小さな鳥居

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「コウちゃん。あのさ。鳥居がね……」  学校からの帰り道。ランドセルをカタカタ鳴らしながら二人で並んで歩いていると、ふいにケンちゃんが足を止めてそう呟いた。 「鳥居?」    鳥居といえば、この次の角を曲がったところにある神社の入口にある赤い大きな鳥居のことだろうか。僕も足を止め、まだ見えない鳥居の方へと視線を向けた。  そんな僕を見てケンちゃんは「鳥居は鳥居なんだけど、あの鳥居じゃなくて」と、もごもご言った後「誰にも言わないでね?」とぼくの目をまっすぐ見ながら息をひとつ吐くと不思議な話を聞かせてくれた。  街はずれにある公園の裏にある電信柱に小さな鳥居が付いているんだけど、コウちゃん知ってた?僕、こないだダイちゃんと公園で遊んだときに初めて気がついたんだけどさ。でね、大ちゃんが言うにはあの鳥居、どうやらこの世界じゃない場所に繋がってるみたいなんだよ。あ、笑ったね? 僕だってはじめっから信じたわけじゃないよ? でも「ちょっとみてな」って大ちゃんがその鳥居に石を投げたら、その石が鳥居の真ん中を通り抜けていったんだよ。鳥居は真ん中が開いてるから通り抜けるのは当たり前だって? でも、あの小さな鳥居は電信柱の足元にしっかりと縄みたいなもので括りつけてあったんだよ。だから、真ん中の穴の向こう側には電信柱があるわけ。石を投げた後、僕ちゃんと確認したんだから。石は絶対に通り抜けることは出来なかったんだ。穴の真ん中に石を投げたとしても、絶対に電信柱で跳ね返ってくるはずなんだよ。それが「カチン」とも「パチン」とも少しも鳴らないでさ。石だって戻ってこなかったんだ。 と。  僕は正直『また始まったか』と思いつつもケンちゃんの話を神妙な顔をしながら最後まで聞き、最後にこう問いかけた。   「で、ケンちゃんもその鳥居に石、投げたの?」  ケンちゃんは何度かゆっくり首を横に振ると、小さな声でこう言った。 「だって、鳥居に石投げるなんて、バチ、あたりそうじゃん」  横で見ていて止めないのも石を投げるのと変わらないくらいバチが当たりそうだけど。という言葉を僕は飲み込んだ。 「確かに。でもさ、通るはずがない鳥居を石が通って行ったって今ケンちゃん言ったけどさ、それって見間違いかなんかじゃないの? 普通に考えたら通らないはずだってケンちゃんも今、言ってたじゃん」 「でもね、本当なんだよ。だって、ダイちゃんは何回も石を投げたんだ。そしてその石は全部鳥居の真ん中を通ってどこかへ行っちゃったんだよ」  ケンちゃんに見せるためとはいえ、何回も鳥居に石を投げるなんてダイちゃんは一体何を考えているのだろう。世の中には祟りだとかそういうものを全く信じない人間がいるというのを聞いたことが無いわけではないけれど、本当に実在しているということを僕は心から信じることは出来ない。  ましてや街の中心にある神社を祭るために作られたという伝承があるこの土地で、罰当たりなことをしでかすような人間がいるとも思えないのだけど。  その時、ケンちゃんの足元で砂がじゃりっと音を立てた。 「……でね。僕……コウちゃんにもあの鳥居を見て欲しいと思ってるんだ」 「見て欲しいって……」  そんなこと言われても。どうしよう。  もし本当にケンちゃんの言うようにその鳥居が別世界に繋がっているのだとしたら、とても気になる。とはいえ、異世界の入口としての役割しかなかったとしても、石を投げつけた鳥居を直接見に行くのはバチが当たりそうだ。嫌な予感しかしない。