第五話 大人な彼の意外な一面

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 「……乃々花ちゃん」  「はい」    「ごめん」  「はい?」  私の体は、がばっと勢いよく引き剥がされた。  どうやら選択を間違えてしまったようだ。  激しく後悔している私に、席から立ち上がった千紘さんの気まずそうな声が届く。  「いや、ごめん。胸が顔に当たって、気おかしくなるから」  「……ああ、すみません」  そっちだったか。  私の脂肪が当たって、気分がおかしくなると……ははは。  違う意味でショックを受けていると、  「抱きしめてもいい?」  千紘さんの改まった声が降ってくる。  私の選択は間違いではなかったようだ。  「はい」と頷いた直後、私の体は千紘さんの大きな体に抱きしめられた。  千紘さんのシトラスの香りが私の鼻腔をくすぐる。  「ずっと、こうしたいと思ってた」  「そうだったんですか」  いつものような見当違いではなかったようで、ほっとした。  千紘さんも、こうやって誰かに甘えたかったのかな。  千紘さんのように立場のある大人で、たくさんの責任を抱えて生きている人の心など私には理解することも難しいけど……せめて私と一緒にいる時は、大人でいなくていいのに。  「よしよし」  千紘さんの背中をさするように優しく撫でた。  大きな背中のせいで全然腕が回らなかったけど。  「なに?」  頭の上から千紘さんの不可解そうな声が降ってくる。  「千紘さんによしよししたくなったので」  「……僕35歳だよ。いい大人がよしよししてもらうのおかしいでしょ」  「そうですか?」  私だって23歳のいい大人だけど、頑張った時は母によしよししてほしい。  頑張らなくても、よしよししてほしい。  風太郎なんて、そこに存在しているだけでいつでもよしよししてもらっているのに。  大人とか、子どもとか、関係あるのかな。
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