイニシャルらしき矢印が書かれたシフトは、一日でいくつもの教室に飛んでいるのが解った。一つの教室で授業を終えると、数分で次の教室に向かう。そして、其処での授業を終えると、また別の教室に。そのようなシフトが週単位でビッチリと埋められていた。訳の分からないまま、尋は自転車で指示された教室に向かうと、定められた教材で授業を行った。人にものを説明するのは比較的得意ではあったので、尋はこのバイトを不定期ながらもしばしばやっていたが、此処ほどのシビアさは初めてだった。 「ふーっ、息つく暇も無いな・・。」 そういいながら、尋は自転車で別の教室に向かった。そんなこんなで授業を終えると、今度は、徹底した掃除が待っていた。 「教室の乱れは心の乱れ!。」 ミーティングでもいわれた通りに、尋も慣れない手つきで掃除機をかけたり机の拭き掃除と、細々と掃除を行った。あっちこっち移動した後の掃除は、尋には堪えた。その日、尋は家に帰るとぐったりとしたまま、泥のように眠った。  矢鱈片付いていたのは、そのためだったのかと、尋もすぐに気付いたが、塾長の徹底ぶりは全てに及んだ。コピー一枚するにしても、蓋をキッチリと閉じて、インクが無駄にならないように注意された。日誌の書き方、教材の進め方、ことに空いている時間があろうものなら、かなり叱責された。 「無駄な時間を作るな!。空いている時間にも生徒を呼んで、勉強を教えるように!。」 比較的生真面目な尋は、指示を守るということに対しては、然程抵抗は無かった。現に、日が経つにつれて、各教室を移動しながらの授業も、徹底した掃除も体が慣れてくれば、それなりにこなすことが出来た。ただ、どんなに指示通りに動いても、得もいえぬ威圧感のようなものが、その職場全体を支配していた。 「だから、同僚達の表情は黒曜石のようだったのか・・。」 実は尋には気になっていたことがあった。同僚の殆どが年配者で、尋より若い人は一人だけだった。 「尋先生が来てくれたので、ボク、嬉しいです。」 比較的年齢が近かったこともあって、若い同僚は尋にそういった。 「此処、なかなかキツいですね。」 「ええ。」 尋より年下の同僚は、一つの教室を任されていた。仕事が終わると、彼の教室にいって、二人はいろいろと話しをするようになった。彼も色々あって、この教室に雇われることになったらしいが、聞くと、塾長の下教え子とのことだった。そんな彼が任されている教室は、子供達が沢山やって来て、大変活気があった。教室長の目が光ってないということもあってか、尋はその教室にいって授業をするのが楽しかった。生徒ともざっくばらんに語り合う同僚のスタイルだからこその人気なのだろう。年配の同僚は、何処となく打拉がれたように仕事をこなしているだけだったが、彼はまだ若いし、夢も希望も抱いていた。 「ゆくゆくは、自分の教室を持ちたいです。」 確かに、こんなキツい状況の中で何年も過ごすのはどうかと、尋も思っていた。シフト表と称してはいるが、要は自分達が駒として動かされているに過ぎない、その現れこそがそれであった。授業自体にも、何教室を移動するのも、別に問題では無い。ただ、その労力の末に報われるものが何かを考えた時、尋の脳裏には、常に拭えぬ違和感が湧くようになった。  何ヶ月か経つと、尋も新設の小さな教室を任されるようになった。重苦しいミーティングの後は、其処が別天地にも思えたが、塾長からの指示の電話は容赦成しにかかってきた。 「生徒の月謝がまだ出てないぞ!。」 特に、金の催促は凄まじかった。ヤミ金の取りたて屋さながらであった。体こそ慣れてはきたが、今度は精神が軋みを上げていた。隙間無く詰め込まれたシフト、その完遂が成されているかどうかのチェック、極力少ない休み。何より、給与の低さはそれらを遥かに凌駕していたが、逆にそのことを面接の際に申し出たのは尋だった。 「薄給を理由に、何時でも辞めれるしな・・。」 そんな風に思ってはいたが、状況は尋の思うようには進まなかった。同期入社の同僚が、子供達からの評判が極力悪いとのことで、どんどんシフトが減らされていったのだ。 「尋先生、すまんが代わりに授業に入ってくれ。」 塾長から突然頼まれることもしばしばとなり、ついには、専任講師で採用された同僚と、バイトで採用された尋のシフト数は逆転してしまった。その分、本当に些細ではあったが、給料はアップした。しかし、尋の負担を補うにはほど遠い額だった。ペイに比例せずに労働量だけが次第に増していった。