全部わしがもろうちゃる

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「いらっしゃい」  聞いていた番号の部屋へ行くと、瀬里菜が笑顔で出迎えた。 「タタキ、好きやろう? あとキハダの刺身! 今日はいいのがあったから! ナガレコは不漁で無いみたいよ」  瀬里菜は、冷蔵庫から缶ビールを取り出しながらウキウキと私に説明した。 「全部美味しそう」  食卓に並べられたご馳走が、あなたの最期の晩餐になるとも知らず。 「いらっしゃい、麻衣子ちゃん」  襖が開いて、すらりと背の高い美男が現れた。い、泉慎也くん……! 「あ、お、お邪魔してます」  明らかに紅潮する私。おち、落ち着け。 「慎也と麻衣子は、いつぶり? 高三ぶり?」  ビールとガラスコップを三人分並べながら呑気な会話をする瀬里菜。 「かなぁ。塾の最後の授業ぶりかな」  泉慎也くんは、にこっと私に微笑みかけてくれた。きゃあ。私が同じ塾の生徒だったこと、覚えてくれてる。やっぱり、相変わらず見た目も中身もかっこいい。  ええそうですとも。喋ったのはね。 「そ、そうだね」   卒業後も、私がどれほど、もう一度あなたを一目見ようと、最寄駅やあなたの高校前をうろついたことか。 「あれ、タタキのぽん酢はどこやっけ」と、二人が密着して冷蔵庫を漁る。    一人、食卓の椅子に掛けて二人の後ろ姿を見た。  そう、あの時もそうだった。  ショッピングモールで偶然二人を見かけて、手を繋いでアクセサリーを見定める二人の後ろ姿を、ただただ、遠くから見つめるしかなかったんだ。  瀬里菜はいつだってそうだった。  5年生の時にここに越して来て、同じクラスで近所の瀬里菜がすぐに友達になってくれたはいいけど、いつだって私は引き立て役だった。  勉強も運動も容姿も何もパッとしない私をいつも隣に置いて、あなたは輝いていた。  私のことを『天然、天然』と言ってよく笑うもんだから、周りも皆そんな風に私を囲んだ。ある時男子が、私の標準語をからかってきた時も、男子顔負けの蹴りを入れて、「麻衣子はそのままでえいがよ」と立ちはだかったのよね。友達を庇う可愛くて勇敢な子って、あなたの株は急上昇。私はただ、変な目立ち方をして、恥ずかしかっただけ。  中学の時は、瀬里菜がダブルデートしようなんて言ってきたせいで、別に何てことない南部くんと二人きりにさせられて、人生で初めて告白されたんだ。もちろん断った。南部くんだってきっと、私が瀬里菜の近くにいるから手頃な方に言い寄ってみただけだろうし。そういえば南部くん、高校に上がってもまた告白してきたのよね。もう瀬里菜とは高校は離れたっていうのに、変わった人もいたもんだわ。  瀬里菜は女子校へ行って、卒業して小丸デパートの販売員になった。華やかな容姿とそのコミュ力によくお似合いでいいじゃない。まさかそのまま、泉慎也くんと結婚するだなんて、思いもしなかったけど。  私が人生で唯一恋をした泉慎也くんさえも、瀬里菜のものになったのよ。  東京の大学へ進学した私がどうなったかって?  厳しい父の言うままに薬剤師を目指したものの、勉強についていけずに中退したのよ。三年くらいまではまだよかったの。帰省する度にあなたと会ってたもんね。でもね、今年こそは「慎也と別れた」って言うかしらって、その報告を聞くために会ってたようなものよ。でも一向にそんな報告は出てこなかった。そればかりか、あなたはますます綺麗になった。少しずつ劣化する私とは反対に。なんで瀬里菜が、私なんかと友達を続けるのか、わからなかった―。    その頃に両親が離婚して、母はどこかへ行ってしまった。薬学部の勉強も一気に難しくなったの。試験に受かりたいって気持ちも、いつのまにか無くなった。それで父に黙ってひっそりと、中退したの。  生活資金のために、薬局の従業員になったけど、これがまたキツい。朝から晩まで、上司、先輩、客にへこへこして、東京のお洒落な生活なんかとはかけ離れてる。おまけにぶくぶく太って、元が悪いのに更に醜くなって。  父だけの実家になんて帰る意味もないし、こんな姿、地元民に晒したくもないし、それから私は、こことの関係を遮断したのよ。  だからって、今の暮らしに、私を癒してくれる存在なんていない。毎日、鏡に映る醜い自分に、問いかけてるの。どうして私は、こんなふうになったんだろうって――。 「麻衣子? 大丈夫?」  すっかり宴会の準備を整えた二人が席に着いて、乾杯のコップを掲げながら私を見つめていた。  何よ。  見せつけないでよ。  私たちお似合いでしょって?  私たち幸せですって?  何の乾杯よ。  二人の美しい永遠の愛に乾杯って?  血が滲むほど唇を噛み締めて、ポケットに忍ばせた薬の包みを力いっぱい握った。  ボロボロと涙がこぼれ出てくる。  そう、私の人生は、瀬里菜の影にいたせいでこうなったんだって気づいたの。  だからコレを飲ませて、瀬里菜を()ったら、自分もって決めて…… 「麻衣子?」 「麻衣子ちゃん?」  瀬里菜が私を抱きしめた。  泉くんが慌ててタオルを持って来て私の涙を拭う。    やめて。  やめてよ。  