第四話 仮の恋人のはじまり

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 キッチンに立つ千紘さんを、私はダイニングにテーブルに座りながらじーっと見ていた。  献立はなんだかわからない。  手際よく野菜を洗って、お肉の準備をする千紘さん。  初めて使うキッチンとは思えないほどのスムーズな動きに、つい見入ってしまう。  「千紘さんはお家でも料理するんですか?」  包丁を使い終わったタイミングで声をかけた。  「うん。するよ。父さんと暮らしてるとはいえ、うちは二世帯だから。時間が合う時は一緒に食事するときもあるけど、基本別なんだ。仕事で余裕がないときはまごころ弁当の総菜を分けてもらったりしてるけど、それ以外は自炊してるよ」  「すごいです! 自由業の鑑です!」  男性で、それもあんな豪邸に住んでいるならお手伝いさんに任せてもいいくらいなのに。  ピカピカのキッチンが恥ずかしい……。  「別にすごくないよ。料理好きなんだよね。ずっとデスクでパソコン作業だから、立って何かやるのは気晴らしにもなるし。学生の頃から父さんと交代でごはん作ってたりしたから。乃々花ちゃんは料理しない派?」    学生の頃からなんて、すごいなぁ。  「母と暮らしていた頃はしていました。けど、一人暮らしになってから、家にいた時と同じものを作っても美味しいって思えなくて。それからは、お弁当とかデリバリーばかりです」  「あーでもなんかわかるかも。僕も一人の時はすごく美味しいとは思わないな。不思議だよね」  「はい。でも手作りごはんは大好きです!」  「本当? 良かった」  「あの日千紘さんに作っていただいたスープもとても美味しかったです」  忘れもしない。  ふわっふわの卵スープ。  乾いた心に、優しさがずーっと染み込んでいったことは今も覚えている。  「ありがとう。美味しそうに食べてくれて、僕も嬉しかったよ」  千紘さんがにこっと笑う。  その笑顔に甘えて、またごはんを作ってもらっているとは、我ながら図太い神経をしていると思う。  「今日は何を食べさせてくれるんですか?」  「んー、秘密」  「ううー……待ちます」  「ふふっ、楽しみにしててね」  その後、千紘さんが料理をする姿を、あっちをいったりこっちをいったりして、私は眺めていた。  おやつを前に待てをされた時の風太郎のように、尻尾をふりふりしたまま、そわそわする私を見て、千紘さんは楽しそうに笑っていた。
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