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読書 まだひとごとでは読めない物語
こちらは、2023本屋大賞受賞作「汝、星のごとく」ネタバレが入りますので、ご了承の上お進みください。
テレビで、池上先生がおっしゃっていた。おじさんが社会を回す時代はおしまいにして、若い世代、女性に任せないと日本は老後に入ってしまうと。
SNSで回ってきた、あるジブリ映画で指摘されたシーンについての加藤登紀子さんの粋な回答。変えようにも変えづらい、そんな閉鎖された空間を解き放つヒントになるような気がした。
本作に出てくる瞳子さんのように、暁海より軽やかにしなやかに、愚かと諦めを上手に取り入れながら、自分の欲しいものを手に入れる。何かに属さなければいけないのなら、その属性は自分が決める。
だがその覚悟は私はまだ持ってはいけない。今の属性が、今生きていく上では必要だから。
その属性が自分にとってそぐわないと覚悟を決める時へ向けて、北原先生や瞳子さん、池上先生や加藤登紀子さんのような哲学を、少しずつ落とし込んでいかなければならない。
人はとかく自分の苦労を語りたい生き物である。「君なんてまだまだ、私なんてもっと大変だったんだから」マウントに何百回と遭遇してきたが、小さい島国日本、その中のさらに小さい居住区域、閉鎖空間ならではの特殊なガラパゴス理論だったりするのだろうか。
だが、人は同時に思うのだ。「大丈夫、あの人よりは酷くない」と。
苦労を自慢したい表の顔と本当の苦労はしたくない裏の顔。人の二面性に、私は何度裏切られてきただろうか。私自身の二面性に何度翻弄されてきただろうか。
本作を読んで、私はどちらの顔も削られた。どの顔も私の中にあったものだから、とてもきつかった。暫く二回目は読みたくないとさえ思った。
まだ物語として読めない。終章へいくにつれたしかにストーリーは柔らかさを含んでいくように見えるけれど、ホラー映画のエンディングのように、まだ終わらなさそうな仄暗さを孕んでいて、それがまるで自分の近い将来を示しているようで、怖い。
それは、今まさに私が直面し、過去に向き合ったものばかりだったからだ。
寄りかかる母親、女の元へ逃げた父親、自由になれない自分に言い訳ばかりしている女子高生。近くに甘えられる人がいるからいつまでも自立できない女、結局親とお金のせいにして、いつまでも何かから逃げられない自分。
分かってはいたし、はじめはそういうつもりじゃなかったし、こうなるはずじゃなかった。だけど、やっぱり結果こうなってしまう。そんなの言い訳だ、一念発起して心を入れ替えて生き直せという正論で殴られても、麻痺した頭と身体は思うように動かない。
帰る島だとか、見上げる星だとか、軽やかな生き方だとか、踏ん張れと握ってくれる若い男の手だとか、そんなしるべはなく、代わりにあるのは、未成人を養育する責任と、返さなければいけない借金と、それを隠し通すのに重ねた嘘だ。
ふがいない? ああそうだ。自分はどうせふがいないまま生きていくのだ。ほっといてくれ。とは言うものの、いざ一人で死ぬとなったら怖いのだ。面倒くさい私。
自分で選べる互助会なんて、そうそうあるものじゃない。
この物語は、互助会が主人公ふたりのしるべとなり、生きる場所死ぬ場所を与えられたけれど、私はまだ物語を終えられていない。私には互助会がないから。
正直、日々を生きるのは大変ではない、仕事もあるし生活費に困ってはいないし屋根の下で眠れている。そのぬるま湯から出ずに決断しないのは、私の昔からの悪癖だと本作に言われた気がして、ショックなのだ。
だから、怖くてここで吐き出している。
これは戒めの本だ。暫く二回目は読めないと冒頭で述べたが、私は、何度も読まないといけない。
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