惨めになるだけじゃない。  憧れの泉慎也くんに、こんな姿晒して……  涙と鼻水がとめどなく溢れ出て、嗚咽する。  泉くんがティッシュを何枚か抜いて私の鼻の下に当てて拭く。  いいわもう、こんな地獄絵図、見たことない。  私だけでもこの薬を飲んで……  ポケットの中の、手汗いっぱいの包みを取り出そうとした。 「良かった」  瀬里菜が、めいいっぱいに私を抱きしめてから、両手で私の頬を包んだ。 「おんちゃんの薬が効いたみたいやね」 「え……」  ひっく、ひっくと肩を揺らす私を優しく見つめる瀬里菜。 「おんちゃんに頼まれちょったが。麻衣子が、思い詰めた様子で帰ってきちゅうて。ラムネあげてって」 「は……?」  意味が分からない。幼稚園児じゃあるまいし。 「麻衣子はきっと俺のせいで、本音も弱音も出せんで、自信のない子になってしもうたって。麻衣子は子供ん頃、とにかくラムネが大好きで、俺が仕事で疲れた顔をしてたら、こっそり俺の部屋へ来て、薬あげるって、よくラムネをくれたって。『元気が出る薬か?』って聞いたら、『違う、辛いって言える薬だよ』って幼い麻衣子が言って、それはもう涙が出たって、おんちゃん言いよった」  手で私の涙を拭きながら、諭すように話す瀬里菜が、さっきまでと違う人に見える。  そんなことあっただろうか。全然覚えていない。  父との思い出なんて、勉強して俺みたいになれって、常々うるさくする眼鏡の奥の厳しい目しか思い出せない。 「ほいでおんちゃんから、俺はようせんから瀬里菜ちゃんに頼んどくわって、ラムネ預かったがよ。珍しく帰ってくるっちゅうことは、きっと何か辛いことがあるがやろうって」  何だそれ。娘のことくらい、自分で何とかすればいいのに。 「まだラムネあるがよ、こんなにたくさん」  瀬里菜は台所から、ビニール袋を取って来て中を見せた。  子供かよ。そんなもの、嬉しくも何とも――。  ビニール袋いっぱいの、ラムネ菓子の小さな袋や筒形の容器。キャラクターが付いたものまで、あらゆるラムネ菓子が詰め込まれていた。  お父さん、一人で駄菓子コーナーで、こんなに買ったのかな――。  いったん落ち着いていた涙が、またこみ上げた。 「……辛いって、言っていいの……?」   こみ上げた涙が、再び決壊した。  袋から、ラムネを一つ取り出して瀬里菜に渡す泉くん。  瀬里菜がラムネの包みを開けて、「えいがよ」と、一粒私の口へ運ぶ。  ぱくっと食べるとまた、懐かしくて安いっぽい、酸っぱくて甘い味が舌に染み込んで、口いっぱいに広がった。 「辛い、辛いよ。何なのよ、二人して見せつけちゃって。私は、泉くんのことが好きだったの。初恋だったの」  わんわん泣いた。 「塾で一回だけ、成績が落ちて私と泉くんだけ下のクラスに落とされたでしょ。そしたら泉くんが、まぁ頑張ろうやって笑顔で肩を叩いてくれたの。その時からずっと、好きだったの」 「そやったがか……知らんか……」 「大学だって、中退した。そうよ、ついていけなかったの。私はそんなに頭よくないもん。東京で一人で結構きつかったのに、こっちでは、お父さんとお母さんは離婚して、お母さんは出て行った。そしたらもう、急に、何もやる気が出なくなった。胸の内を明かせるような友達もいないし、彼氏なんて無縁だし、仕事では、朝から晩まで怒られてばっかり。太って太って、ブスの上にデブって何よ。誰も寄りつく訳ないじゃない。なんで私の人生はこうなのよって、そうだ、瀬里菜が全部悪いんだって思ったのよ」  瀬里菜は「そんなことない、麻衣子は可愛いよ」と首を横に振りながら涙を流している。  ポケットから、皺くちゃになった薬の包みを取り出した。 「これ、自分で調合したの。薬学部に行って、ちょっとは報われたわよ。これをあなたに飲ませて、自分もって、そのために帰ってきたのよ!」  殺意を剥き出した私に、逃げも隠れもせず、怒りもせず、瀬里菜はただ涙いっぱいの目で、じっと私を見つめた。 「辛かったんやね、麻衣子……。ごめん、何も気づかんで」  また一粒、ラムネを寄越してきた。  瀬里菜の手の中にあるラムネ菓子のパッケージを見て、思い出した。  小学校の時と何も変わっていないパッケージだ。  サンシャインの駄菓子コーナーが好きで、いつも両親にせがんで買ってもらっていた。  5年生にもなるのに子供っぽいかなと内心恥ずかしくて、友達には見つからないようにしていたのに、その日は偶然、瀬里菜に見られてしまったのだ。  瀬里菜は、気まずくなった私に、「あー! これ、私も大好き! 美味しいよね」と、満面の笑みを向けた。  きっと合わせてくれたんだろうと思ったけど、瀬里菜は本当に一つ買って、ぶんぶん手を振って帰って行ったのだ。  ……嬉しかった。あの時、この子いい子だなって思ったんだ。  その日を境に、仲良くなった。  確かにあの時も、瀬里菜が『気まずい』を無くしてくれた。  そうか、それで昨日海岸で、「これ食べたら、『気まずい』は無くなるきね」と言ったのか。そんな遠い日のこと、覚えててくれたのか――。
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