もう辞め時かと思っていたその時、 「某塾から、こちらに合併したい旨の連絡があったそうですよ。」 と、同僚が尋にいってきた。その塾は、尋がまだ学生だった頃から既にあって、その地域ではナンバーワンの人気を誇っていた。つい先日も前を通った時、大勢の生徒が自転車で通っているのを見かけたところだった。それが一体、何故?。尋は不思議に思った。後日、 「えー、この度、新たに教室を合併することになった。」 ミーティングで塾長がそういうと、新たな講師が紹介された。昨日まで某塾で教鞭を執っていた講師達だった。そして、生徒も引きつれてきたことで、尋のいる塾は、たちまち地域で一番の巨大な教室になった。 「あ、よろしくお願いします。」 「こちらこそ。」 新しく加わった年配の講師は、一見強面に見えたが。物腰の柔らかい気さくな人物だった。尋もすぐに打ち解けて、他のメンバー共々、これまでとは異なる、華やかで楽しい職場になろうとしていた。それにしても、何故、急に合併の話がと、尋は不思議に思ったが、聞くところによると、どうやらお家騒動的なことが起きたらしかった。塾業界では、この手の話は枚挙に暇がない。今回も、そんな一端のようであった。実は古参の同僚も、数年前に白旗を振って此処にやって来たとのことだった。塾長は後発組ながら、強かにしぶとい戦略で、他を追い落とすのでは無く、相手から崩れ落ちるのを待っていたのだった。その辺りの様相は、塾長の仕事ぶりからも窺えた。指示の徹底、コスト意識、素早い判断。尋は端で見ていて嫌気こそ差してはいたが、その徹底ぶりは、これまで勤めた他のどの塾にも無い姿勢だった。そういう堅実さが、経営的に生き残る秘訣でもあるのだと、尋は考えるようになった。  和気藹々とした雰囲気が、尋達の職場にも訪れつつあったが、そのことを嫌ってか、あるいは警戒してか、塾長だけは決して油断していなかった。そして、初めこそ対等な合併のようにいってはいたが、気がつけば新しい同僚達も、例のシフト表によって、雁字搦めにされていた。 「尋さん、この表、何?。サッパリ訳が分からないです。」 早々、音を上げそうになっていた強面の同僚に、 「いや、じきに慣れますから。」 と、慰めともつかない言葉を、尋は毎回かけていた。その後、他にも新たに講師を迎えたり、別教室をまた合併するなど、尋のいた塾はとどまるところを知らない状態になっていった。これまでの教室では生徒が収まりきらなかったので、近くにあった大きな物件を借りて、表通りに大教室を作り、其処の教室を若手に任せるなどの、大胆な策にも打って出た。尋は任されていた小さな教室を外されて、全教室を巡回しながらサポートをする立場になっていた。尋にとっては、その方が気が楽ではあった。何より、塾長からの金の催促の電話を受けずに済むからだった。 「大所帯になってきましたね。」 尋は強面の同僚にいった。すると、 「それがね、尋さん。これだけ大きくなったんだから、もっと攻めましょうって塾長にいったら、これ位の数が丁度いいんだって。」 「え?、それはどういう・・、」 「これ位の方がグリップ感があるって。」 それは、何気ない言葉のようだったが、現状と、そして、この先を見据えた、全てを包括する言葉だった。どんなに組織が大きくなっても、それはわが手中にある、そして、其処から得られる富も、輪が手中に。 「塾長はいいかも知れないが、この規模では、我々まで利益が回ってこないんだけどな。」 強面の講師は、そういいながら、溜息をついた。しかし、目の奥底に何か光るものがあるのを、尋は見逃さなかった。  いよいよ勢い付いてきた尋の職場は盛況であったが、ホクホク顔の塾長は、さらにワンマンぶりを発揮していった。そんな最中、尋はとあるトラブルに見舞われた。強面の講師がこちらへ来る前に、別に自身の教室を経営していたが、其処へ誰かが手伝いいく必要があった。其処はかなり遠い場所だったため、誰もがいくのを拒んだが、 「じゃあ、ボクがいきます。」 と、尋が名乗り出た。塾長の圧政下で働き続けるのに嫌気が差した尋が、例え遠くても息抜きが出来るのならと、考えてのことだった。 「そうか、いってくれるか。」 人選に悩んでいた塾長は、これ幸いにと喜んで尋を見送った。そして、尋が赴任した先は、 「うわあ、これは酷いなあ・・。」 と、思わず声を上げるような状況だった。大手塾から譲り受けたその教室は、かなり荒んでいた。