第十三章 領地巡りのその後は

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 思わずしゅんとすれば、グレゴールはそれに気付いたようだった。 「どうかしたのか?」 「……いえ、何でも」 「おい、言いたいことがあるならはっきり言え」  グレゴールが、眉を吊り上げる。私は、カチンときた。 (何で私が怒られてるわけ……?) 「グレゴール様」  私は、肩を抱いていた彼の腕を外すと、その漆黒の瞳を見すえた。 「お仕事の話と、イチャイチャを分けてはいただけませんか?」 「分ける?」  グレゴールは、きょとんとした。 「だからっ。てっきり、ラブなモードになったかと、こっちは思うじゃないですか。それなのに、またお仕事の話題に戻るなんて……」  ごにょごにょと説明すれば、ようやくグレゴールは私の意図を察したようだった。 「ああ、キスが欲しかったのか?」 「だっ……、口に出して言わないでくださいよっ」  真っ赤になって怒鳴れば、グレゴールはさすがにバツが悪そうな顔をした。 「すまない。俺はどうも、その、鈍感な所があってな」 「でしょうね……」  私は、嘆息した。 「なるべく気を付けるが、ハルカの方も、思っていることはハッキリ言って欲しい。お前の素直なところが、俺は好きなんだ」  私は、こくんと頷いた。『好き』というたった一つのフレーズが、呆れるほど嬉しい。グレゴールが鈍感なら、私は単純と言うべきだろう。  グレゴールが、私の顎を捕らえ、軽く唇を重ねる。だが、歓喜したのは一瞬で、彼はあっさりと唇を離してしまった。 (馬車内で二人きりなんだから、そんなに簡単に済ませなくても……)  ちょっぴり残念に思っていると、グレゴールは小さく呟いた。 「最寄りの領地までは、まだまだ時間がかかるんだ」 「……はい?」 「それまでの間、我慢できなくなったら、どうしてくれる」  早口でそう告げると、グレゴールはさっさと前を向き直ったのだった。  広大なハイネマン領内を巡る旅は、とても楽しかった。行く先々で、領民らは私たちを歓迎してくれた。  私は各地域で、ノートにしたためてきたレシピを紹介し、簡単な物はその場で作ってあげた。皆、たいそう興味を持ってくれた。 「妻のハルカは、領内の活性化に、たいそう意欲を持ってくれている。俺の代わりに視察に来ることもあると思うが、その節は是非、よろしく頼むよ」  グレゴールは、何かにつけては領民らにそう念押しした。するととある領民が、こんなことを言い出した。 「馬車で回られるのでは、ずいぶんと時間もかかるでしょう。奥方様は、馬には乗られないので?」  私は、ぎょっとしてグレゴールを見た。彼が囁く。 「安心しろ。乗馬をたしなむ貴族の娘もいるが、全員ではない」  とはいえ、馬には乗れた方がいいだろう。広い領内を回るのに、効率がいいのは確かだ。私は、勇気を出して宣言した。 「あいにく経験はございませんが、是非練習してみます」 「頼もしい奥方様だ」  領民たちは好意的な眼差しを向けたが、グレゴールは目を剥いた。 「おい、ハルカ! お前、動物は苦手だろうが」  小声で囁く彼に、私も囁き返した。 「セシリアとウォルターと接するうち、大分慣れましたし。それに、何事もやってみなければと思いますから」 「相変わらず努力家だな。ま、そこに惚れたんだが」  しれっとそんなことを言うと、グレゴールは付近で草を食んでいた馬を指した。 「じゃあ、早速チャレンジするか?」  グレゴールの言葉に反応したのか、馬がこちらを向く。巨大な図体をした、黒い馬だった。やんちゃそうな雰囲気で、どうやら牡馬らしい。 「えっと……」   思わず固まる私を見て、グレゴールはぷっと吹き出した。 「冗談だ。いきなりあれに乗れとは言わない」 「脅かさないでくださいよ。大体、牡馬には近付かせないとか仰ってませんでしたっけ?」 「くだらんことを記憶するな」  グレゴールは、顔をしかめた。 「本邸に戻ったら、おとなしい馬を馬丁に見つくろわせよう。練習は、少しずつでいい」 「はーい……」  そんな私たちを、領民たちは微笑ましげに見守ってくれたのだった。
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