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「あの、ちょっと説明してもらえませんか」
勇希は声を絞り出した。
「何を説明するというのか。私の方こそ、なぜおまえが私を斬ったのかわからない」
女の表情は変わらないが、声には凄味が加わった。
勇希は武士の恰好に違和感を覚えつつ、何とかこの状況を打開すべく思考した。
そして、記憶の中からベラドンナに関する情報を引き出した。
ベラドンナは美しい貴婦人の意味だが、同時に植物の名前でもある。
その液に含まれる成分には瞳孔を開く作用があり、瞳を大きく輝かせる。そのため、ルネサンス期の貴婦人の間で、ベラドンナの抽出液を目にさすことが流行った。
また、江戸時代、長崎の出島に滞在したシーボルトが、ベラドンナを用いて目の手術を行った。つまり、点眼薬だった。
しかしその反面、根、葉等草全体に強い毒性があり、悪魔の草と称される。
植物の有する毒性と薬効は、表裏一体なのだ。
ベラドンナは現代も薬の成分として使用されているが、それはあくまで医療用であって、一般人は絶対に口にしたりしてはいけない。
そう。この美しい女も、毒婦なのだ。いや、この女の正体は……。
ベラドンナと名乗る女は、死を連想させる不吉な微笑を浮かべて勇希の方に近付いた。
手の届きそうな至近距離にまで近付くと、女は彼に向けて手を指し伸ばした。
見ると、その手のひらには黒紫のブルーベリーに似た実が数粒乗っていた。
「さあ、これをお食べ。ものすごくいい気分になるよ」
ベラドンナは、老獪な魔女のように囁いた。
「甘くておいしい実……」
それは、食べると死に至る毒の実だった。もはや、妖艶なベラドンナの誘惑は死に至る毒に満ちていることが明白だった。
勇希は、思わず腰の刀に手をかけた。
前世と同じようにベラドンナを切り捨てようというのか?
それしか手段がない。
と思ったその時、勇希は自分の手に提灯が握られていることに気付いた。
江戸時代の武士なら、提灯を持ち歩いていても不思議はない。
迫ってくるベラドンナに対し、彼が瞬間的にとった行動は……。
提灯の紙を破って中のロウソクを女に投げつけたのだった。
「ギャーッ!」という凄まじい悲鳴とともにベラドンナは燃え上がったかと思うと、この世界から掻き消えた。
所詮、ベラドンナは草なのだ。
勇希はほっと胸をなでおろし、自分が武士ではなく元の土橋勇希に戻っていることに、再び安堵した。
ベラドンナの残像も、女が炎上した際の眩しい光の奔流とともに消え去った。
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