よく効くおくすり

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 それは人類にとって偉大なる発明と言われた。どんな病気にも効くという万能薬が開発されたのである。  薬を飲んだ者の病の原因を、それがどんな細菌であれウイルスであれ、たちどころに消し去ってしまうのだそうだ。しかも効果は数分から一時間ほどで現れるというから驚きである。  なんでも病の元を補食する人工細菌が入っており、その細菌が病の原因を食べてしまうのだそうだ。  いずれは癌治療にも活かせるよう開発が進められているとのことだ。  今日、私はその薬を運良く手に入れることができた。数十年待ちとも、運が悪ければ百年待ちとも言われている薬を、どうして私が手に入れられたかと言うと、まぁ、私は良い意味で顔が効くからである。  しかしこの薬、飲むのは私ではない。私の妻だ。  どうもここ最近「身体が重くて動かない」だの、「頭が痛い」だの定期的に身体の不調を訴えているのである。  今朝もソファーに体を預け、何をするでもなくぼんやりと過ごしていた。近所の内科には行ったそうだが、原因不明らしい。  そんな状態で、早一ヶ月。明らかに仕事に支障をきたしている。  妻は別の病院にかかることも検討しているようだったが、時間もとられて負担が大きい。  そこで私は、話題になっていたこの薬に頼ることを思いついたのである。懐は痛んだが、この薬で治ってくれるなら幸いだ。  考え事をしている内に、いつの間にか家の近くまで帰ってきていた。私は鞄の中を開き、そこに目当ての薬が入っていることを確認すると、自宅の扉を開ける。 「おい、帰ったぞ! なんだ、主人が帰ったと言うのに、出迎えもないのか!?」  よろよろと出てきた妻の姿に、思わず口からため息がもれる。  文武両道才色兼備などと持て囃されていた妻も、最近皺が増えた。顔色も悪くまるで幽霊のようだ。それも、この万能薬で治れば良いのものを。  妻に鞄を押し付け、リビングへ入る。ソファーの前のローテーブルに、アイロンがけが途中になったシャツが放置されていた。部屋の角には埃も見える。 「なんだ、今日も職務放棄か、だらしがない! 『頭が痛い』? はぁ……まさか仮病じゃないだろうな」  妻は否定するように慌てて首を横に振る。『家事』が今の妻の仕事なのだから、きちんとこなしてもらわなければ困る。  私は鞄の中から例の薬を取り出す。 「ほら、薬をもらってきてやったぞ。今話題の万能薬だ。何、知らんのか? ――ニュースを見る手段がない? ああ、そうか。とにかく、仮病でないのなら、これを飲めばお前の不調も治るはずだ。感謝しろ。早く治して以前のように主婦としての仕事をキチンとこなしてくれ」  私は鼻を鳴らし、妻にくすりの入った封筒を渡す。やれやれ、なんと良き夫だろうか。  そう思いながら妻にジャケットを預け、手を洗う。食卓には湯気が立った食事が並んでいたが、指定したより品数が少ない。思わず眉間の皺が深くなる。 「まあ、食事は良い。おい、それより早く酒を持ってこい――何、体が動かない? はぁ……体が動かないなら薬があるだろう、さっさと飲め! 即効性があるようだからな」  促すと、妻はよろけながらも慌ててキッチンへ行き、封筒から薬を取り出した。少し大きめの、至って普通の錠剤である。  コップに水を入れると、緊張した面持ちで薬を口に放り込み、水で流し込んだ。  これで本当に妻は治るのだろうか。  妻は恐る恐るといった調子で、自分の喉の辺りを軽く押さえている。私も緊張してきて、思わず喉を鳴らした。  すると突然、妻が体をの字に折り、激しく咳き込み始めた。痰が絡んだような咳を繰り返し、床にずるずると座り込む。 「お、おい!? どうした!?」  どういうことだ、薬が合わなかったのか。まさか、偽物をつかまされたのか。  くそ、いくら払ったと思っている。  苦しげにしていた妻は、両手で口元を押さえて立ち上がり、シンクの中に顔を埋めた。どうやら吐いているようだ。 「お、おい!? いくらしたと思っている!? それに、台所で嘔吐など、せめてトイレまで我慢できなかったの、か――」  違和感を覚えたのは、その時だった。  なんだか妻の背後から黒い(もや)のようなものが立ち上っている。しかも次第に黒く大きくなっているような。気のせいか。いや、何かがおかしい。 「――うっ」  一瞬意識が飛んで気がついた時には、部屋がモノクロ映画のように色を失くしていた。椅子の足が何故か目の前にある。  それよりも、喉を誰かに締め上げられているように、苦しい。息ができない。  なんだこれは。急に、何が。  慌ててこちらに駆け寄ってくる妻の顔が、黒く塗りつぶされていく。  おい、早くどうにかしろ。  そうだ、薬、何にでも効く薬がある。 「お、い、その薬をよ」  バクン。  そんな音が聞こえたような気がして、黒い何かが私を飲み込んだ。 「聞いた? あのお家のご主人、原因不明の突然死ですって! 恐いわねぇ。まだ四十代でしょう? 去年ようやく良いご縁にも恵まれたのに、お気の毒だわぁ」 「でもあの奥様、ご主人に先立たれても気丈に振る舞われて……健気よねぇ。新婚なのに。最近、仕事復帰もなさったんでしょう?」 「そうよねぇ。ご病気がちでずっと家にこもっていらっしゃったのに、突然働いて大丈夫なのかしら?」 「それがね。昨日たまたまお会いしたら、前よりもお元気そうに見えたのよ。私が思わず声をかけたら、なんておっしゃったと思う?」  おくすりがね、んですって!  
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