第七話 いちばんが欲しい

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 「体冷えるから、中に入ろう」  「はい」  千紘さんに言われて、私たちはウッドデッキを後にした。  「乃々花ちゃん先お風呂入る?」  「いえ。千紘さんからお先にどうぞ」  「そう? じゃあ先にいただくね」  「はい」  最初にお部屋に着いた時、室内露天風呂を見たけど、広々とした岩のお風呂だった。  長風呂をするとすぐにのぼせてしまうから、いつもさっと入ってさっと出るけど、お風呂は好き。温泉も大好きだ。    露天風呂なんて久しぶりだな。  うきうきしながらリビングでごろごろしていると、テーブルに置いていた携帯電話が鳴った。  この着信音は私のだ。  そして電話の相手もだいたい想像がつく。  私は画面を見ることなく、通話ボタンを押した。  「はい、もしもし」  《あ、乃々花? 今いい?》  「はい。お疲れ様です」  予想通り、電話の相手は如月さんだった。  《ソシャゲの企画のことなんだけど、先方がキャラをもう少し増やせないかって言ってるんだけど》  「はい。私もそうした方がいいんじゃないかなって思ってました」  3年ほど前から、〈風太郎が行く!〉のソーシャルゲームの企画が動いていた。  リリースは来年の冬を目指している。  私ができることはもうほとんどなかったけど、今みたいにちょこちょこ変更点が出ることは少なくなかった。  《47種類の柴犬とは別に、風太郎と恋仲になるような犬が出てきてもいいんじゃないかって》  「……恋ですか」  また苦手なところを……。  《別に柴犬に限定しなくていいと思うのよ。そこは犬種は問わずで、乃々花の好きな感じでいいって》  「わかりました。考えてみます」  《大丈夫よ。そのへんのストーリーはむこうの会社が上手くやってくれるから、あんたはキャラだけ作ってくれればいいの》  「はい。それは、本当に大変助かります」  《まあでも、あんたも恋人ができたことだし、ストーリーもやりたいって言うなら先方に伝えてみるけど?》  「いいえっ! 結構です」  《あははっ。言うと思った》  「じゃあ聞かないでくださいよ。意地悪です」  《拗ねないの。それよりどうなのよっ、倉木先生とは》  「どうってなんですか?」  《ばかっ。どこまでいったかって聞いてんのよ。言わせんじゃないわよ》  「とりあえず、箱根まで来ましたけど」  《そういうことじゃねーよ!》  「あはははっ」  如月さんが急に男に戻るのが面白くて、つい声を出して笑ってしまった。  《そろそろキスくらいはしたんでしょ? 教えなさいよっ》  「あーはい。しました」  額にだけど。  《きゃー! このすけべっ! 何も知らないような顔してやることやったんじゃないよ!》  「如月さん、うるさいです」  《おかまは声がでかいのよっ》  「それ、如月さんだけじゃないですか?」  《どんな感じだったのか教えなさいよぉ》  「どんな感じって……秘密です」  相手もいることだし、いくら親しい間柄とはいえ全てを話すのは千紘さんへの配慮に欠ける気がする。  《なによぉ! 反抗期~? やだやだ。あんたも男ができると変わるのね》  「私はなにも変わってないですよ」  《変わったわよ。この8年、あたしに隠し事なんてしたことないじゃない》  「あっ……」  そう言われれば、そうだったかもしれない。  隠すようなこともなかったからだけど……。  もはや人生のパートナーのような如月さんは、私のことで知らないことなどない。  《自分の男ができればおかまのあたしなんて用済みってことでしょ。あーあ、悲しい》  「なんでそうなるんですか~」  言葉にだいぶ語弊がある気がするけど、こうなった如月さんには訂正しても意味がない。  《ふんっ。どーっせあたしなんて誰からも愛されない寂しいおかまよっ》  「そんな悲しいこと言わないでください。そんなこと絶対にないですから」  《慰めなんていらないわよっ》  ああ、面倒くさいことになってきた。  如月さんはさっぱりしているように見えるけど、一度拗ねるといつまでもうじうじしてしまうのだ。  そして、十中八九お酒を飲んでいるのだろう。  お酒を飲んで酔っ払うと楽しく騒いでいたかと思えば、自分の人生を悲観しだす。  これが酔っぱらった時の如月さんのいつものパターンだった。
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