どうやら、前任者の独立騒動で、生徒がかなり引き抜かれて、生徒数は歯抜けの状態で、かなりズタボロだった。週に二回程度の援護で頼まれたシフトだったが、流石にこの状況は、根本的な梃子入れが必要と、尋は感じた。そして、そのことを塾長に告げようと思った矢先、 「戻って来てくれ。」 と、突然のシフト変更が尋に告げられた。職場での人員不足が一時的に深刻になったのが原因だった。いってくれと頼まれたのも束の間、今度は急に戻れとの指示に、一度は腹を括った尋も、気持ちの整理が付かなかった。 「いや、あの状況では、あちらに力を注ぐ必要があります。」 尋がそういうと、 「オレのいうことが聞けないのか!。じゃあ、出ていけ!。」 瞬時にして、尋の解雇が決まった。瞬間湯沸かし器の機能が遅延に見えるほどの速さだった。強面の講師は申し訳なさそうに尋に詫びたが、 「いえ、あちらを何とかする必要があるのは本当ですから。」 と、結局は遠い教室に通い続けることとなった。すると今度は、 「此処の教室は、我々の看板の元で仕事を行ってもらう必要がある。」 と、譲り受けていたはずの教室が、実はまだ大手塾の傘下にあることが判明した。新たなやり方で改革をしようにも、大手本社がそれを悉く拒否してきた。ただでさえ独立騒動で傾いているのに、何の手も打ってはいけないとは、見殺し同然だった。しかし、 「ま、上がギャーギャー騒ごうが、こっちはこっちで粛々とやるか。」 尋は自身が考える改革案に着手した。新たな教材を印刷して、定められたシステムを無視しながら、尋は作業や授業を淡々と続けた。本部直属の視察の社員が来ても、 「作業の邪魔だから、さ、帰った帰った。」 と、あっさりと追い返した。終いには、会長と称する人物自らが乗り出してきて、尋に会いに来た。 「キミは一体、どういうつもりだ?。」 尋の品定めを兼ねて、会長は不機嫌そうにたずねてきた。すると、 「会長、申し訳無いが、ワタシはあの方にクビになったのを拾われて、此処で仕事をしているだけです。なので、あの方には恩義はあるが、アナタのために尽くすつもりは毛頭無いです。」 と、強面の講師のことは思いつつも、大概の状況に嫌気が差していた尋は、キッパリと答えた。これで全てがおじゃんに出来るなら、それもいいだろうと。ところが、 「それでいいじゃないか。彼はワタシにとっても大切な人物だ。じゃあ、引き続き頼むよ。」 と、会長はニコッと笑って、そのまま帰っていった。どうやら、尋は気に入られたようだった。正直、多少はホッとした尋だったが、その反発ぶりが本社で不評を買い、結局、尋はその教室を追われることとなった。 「ゴメンね、尋先生。また別の教室があるから、今度はそっちを頼むよ。」 と、相変わらず強面の講師は、不思議なぐらいに次の教室を用意はしてくれた。ただ、いく先々、どの教室も経営状態が不安定で、またもや閉校となった。そして、最後に任された教室は、さらに酷いものだった。生徒が大騒ぎするのに、授業中の講師はそれを諫めることすらしていなかった。 「え?、此処を任されるのか・・。」 尋も最初は驚いたが、これでは最短記録でお終いになるのが見えていた。尋は着任早々、置き土産とばかりに、 「おい、そこ、騒ぐな!。」 と、生徒を叱った。すると、 「お前が邪魔するから、書くところ間違っただろ!。」 と、逆に生徒がノートの書く場所を間違えたと、クレームをいってきた。その時、 「プチン。」 と、尋の頭の中で小さな音がした。と、次の瞬間、 「ガシャーン!。」 尋は生徒目掛けて教卓を投げていた。教室は一瞬で静かになった。すると、 「さ、授業を始めようか。」 と、尋は淡々と授業をおこなった。荒れる生徒に手をこまねいていた講師達も、尋のその一件以来、生徒がいうことを聞くようになり、授業がやり易くなった。それでも、生徒数や教室の立地条件、家賃や経費云々で、経営が火の車だったその教室を、強面の講師も早く手放したいようだった。尋もその判断については賛成ではあった。ところが、 「この教室を閉めないで下さい。」 其処で長く講師を務めていた人物からの、達ての願いだった。  結局、尋は強面の講師と話をし、尋がその教室を買い取ることにした。別に自身が経営に興味があるとか、そういうことでは無かった。件の講師が、教室の存続を強く願ったことと、尋自身、消えゆく教室ばかりを見て来て、 「ちゃんと残る教室も、見てみたいしな・・。」 