たとえ石を投げたのがケンちゃんじゃなかったのだとしても、石を投げたその瞬間に鳥居の傍にいたケンちゃんと一緒に鳥居の前に立つのはちょっと嫌かもしれない。   「あ、ゴメン。今日お母さんに頼まれごとしててさ。急いで帰らないといけないの、忘れてた。じゃぁ。また明日ね! バイバイ!」  僕はそう言ってケンちゃんに片手を上げると家に向かって走り出した。 ーーー  晩御飯を食べ終わり、居間でくつろいでいると廊下の電話が鳴った。  お母さんがいそいそと電話を取りに行き、よそいきの声で「もしもし」といつものように話始める。今日の長電話の相手は誰だろう? なんてことを考えながら聞き耳を立てていると、いつもなら楽しそうな笑い声が聞こえてくるタイミングになってもそんな様子が全くない。  それどころか「ええ。ええ。ちょっと待ってください」というと、受話器を置いてお母さんは僕の所までやってきた。  そして真剣な顔で僕にこう聞いた。 「ねえ。今日ケンちゃんと一緒に帰ってきた?」 「うん。途中まで一緒だったよ。神社の手前らへんまで。でもなんで?」  そう答えた僕をその場に残し、お母さんはまた電話の方へと小走りで帰って行く。ケンちゃんに何かあったんだろうか。廊下の方に少し移動した僕は電話の声に耳を傾けた。 『……ええ。神社の辺りまで一緒に帰ってきたって言ってます。時間は……ですね……ええ。ええ……。あ……そうなんですね。わかりました……ええ……もちろん。はい……では』  カチャリと受話器を置く音がすると同時にお母さんはドタドタとまた僕のいる居間までやってきた。そして「ケンちゃん帰ってきてないんだって。今からお母さんも探しに行ってくるから。あんた、今日ケンちゃん何か言ってなかった? どこへ行くとか。それとケンちゃんが行きそうな場所知らない?」とまくし立てるように僕に聞いた後、バタバタと家を出て行ってしまった。  ケンちゃんが帰ってきてない? どこへ行ったんだろう。まさか鳥居? あるかもしれない。よし。そうだ。僕もケンちゃんが言っていた鳥居へ行こう。  僕は懐中電灯片手に家を飛び出した。   ーーー  夜の道を懐中電灯片手に歩くのは初めての事だった。むしろ、こんな暗い道を一人で歩くのは、もっと大人になってからだと思っていた。  建物の影から誰かがこっちを見ているような気配を感じ、背後には誰かが付いてきているような気がする。きょろきょろと周りを見回しながら、急ぎ足で街はずれの公園へと急ぐ。そして公園が近付いてきたところで僕は懐中電灯の電気を消した。  もしかすると誰か大人がいるかもしれない。  こんな遅い時間に一人で歩いているのがバレたら絶対に怒られる。だから誰にも見つからないようにしないと。さっきまでとは違うドキドキを感じながら僕はケンちゃんが言っていた電信柱の場所へと急いだ。  ひとめ見た瞬間、僕の目の前に現れた電信柱がケンちゃんの言っていた電信柱だということが僕にはわかった。  その電信柱の足元にはケンちゃんが言った通り、小さな真っ赤な鳥居が縄でくくりつけられていたから。  そして、その真っ赤な鳥居のすぐそばにはスニーカーが片方転がっていた。  僕は懐中電灯をつけると靴を照らした。見たことのある黄色いラインの入ったボロボロの白いスニーカー。そのスニーカーを照らしながら僕はゆっくりとそれの方へと近付いた。  スニーカーのそばにしゃがみ込んだ時、僕は懐中電灯の灯にぼんやりと照らされた周りの砂に模様が付いていることに気がついた。  よく見るために立ち上がると、その模様はまるで鳥居から生える大きな樹のようで何ヶ所からか小さな枝が生えていた。