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『気まずい』という症状を消せる薬があったなら、どんなにいいだろう。
会うつもりだったとはいえ、思いがけず突然出くわすと、気まずさが勝る。
そんな薬さえあれば、こうして、5年前既読無視したまんまそれっきりの相手、瀬里菜を目の前にしても、平気な顔でいられるんだろうな。
はたまた、瀬里菜はもうそれを飲んだとでもいうのだろうか。
5年間返事をほっぽらかしている私を目の前にして、この表情。
目は逸らさず、じっと私を捉えて。
怒り? 呆れ? 私からの謝罪待ち?
あーそうか。
私のビジュアルが変わりすぎて、ドン引きしてるのかも。当時から、10キロは太ったもんな。さぞ醜くなって……
「麻衣子」
瀬里菜が先に口を開いた。
「……ひ久しぶり、瀬里菜」
うわー。我ながら下手すぎる対応。
「はい」
唐突に、瀬里菜が何かを投げてきた。
「うわ」
反射的にキャッチすると、小さな容器だった。パッケージとかは何もなくて、ただ透明の小さなプラスチックの容器に、白い蓋が付いていて、中には、白い駄菓子のラムネみたいなのがたくさん入っている。
「それ食べて」
顎をしゃくる瀬里菜。
「え……? え、何これ」
いきなり食べてって言われても。
「薬。あたしもそれ、食べたき」
瀬里菜は微笑んだ。
「く、薬って。何の?」
顔の前で容器をぐるりと回して確認。どう見たって、ラムネにしか見えないけど。
「変なのやないよ。『気まずい』っていう気持ちを無くしてくれる薬」
「え……っ」
さっき、私が考えてたことと同じだ。
「ほら。うまいき」
瀬里菜が近づいてきた。一歩踏み出すごとに、スロープとテトラポッドにいるフナムシ達が逃げ惑う。
「いやいやいや、いや。でも。なんか、こわいし」
顔を歪めて首をぶんぶん振り、全力拒否した。サンダルに砂が入る。
「あはははは」
瀬里菜は手を叩いて、美人が台無しのくちゃくちゃの顔で笑った。
「麻衣子、ほんま天然変わらんね。そんな訳ないろう、ただのラムネやき。さっき家の前で、麻衣子が出て来て海岸に向かうの見えて。あー、麻衣子帰ってきちゅうて、イタズラ思いついたがよ。入れ物変えたら、ラムネってほんまの薬みたいに見えるから、麻衣子ならびっくりするかなっち」
まだ、くちゃくちゃの顔で笑っている。
なんだ、そういうことか。
「あー、びっくりした。たった今、気まずいって症状を消せる薬があったらいいのにって、考えてたところだったから」
「そーやろ思て」
瀬里菜は私の手から容器を取って蓋を開け、ぱくぱくっとラムネを食べた。「うま」と、もう一粒食べた。
「これ食べたら、『気まずい』は無くなるきね」
瀬里菜がふふん、と得意気に笑う。
「じゃ、もらう」
私は手のひらにばーっとラムネを何粒も出して、一気にがばっと食べた。
懐かしい、安くて甘酸っぱい味が広がる。
「麻衣子、あれから元気にしちょったが?」
「う、うん。まぁ、まぁ」
「人が結婚式の招待したいっち連絡したがやき、何の返事もないし、どういたもんがかぇ思ちょったが」
「ごめん……。何か、いろいろあって、返事できなくて。結婚、おめでとう」
「ありがと。そっか。まぁ麻衣子にも何かあるがやろ思ちょった。ほいで、今はどういてるが? 仕事は何しゆうが?」
瀬里菜は海岸から道路へ出るスロープを引き返して、ゆっくりと登り始めた。
「えっと……や、薬局」
瀬里菜の歩幅に合わせる。
「そうなん! そや、東京の薬学部? 行ったもんなぁ! すごいねゃ、薬剤師やろ?」
「……んまぁ、そんなとこ」
目は見れない。
「ほぇー、あたしなんか、ずーっと地元でさ? 小丸デパートでコスメ売っちゅうけど。東京まで出て、麻衣子はすごい」
大きく頷く瀬里菜から、ふわりといい香りがした。そんな香り、私には無縁だ。
「そんなことないよ」
俯いて額をぽりぽり掻いた。
横断歩道は、赤。
「ほいで? しばらくこっちにおるが?」
そうね、目的を達成するまでは。
「うん、少し、ゆっくりしようと思ってる」
「そうなん! じゃあ、暇あったらご飯でもしようや」
ほっ。自分から誘い出す手間が省けた。
「うん、ぜひ」
青になった。
渡り始めた瀬里菜に気づかれないよう、立ち止まったまま見つめた。
ご機嫌な香りを振り撒いて、年甲斐もなく自慢の細い足を出して歩く後ろ姿。
ゆるりと上げた髪の下から伸びるうなじは、それだけで見返り美人を期待する。
あーあ。細くて綺麗だこと。
だけど、そんなにご機嫌に歩けるのも、あと少しね。
仕方ないわよね。私を影に追いやったのは、あなたなんだから――。
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