という部分もあり、家賃の安い新たな物件と、新教室の改装費を借りられるかという二つのミッションを同時にこなすことになった。日程はギリギリで、資金繰りは極めて厳しかったが、何とか教室の存続は決まった。尋が代表となり、存続を願った講師が教室長の体制で臨むことになったその教室は、規模は小さいながらも、真新しい内装で、気分は一新された。 「これが、自分の教室かあ・・。」 尋は得もいえぬ感慨に浸ったが、そんな気持ちも束の間、初めての経営者が陥る、雇用という重責にみまわれた。給与が滞ったらどうしようと、尋は眠れぬ夜が何日も続いた。今まで薄給でも貰うだけの立場だったのが、今度は従業員に対して責任が常について回った。 「ダメだったら潰れるだけだし、でも、今はただ、やるしかない。」 尋は気持ちを切り替えて、経営に挑んだ。幸い、みんなの真剣なやり様もあって、給与を滞らせることもなく、尋の教室は何とか順調に起動した。しかし、反対に、例の強面の講師は自身の懐事情がかなり危うい状態なっているようだと、尋は小耳に挟んだ。彼は例のワンマン塾長のもとで働いてはいたが、再三の経営失敗が嵩んで、首が回らない状態らしかった。そこで尋は、自身をクビにして追い出したそのワンマン塾長のところに出向いて、 「その節は、どうもすみませんでした。あの方が何かと困っているようなので、どうか助けてあげて下さい。」 と、頭を下げにいった。自身のされたことはともかく、自分が世話になった人のために頭を下げるのは、全く苦ではなかった。すると、 「こちらこそ、あのときはすみませんでした。」 と、珍しく、塾長も尋に頭を下げたのだった。そして、強面の講師の件は協力する旨を述べた後、 「ところで、キミは今、どうしてる?。よかったら、戻って来て此処を手伝ってくれないか?。」 と、驚きの申し出が飛び出した。今自身がやっている教室のこともあるが、其処からの利益だけでは自分の給与が十分に得られないこともあり、尋はその申し出を受けることにした。  尋は、自営と雇われの二足のわらじで古巣に戻りつつ、みんなをサポートするようになった。そして、経営も安定して来た頃に、塾長は事あるごとに自身の引退を口にする様になった。尋は話半分で聞いていたが、他の講師達はそのことを真に受けていた。それから程なく、 「ワタシは引退して、此処を会社組織化する。ひいては、彼に社長を務めてもらうようにする。」 と、強面の講師と、新たに連れてきた塾長の友人が経営を任されることになった。これで自由度はいっそう上がると、同僚達は喜んだが、尋は油断しなかった。そして、案の定、任されたはずの会社から、貸付金の名目で、塾長がドンドン利益を吸い上げていった。当然、会社は立ちゆかなくなり、それに業を煮やした塾長が、 「このまま任せる訳にはいかないから、戻る!。」 と、電撃復帰をしてきた。その際、擦った揉んだで罵声を浴びせられた強面の講師は、当然このまま引き下がるはずも無く、 「尋さん。ボクは、やってやろうと思うんだ。」 と、造反の動きを見せ始めた。ワンマン塾長の醜態には、もうみんな、うんざりしていた。決起の動きは急速に行われ、いよいよという時、気負った強面の講師は辛抱たまらず、勇み足で、塾長と直接対峙をしてしまった。結果は勿論、あえなく玉砕。彼はすぐに追い出され、その後、塾長による造反容疑者の尋問が行われた。まるで証拠を掴んでいるかのように詰め寄る塾長に対し、 「そう思われるなら、それはワタシの至らなさです。好きなようにご沙汰下さい。」 と、尋は全く悪びれずに淡々と述べた。それには塾長もたじろいだが、これ以上騒ぎを大きくしたくないとの思惑で、以後は残ることにした講師陣に対してもお咎めも無く、 「残ってくれて、どうも有り難う。」 と、珍しく感謝の言葉を述べた。それからは新体制というか、旧体制に逆戻りというか、再び塾長の采配で教室運営が行われるようになった。そして、あの時述べた感謝の言葉は、その舌の根も乾かぬうちに、覆されることとなった。自身は一端引退したのを、無理矢理仕事に顔を出しているといわんばかりに、 「ボクはボランティアで仕事をしてるんだ!。」 と、ミーティングの際に口にする有り様だった。尋は彼にそんな言葉を吐かせた自身を恥じた。 「そうだ。自由の方へいこう。」 そして数日後、尋は守銭奴の醜悪の息のかからぬ所へと去っていった。
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