そしてその樹のてっぺんに置かれたケンちゃんのスニーカーはまるで樹に抱かれた花のようだと僕は思った。  しかしすぐに思いなおした。いや。違う。これはケンちゃんのスニーカーをてっぺんに置いた模様なんかじゃなく、このスニーカーが脱げたあとケンちゃんが鳥居まで引き摺られていった跡だ。左右の小さな枝のような模様はケンちゃんが必死に手を伸ばした跡に違いない。  僕はゴクリと唾を飲み込むと懐中電灯の灯りをゆっくりと鳥居へと向けた。  鳥居の向こう側はケンちゃんが言っていたとおり、電信柱が鳥居を塞ぐように立っている。まさか、この向こう側に?  鳥居を照らしたまま僕が動けないでいると、灯りの真ん中に向かって何かが飛んできた。そしてそれは鳥居の手前でパチリと音を立ててバウンドすると、鳥居の穴に吸い込まれて行った。  その時、僕のすぐ後ろから声が聞こえた。 「ね。嘘じゃないでしょ」  僕は勢いよく振り返り懐中電灯で声のした方を照らす。 「け……ケンちゃん……ビックリさせないでよ」  心臓がバクバクと音を立て、頭から大量の汗が噴き出した。 「ほら。見て」  そう言うとケンちゃんは、僕のことなんか気にも留めない様子で手に持っていた石を次々と鳥居の方へと投げつけ始めた。 「ちょ。ケンちゃん。やめなよ」  次々と石を投げるケンちゃんを止めようと声をかけてみても、僕の声が聞こえないかのようにケンちゃんは「ほら。ほら」と言いながら石を投げ続ける。しばらくすると、手持ちの石が無くなったのかケンちゃんは石を投げるのをやめた。 「け……ケンちゃん……お母さんが探してたよ? っていうか、みんなケンちゃんが帰ってこないって探しまわってるよ? ほら。早く帰った方がいいよ」  今すぐにでも走って帰りたい僕は、ケンちゃんにそう言うとケンちゃんから一歩離れた。  しかし、僕のその言葉が終わると同時にケンちゃんはゆっくりと僕の方へと歩いてきた。そして僕のすぐそばでスッとしゃがむと落ちていたスニーカーをゆっくりと拾い上げ、そして僕の方を見た後こう言った。 「あの鳥居はね、違う世界への入口なんだよ。ホントだよ。嘘なんかじゃないよ」 「……うん。わかった。わかったから家に帰ろ? ね?」  僕が何度も頷きながらなんとかそう口にした時、立ち上がったケンちゃんは手に持ったスニーカーをぶんっと鳥居に向かって投げつけた。スニーカーは鳥居の向こう側の電信柱にぶつかって跳ね返されることなく、スッと鳥居の向こう側へと消えて行った。 「ほら。見間違いなんかじゃないでしょ?」 「わかった。わかったって。嘘なんかじゃない。わかったから」  僕はそう言うとケンちゃんに背を向けて一目散に走り出した。  ケンちゃんはやっぱりおかしい。昔はケンちゃん、こんなふうじゃなかったのに。僕は必死に走りながらもケンちゃんのことを考えた。  振り返ってみると、ダイちゃんの話が出始めた去年くらいからケンちゃんの様子はおかしかった。そもそもこのあたりに『ダイちゃん』なんて子供はいない。大人なのかとも考えたけど、ケンちゃんの話によるとダイちゃんはやっぱり子供のようだった。  こっそりケンちゃんのお母さんにダイちゃんという子のことを聞いたこともあったけど、ケンちゃんのお母さんもダイちゃんという子供に心当たりはないようだった。  いったいケンちゃんは誰と遊んでいたんだろう?  よくよく考えてみると、ダイちゃんと遊んだという日はケンちゃんが学校を休んだ日ばっかりだったような気がする。でも、学校を休んだ日って遊びにいけるもんなんだろうか?  ケンちゃんのお母さんは仕事をしていないから、学校を休んだケンちゃんが遊びに行こうとしたら気がつくはず。