72人が本棚に入れています
本棚に追加
/96ページ
スルーかよ、とまたもや苛ついた私だったが、はたと彼の言葉を反芻した。
(側妃って言った? つまり、第二夫人とか第三夫人とか?)
「まんざらでもなさそうだな」
グレゴールは、にやりと笑った。間近で見ると、彼も相当端正なイケメンだ。肌は浅黒く、眉は濃く、目鼻立ちのくっきりしたワイルドな顔立ちである。
「クリスティアン殿下は、現在十七歳であらせられるが、三ヶ月後に他国の姫君との結婚を控えられている。だからこそ、早く病をお治ししないといけないのだが……。ところが姫君はお体が弱く、お子を成せない可能性があるのだ。もしも側妃として殿下のご寵愛を受け、お子をもうけることができれば、こんな名誉なことはなかろう?」
私は、忙しく頭を巡らせた。二十歳過ぎとばかり思っていた王子が、まだ十七歳とは。私より五つも年下だが、それはこの際、いい。正室に子供ができなくて、跡継ぎを産んだ側室が権力を持つというのも、歴史ドラマで観たことがあるし。とはいえ、即答すると値打ちが下がるだろう。私は、首をかしげて悩む風を見せた。
「ええ~、でも、私なんかぁ。王子様よりも年上だし、全然可愛くもないのに、無理ですよぉ」
グレゴールは、とたんに私の顎をパッと放した。
「そうか。自信が無いなら結構」
「――はい?」
私は、目をぱちぱちさせた。まさか、真に受けたのだろうか。だがグレゴールは、本当に踵を返した。
「チャンスをやろうかと思ったのに、残念だな。あいにく、異世界から召喚した者を元の世界へ返す手段は、見つかっていない。クリスティアン殿下は、お前の処分を俺に任せたと仰った。仕方ない、娼館にでも売り飛ばし……」
「待って、待ってください!!」
私は、大慌てでグレゴールにすがった。何というのかわからない、彼の着ている丈の長い上着の裾を、ちょんと摘まむ。
「側妃、目指します。私でよければ!」
「やれやれ。やっとその気になったか」
グレゴールは、再び私の方を向き直った。
「お前はクリスティアン殿下が気に入らないようだが、この際そんなことを言っている場合ではないとわかったか」
「気に入らない? いえ、そんな!」
どうしてそう思われたのだろう、と私は不思議に思った。グレゴールが、眉をひそめる。
「ならば、なぜ殿下のお体に触れるような真似をした? あれは、嫌いな男に取る態度だぞ」
「えええ!? そうなんですか? この世界では?」
私は、仰天した。彼の身分が高いから、ではなかったのか。日本とは、まるで逆ではないか。
「お前のいた世界では違うのか? じゃあ、俺のことも嫌いではないということか」
グレゴールは、くすりと笑うと、自分の上着の裾に視線を走らせた。そこを握りしめていたことに気づき、私は慌てて手を放した。
(異世界だから、価値観が違う、とか……?)
『小首かしげテク』が通じなかったのも、『困ったアピール』に皆が無反応だったのも、それならば納得できる気がした。
「お前は、色々と矯正する必要がありそうだな」
グレゴールも同じことを考えたのか、ため息をついた。
「しばらく俺の家に住んで、特訓するがよい。言動を改めて、妃にふさわしい女性になるのだ。どのみち、この世界について学ばねばならないだろう?」
「あなたの家、ですか」
私は、グレゴールをチラリと見上げた。そういえば、彼が何者なのか、私はまだ知らされていない。クリスティアンとのやり取りからして、ある程度地位の高い人間だろう、ということは想像がつくけれど。
「グレゴール・ハイネマンだ。このイルディリア王国の宰相を務めさせていただいている」
私の疑問に気づいたのか、グレゴールはあっさりと自己紹介した。
「姉が未婚で、まだ家にいるから、彼女から色々と教わるとよい」
お姉さんが一緒なら、危険なこともないかな、と私は判断した。というより、断ったら娼館行きだ。
「北山春香といいます。よろしくお願いします」
「では、ハルカ。早速、特訓の始まりだ」
グレゴールは、にっこりと笑った。それまで怖い顔つきだっただけに、私はほっとした。それに、イケメンの笑顔は破壊力がある。だが彼は、こう続けたのだった。
「取りあえず、その首を傾ける仕草は止めろ。紛らわしくて、イライラする」
最初のコメントを投稿しよう!