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第一章 異世界に来ました
――北山春香二十二歳、恋愛、初黒星です……。
その日、仕事を終えた私は、がっくりと肩を落としながら駅へ向かって歩いていた。
この春、IT企業に新卒入社した私は、同期のイケメン・増田さんをロックオンしていた。だが本日、ものの見事にふられたのである。増田さんは有名大卒で、性格も明るくハキハキしていて、営業部の有望若手と噂されていた。だからこそ、絶対にゲットすると決めていたのに……。
(ううん、ゲットできると思い込んでた)
自慢じゃないが、私の見た目はかなりイケている。生まれつき茶色がかったふわふわの髪に、ぱっちりした瞳、長い睫毛。それに何より、モテテクにかけては、誰にも負けない自信があるのだ。『あざと可愛い』なんて陰口を叩かれることもあるけれど、男性の心を惹きつける術は、知り尽くしていたはずなのに……。
おまけに、と私は、ガクンとさらに肩を落とした。増田さんが選んだのは、同じ同期の榎本真紀だったのだ。職種はSEで、仕事はできるが、色気も可愛げも無い地味女子である。
(納得できなーい!)
ぶんぶん、と私は激しく首を振った。ここで引き下がってなるものか。絶対に、奪ってやる。そう決意した私は、前方に見覚えのあるシルエットを見かけた。何と、当の榎本さんではないか。
(チャンスだわ。敵情視察してやる)
私は、人混みを縫って榎本さんに近付いた。わざと明るい声を上げる。
「榎本さん、ぐうぜーん! 駅まで、一緒に帰ろっか」
「北山さん、お疲れ」
榎本さんが、微笑む。しばしたわいない雑談をした後、私はさりげなく本題に入った。
「そういえば榎本さん、増田さんと付き合い始めたんだって?」
「うん、そうだけど?」
それが? と言いたげなけろりとした声音で、榎本さんが返す。私は、イラッとするのを抑えられなかった。
(出たな、サバサバ)
『サバサバ女子』は、理由あって苦手なのだ。渦巻く苛立ちを隠して、私はあえて軽い調子で尋ねた。
「もう、二人でどこか遊びに行ったりしたの?」
「ううん、まだ」
でしょうね、と私は納得した。榎本さんの趣味は古本屋巡り(買うのはプログラミングの本)で、飲食する場所は定食屋や居酒屋 (それもおひとりさま)なのだ。この女子力にとんでもなく欠ける彼女と、お洒落スポットが似合う増田さんでは、デート場所を決めるのも大変に違いない。
(やっぱり、増田さんに似合うのは私……)
内心ほくそ笑んでいると、榎本さんはこんなことを言い出した。
「あ、でも、今度一緒にゴルフしようって話は出てるけどね」
「ゴルフ!?」
私は、思わず榎本さんの顔を見ていた。化粧っ気の無い顔で、彼女が頷く。
「そう。二人とも、好きなんだ」
そこで私には、ひらめくものがあった。わざと、トーンの高い声を張り上げる。
「偶然! 私、前からゴルフって興味あって~」
「そうなの?」
榎本さんは、意外そうな顔をした。
「どういう所で練習するの? 一度、連れてってくれないかなあ。あ、もちろん二人の邪魔はしないからさ。最初に案内してくれるだけでいいよ?」
目をうるうるさせて、顔の前で大げさに手を合わせる。
「お願いっ。だって、一人で行くのって不安で~」
他の女なら絶対に警戒するだろうこの状況、天然榎本はあっさり頷いた。
「いいよ。三人で行こっか」
「ありがとう!!」
小躍りしたいのを、全力で抑え込む。もちろん、『最初に案内してもらうだけ』なわきゃない。理由を付けては割り込み、隙を見て、次は増田さんと二人で行く約束を取り付けるつもりだ。
いいタイミングで、地下鉄の駅に到着した。今日は、風が強い。榎本さんはパンツルックだけれど、私はフレアスカートだ。裾を慎重に押さえながら、私は彼女と並んで階段を降りた。
「じゃあ……」
日時が決まったら教えて、そう言おうとしたその時、突如突風が巻き起こった。そんな季節でも無いのに、台風かと思ったくらいの強風だ。階段を降りるどころか、その場に立っていることもままならない。天気予報で言っていたかな、と私は不思議に思った。
「何!?」
榎本さんも、顔をしかめている。次の瞬間、私は目を疑った。榎本さんの体が、宙に浮いたのだ。風に煽られて、彼女の体も鞄も、パタパタと揺れている。
「助けてえっ」
榎本さんが、金切り声を上げる。そして私はぎょっとした。私自身も、その場にふわりと浮き上がったのだ。お気に入りのパンプスは、完全に石の段から離れていた。
「いやああああっ」
私たちは、思わず手を取り合っていた。容赦なく吹き付ける風の中で、意識が遠のいていく。最後に私の脳裏をかすめたのは、榎本さんでも女らしい悲鳴が上げられるんだな、という思いだった。
ぼんやり目を開けると、大勢の人影が目に飛びこんできた。何やら困惑気味に話し合いながら、こちらを見ている。
視界が、だんだん鮮明になってくる。そこで私は仰天した。私を囲んでいるのは、金色や銀色、はては青色や赤色の髪をした男たちだったのだ。
(外人……?)
私は、懸命に記憶をたどった。地下鉄の駅の階段を降りる途中で、すごい突風に遭ったんだっけ。この人たちが、助けてくれたのだろうか。
それにしても、彼らは妙な格好をしていた。やたらと丈の長い上着を着て、首にはひらんひらんしたレースを巻いている。まるで、中世ヨーロッパのお貴族様みたいだ。
(何かの、コスプレ……?)
その時、私を取り囲んでいた男たちが、さっと道を空けた。一人の青年が、眉をひそめながら近付いて来る。彼の顔を見たとたん、私は一気にテンションが上がるのを感じた。
(すごいイケメン!!)
頭の中を、感嘆符が駆け巡る。青年は、人形のように整った顔立ちをしていたのだ。肌は抜けるように白く、瞳はコバルトブルーで、髪は透き通るようなプラチナブロンドだ。まるで、アニメに出て来る王子様みたいだった。年齢は、二十歳過ぎ……といったところだろうか。
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