第四話 仮の恋人のはじまり

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 「はーい」  玄関ドアまで走って、3つの鍵を開けた。  ガチャとドアを開けると、  「こんにちは」  千紘さんが笑顔で立っていた。  「こんにちは。どうぞ、上がってください」  「うん。お邪魔します」  3年前に買った来客用のスリッパは、未だに新品同様だ。  私の部屋に人が来ることはほとんどないから。  来たとしても本当に限られた人だけだから、嬉しさと緊張で胸がドキドキして落ち着かない。  まるで初めてできた友達を家に招いた時のような気持ちだった。  「最上階だったんだね」  キッチンに荷物を置きながらも、千紘さんの視線は窓の外に向いていた。  大きな窓ガラスには、カーテンもブラインドもついていない。  最上階だから人目も気にならないし、リビングで過ごすことはほとんどない。  なにより、母と如月さんがこっちの方が景色がいいと言って、喜んでくれるから。  「はい。エレベーターが直通なので、色々便利だと思って」  「すごいなぁ。乃々先生」  「えーっと、千紘さんに言われても全然響きません」  都心にあんな大豪邸を持っている人にすごいと言われても……。  「僕はもういい歳だからそれなりに結果出してて当たり前なの。乃々花ちゃんはまだ23歳でしょ? デビューも15歳なんて、僕より6歳も若い頃から自分の道を見つけて成功するなんて、並大抵のことじゃないよ」  そう言ってくれるのは本当に嬉しいけど、その言葉はそのまま受け取ることはできない。  「私は本当に運が良かったんです。如月さんに見つけてもらえて、会社の方にも常にサポートしてもらえて。色んな人の力で押し上げてもらって、今ここにいるんです」  私より絵を描くことが好きな人も、上手い人も、才能がある人も、この世界には星の数ほど存在する。  その中で私のイラストが多くの人の目に留まって、好きになってもらえて、如月さんという素晴らしい編集さんに出会えて、作品がヒットしたのは、私の実力ではなく私がとてもついていたから。  謙遜とかそういうのではなくて、これは紛れもない事実。  私のイラストが認められたんだって気持ちを持っていたのは本当に最初だけ。色んな人や企業と仕事をするようになってすぐにその気持ちは消えた。  私はとにかく、会う人会う人に恵まれていた。それだけ。
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