僕の家は学校を休んだ日は遊びに行っちゃいけないけど、ケンちゃんの家は大丈夫だったんだろうか? でも、ケンちゃんが学校を休んだ日、僕は一度もケンちゃんと遊んだことはない。だったらケンちゃんの家も同じってこと?  答えが出ないままぐるぐると考えているうちに僕は家にたどり着いた。ゆっくりとドアを開けて小さく「ただいま」と声をかけながら家に上がる。  どうやらお母さんはまだ帰ってないみたいだ。僕は急いでお風呂に入ると布団に潜り込んだ。  気がつくと朝になっていた。朝ごはんのいい匂いがする。僕は布団から出ると着替えて居間へと向かう。 「おはよう」  僕が自分の場所に座るとお母さんがご飯をよそって持ってきてくれた。ケンちゃんについて何か言われるかと思ったけど、お母さんはいつものようにご近所のおばちゃんの話をしはじめたので、僕はそれを遮るようにこう言った。 「ねえ、ケンちゃんはちゃんと家に帰ってきたの?」  その言葉を聞いたお母さんは首をかしげると不思議そうな顔をした。 「だから、ケンちゃんは昨日家に帰ってきたの?」  僕がもう一度そう言うと、お母さんはますます不思議そうな顔をして僕のおでこに手をピタッと当てた。 「熱は……ないみたいね」 「熱なんてないよ。だから、ケンちゃんはちゃんと帰ったの?」  そう続ける僕にお母さんはこう言った。 「ケンちゃんって、誰? どこの子?」 「何ふざけてるの? ケンちゃんはケンちゃんじゃん。僕の友達の」  その言葉を聞いたお母さんは怪訝そうに 「友達って、その子とどこで知り合ったの? あなた、いつも遊んでる場所以外の所に行ってるんじゃないでしょうね? 校区外に行っちゃだめよ? それに駅前も。あそこは遊ぶ場所じゃないんですからね」  と言い、ついでにお説教まで始まった。  お母さんの中からケンちゃんが消えた。  僕とあんなに仲が良かったケンちゃんの事を忘れちゃうなんて一体どういう事だろう。昨日、家を出て行った後で洗脳でもされちゃったんだろうか。それどころかその後、どこで誰に聞いてもケンちゃんの事を知っているという人に僕は合うことができなかった。学校ですら。  それからしばらくたったある日、僕は体調が悪くて学校を休むことになった。うつらうつらしていると、部屋の外からケンちゃんの声が聞こえた。 「コウちゃん、遊ぼう」  学校を休んだ日は遊びに行っちゃいけない。そう頭ではわかっていたはずなのに、気がつくと僕はケンちゃんといつものように外で遊んでいた。やっぱりケンちゃんはいるじゃないか。  あの日以来、ケンちゃんの名前を口にするたびに周りの人たちに何とも言えない目を向けられてきたけど、やっぱりちゃんとケンちゃんは存在するじゃないか。やっぱりケンちゃんは僕の友達だ。  久しぶりにケンちゃんと遊んだ次の日の学校からの帰り道。何の話の流れだったかは忘れたけれど、僕はやっちゃんに不思議な鳥居の話をした。  と、その時。僕の頭にふと『ダイちゃん』のことがよぎった。  ケンちゃんがいつも遊んでいたというダイちゃん。そんな子なんていないのに、ケンちゃんの話の中のダイちゃんは本当にケンちゃんの友達のようだった。  いないはずのダイちゃんと遊んでいたケンちゃん。  いないはずのケンちゃんと遊んでいる僕。  そしてダイちゃんが鳥居に石を投げつけるのを見ていたケンちゃん。  ケンちゃんが鳥居に石を投げつけるのを見ていた僕。  そして僕はついさっき、やっちゃんに鳥居の話をしてしまった。    まさか。今夜。僕は…… <終>
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