第二章 あざかわテクは全滅みたい

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 脱力していると、不意に低い笑い声が響き渡った。グレゴールだ。 「ヘルマン。ハルカのいた異世界は、こちらとはかなり風習が異なるようなのだ。おかしな振る舞いも多いとは思うが、大目に見てやってくれ」  グレゴールは、労るようにヘルマンに声をかけている。私はムッとした。 (何よ。おかしいのは、あんたらの方でしょ……)  とは言っても、ここのやり方に合わせないことには、始まらない。失敗すれば、側妃どころか娼館行きだ。『小首かしげテク』と上目遣いは封印、と私は心にメモした。 「ではハルカ、あとはヘルマンに案内してもらってくれ」  言いたいことだけ言うと、グレゴールはさっさと姿を消した。仕方なく私は、ヘルマンに従った。  ヘルマンは、屋敷内を案内しながら、イルディリア王国について説明してくれた。  現国王は、アウグスト五世というが、なかなか男児に恵まれなかったのだとか。この国は男子にしか王位継承権が無いため焦っていたところ、ようやくクリスティアンが産まれたのだという。  クリスティアンの婚約相手・マルガレータは、ロスキラという隣国の王女だそうだ。イルディリアとロスキラは、長らく敵対関係にあったが、この婚姻を機に、同盟を結ぶのだという。 (そういう事情じゃ、正妃狙いは難しそうね。でも、側妃ならきっとなれるわ)  私は、内心意気込んだ。価値観の違いを知らなかったせいで、初対面では悪印象を与えてしまったが、私の魅力を持ってすれば王子だってゲットできるだろう。元の世界に帰れないなら、ここで頑張るしかないのだ。  それに、クリスティアンは、増田さんに似ている。正直、タイプだった。 (増田さんにはふられたけど、今度は挽回するわ……!) 大きく頷いていると、ヘルマンは、今度はハイネマン家について説明し始めた。王室とは遠戚関係にある、由緒ある公爵家で、当主は代々、王太子の教育係を務めるのだという。 (公爵って、公、侯、伯、子、男でトップじゃなかったっけ?)  私は、おぼろげな記憶をたどった。結構すごい家に来ちゃったのではないか。おまけにヘルマンは、こう続けた。 「グレゴール様は、まだ二十八歳でいらっしゃいますが、ご両親が早くに他界されたため、ハイネマン家のご当主を務められています。国王陛下、王太子殿下からのご信頼も、たいそう厚いのですよ」 「二十八歳!?」  意外と若いんだな、と私はびっくりした。その年齢で宰相とは、かなりやり手なのだろう。 (偉そうな奴だけどさ……) 「そのようなわけで、グレゴール様はお忙しいため、私が代わりに領地に赴くことも多々ございます。ですが私不在の際でも、他の使用人たちに、何なりとお申し付けくださいね」  家令とは、執事よりも大変な存在らしい。私は、神妙に礼を述べたのだった。  一通り屋敷内を案内してくれた後、ヘルマンは私をこぢんまりした部屋へ連れて行った。 「こちらがハルカ様のお部屋でございます。生活に必要なものは早急にそろえますので、少しだけお待ちくださいね」 「ありがとうございます。お手数をおかけします」  私は、丁重に礼を述べた。 「それからお召し物ですが、ご用意できるまでの間は、メルセデス様のものを着ていただきます。申し訳ありませんが」 「メルセデス様?」 「グレゴール様の、姉君でいらっしゃいます」  同居しているという姉か。ヘルマンが、熱弁を振るう。 「メルセデス様は、社交界一の美女と誉れ高い上に、知性、品性、教養いずれも完璧でいらっしゃいます。もう、引く手あまたと言いますか」  それでグレゴールは、姉から教われと言っていたのかな、と私は思い出した。 (あれ、でもグレゴール様が二十八歳ということは、お姉さんてアラサーじゃないの?)  それなのに未婚で、実家に居るのか。本当に引く手あまたなのかな、と私は疑問に思った。このヘルマン、話を盛ってやしないか。 「おお、噂をすれば! メルセデス様、こちらがハルカ様です」  ヘルマンが、突如華やいだ声を上げる。私は、慌てて振り返った。  すらりとしたスレンダーな女性が、こちらへやって来る。長い銀色の髪を無造作に結い上げた、落ち着いた雰囲気の女性だった。顔立ちはグレゴールによく似て、目鼻立ちがくっきりしている。確かに美人と言われればそうなのだが、化粧気は皆無だ。案外地味だな、と私は密かに思った。 「初めまして。ハルカと申します。こちらでお世話になります」 「ああ、グレゴールの計画に協力してくれるという?」 「計画?」  思わず聞き返せば、ヘルマンは焦った素振りをした。 「メルセデス様、その件はハルカ様には……」 「そうだったの?」  一瞬、しまったという表情を浮かべたものの、メルセデスはすぐに笑顔になった。 「グレゴールの姉のメルセデスです。三十一歳よ。あなたは?」 「……二十二、ですが」  『計画』という言葉や、いきなり年齢を告げられたことに戸惑いつつも、取りあえず私は答えた。 (やっぱり、アラサーか……)  よく見れば、グレゴールと同じ黒色の瞳の周囲には、微かな小じわも見える。だが、ここは見ないふりでお世辞を言っておこう。私は、ことさらにトーンの高い声を上げた。 「でもメルセデス様、三十一歳にはとても見えませんね。お若いです!」  ところがその瞬間、メルセデスはピキン、と音がしそうな勢いで顔を引き攣らせた。
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