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第十三章 領地巡りのその後は
こうして結婚が決まったとはいえ、私の生活は、以前と大して変わらなかった。
グレゴールが多忙すぎるせいで、結婚式は、少なくとも二ヶ月は先だと言われたのだ。戦争を早期終結させた功績を評価された彼は、宰相の役職に加えて、これまでベネディクトが担っていた軍部の指揮統括も任されることになったのである。
とはいえ私たちは、もう夫婦とみなされている。グレゴールは、電光石火の早業で、婚姻許可証を取って来たのである。何か不正でもしたのではないかと、思わず疑惑の眼差しを向けたくらいだ。
そして、メルセデスや屋敷の使用人たちは、こぞって祝福してくれた。
「ようやく、この日が来たのねえ! 嬉しいわ」
特にメルセデスは、狂喜乱舞した。
「ずっと、ハルカが妹になってくれたら、と思っていたのよ。でも、こればかりは当人同士の問題ですからねえ。あまり強引な口出しもできないし。かといって、婉曲に言ってもハルカは通じないときたし!」
「え、何か仰ってました?」
私は、きょとんとした。ほらそれよ、とメルセデスがため息をつく。
「側妃と仕事以外の道も考慮に入れる気は無い? って言ったじゃない」
「あ~……」
そういう意味だったのか、と私はようやく合点した。メルセデスが、口を尖らせる。
「グレゴールの方も、焦れったいったらなかったわ。ハルカを好きなのは、傍から見てもバレバレなのに」
「――そうでした!?」
そうよ、とメルセデスが頷く。
「だって、ハルカがこの家に来てから、グレゴールは笑顔が増えたわ」
言われてみれば、彼は私によく笑顔を向けてくれる気もする。舞踏会で他人と喋っていた際は、クールな表情を崩さなかったのに。
「ちなみに、ヘルマンもハイジも、使用人たちはみーんな知ってましたからね」
メルセデスは、クスッと笑った。
「それなのに当の本人たちはちっとも進展しないから、イライラしたわ。いっそ、媚薬でも盛ろうかと思ったもの」
「……いえ、それ、エマヌエル様と同じになっちゃいますから」
私は、苦笑した。
「まあ、何はともあれ、よかったわ。ハルカ、幸せになってね?」
「ありがとうございます。もちろんです」
力強く頷けば、彼女はちょっと残念そうな顔をした。
「それにしても、待ち遠しいわね。お式が、二ヶ月も先だなんて」
「どっちみち、ウェディングドレスも仕立てないといけませんから、仕方ないですよ」
「……ああ、それもそうね」
メルセデスは、切り替えたようだった。
「じゃあ、その時はドレスに合わせた爪にしないといけないわね。デザイン、もう決めたの?」
「まだです。でも、ゴージャスにしたいなって思っていて。前の世界でも、ウェディングネイルというと、皆張り切ったんですよ」
「へええ。だったら、早めに予約をしておかないと。あのメイクさん、最近、引っ張りだこですもの」
今や社交界では、爪の装飾が大流行中なのである。劇場のメイク担当者は、辞めて独立した。あちこちの屋敷を回っては、貴族女性らにネイルアートを施しているそうだが、追い付かないらしい。弟子を取ることも、検討中だとか。
そこへ、ノックの音がした。ヘルマンであった。
「ご歓談中失礼いたします。ハルカ様、旦那様より、旅支度をするようにとのことです。急でございますが、明日から一緒に領地を回りたいと」
あら、とメルセデスが顔を輝かせる。
「案内もあるでしょうけれど……。きっと、ハルカを見せびらかしたいのね」
何だか緊張するなあ、と私は思った。要は、妻としてお披露目するということだろう。粗相の無いようにしなければ、と肩に力が入る。
(あ……、でも、またあの人たちと会えるんだ)
僅かな期間過ごした領内の、皆の顔が蘇る。偽手紙のせいで、挨拶もせずに別れてしまったというのに、嘆願書まで書いてくれた。再会したら詫びねば、と思う。
(生姜メニュー、喜んでくれていたっけ……)
そこでふと、私はひらめくものがあった。ヘルマンに尋ねる。
「あの、ハイネマン領って、この前過ごした以外の地域でも、生姜を栽培しているのですか?」
そうですね、と彼は答えた。
「比較的、そのような地域が多いですが」
なるほど、と私は頷いた。
「すみません。支度はしますが、その前にやりたいことがあります」
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