第十三章 領地巡りのその後は

2/9
前へ
/96ページ
次へ
翌日の朝早く、グレゴールと私は馬車で出発した。広大な領内を一通り回るため、かなり大がかりな旅になる。ハイジら使用人たちも、付き添ってくれた。 「急で悪かったな。今回を逃すと、当面休暇が取れなさそうだったのだ」  グレゴールは、すまなさそうに言った。 「私なら、平気ですよ。領地を見て回るの、楽しみです」  するとグレゴールは、意外なことを言い出した。 「今回は、単に案内するだけではない。お前には、領内をしっかり観察して、それぞれの地域の実情を把握して欲しいんだ。いずれは、管理の一部を任せようと思っている」  私は、思わず目を見張った。グレゴールは、真剣な表情で語っている。 「この度、俺は役職が増えた。領内のことは、ほぼヘルマンに任せきりになってしまうだろう。とはいえ、彼には屋敷の管理業務もある。だからお前に、協力して欲しいんだ」 「もちろんです、私にできることなら」  私は、力強く頷いた。 「できるさ。お前は経済の知識があると言っていたし、何より先日は、生姜を使った新メニューを考案しただろう。我が領内では、生姜の栽培が盛んだから、他領へ売り込むいいきっかけになる。その調子で、他にもメニューを紹介して欲しい」  何と、と私は驚いた。 「偶然ですね! 実は私も、同じことを考えていたのです」  私は、持参した荷物から、数冊のノートを取り出した。昨日、旅支度の前に、急遽こしらえたものだ。 「これら、全て生姜を使ったメニューなんです。以前の世界で、よく食べられていた料理なんですが」  今度は、グレゴールが目を剥く番だった。 「すでにか!? お前は、やはりすごいな」  グレゴールは、ノートに熱心に目を通し始めた。以前伝授した、紅生姜天と生姜湯の他、スープやサラダ、魚の生姜煮などの作り方が書いてある。 「生姜って、魚にも結構合うんですよね。この前過ごした場所は、内陸部でしたけれど、海沿いの地域なら魚も手に入るだろうと思って」  私は、補足した。 「本当は、他にも色々なバリエーションがあるんですけどね。この国で手に入る食材を使うとなると、限られてしまって。特に、お肉が貴重品というのが、致命的ですね。領民の皆さんに、牛丼を食べさせてあげたいのですけど……」 あの後、クリスティアン及びグレゴールの尽力により、ロスキラからは米の輸入が始まった。おかげで、サンドイッチではなく、牛『丼』が実現できたのである。とはいえ、口にできるのはまだ、王族はじめ一部の特権階級のみだ。 「あっ、でも豚肉の方が入手しやすいと聞いたので、豚の生姜焼きというメニューを書きました。生姜、豚肉にも合うんですよ。豚丼というのも人気で……」  言葉の途中で、私はグレゴールに、ぐいと抱き寄せられた。私の髪を優しく撫でながら、彼がしみじみと呟く。 「以心伝心……と言おうと思ったが。そうではないな。お前は、心から領内のことを考えてくれている。俺は、最高の妻を娶った」  グレゴールの言葉が、胸にしみる。私は、うっとりと瞳を閉じた。 (このムードは……)  だが、キスを期待していた私の妄想は、妙に冷静な彼の言葉でぶち壊された。 「確かに、肉の平民への普及は、今後の課題だな。米も、もう少し安く輸入できるようにせねばならん。その辺りの交渉は……」  完全にビジネスモードに突入してしまったグレゴールの顔を、私は恨めしく見上げた。 (いや、彼は国を担っているのよ? 重要課題に取り組んでらっしゃるのに、不満を言うべきではないけれど……)  ここで怒ったら、『仕事と私とどっちが大事なの?』と言う、うざい女みたいになってしまう。とはいっても、期待していただけに、落胆は激しくて。
/96ページ

最初のコメントを投稿しよう!

75人が本棚に入れています
本棚に追加