夏の終わりはいつ?

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 私は二学期の成績表で北山に5段階評価の4をつけた。  テストの点は8割。一番ウェイトの大きかった課題は提出していない。  まあ妥当な評価だろう。むしろ甘かったのかもしれない。  すると翌年の1月6日、始業日。  北山は両親を連れて職員室にやってきた。  始業式があるためその後にして欲しいと伝えたが、一向に納得しなかった。  おかげで畠中は始業式に途中参加となってしまった。  北山の両親の言い分はこうだ。  テストは8割、授業態度も非常に良好。  課題も俳句の課題以外全て出した。  そして俳句の課題の期日について不明瞭であったのに、それを理由に成績表で4をつけるなど言語道断だ。  ということらしい。  夏の終わりを感じながら俳句を作るよう指示をしたにも関わらず、当の本人が夏の終わりを感じている最中に提出を迫るのは非常識だ、と北山の父親は責め立てた。  北山一家は数年前に東京から引っ越してきた。  北山の父親は実業家として成功し、会社を売却して地方へと移ってきたのだ。  北山家は近隣トラブルが絶えず、そのほとんどが北山家が原因だった。  曜日関係なくゴミを出すし、分別もしない。  夜中にも関わらず爆音の排気音を響かせる。  町内会の集まりには行かないが、町内会で運営している物は利用するしイベントには参加する。  この他にも北山家は多くのトラブルを抱えていた。  そのため中学校に入ってくる際は、要注意人物ということで教師間で共有されていた。  一年生の時は特段目立ったことはなく、畠中が初めてのトラブル経験者となった。  1月最初の職員会議の議題はこの件で持ちきりだった。  校長、教頭、一部の教員は今回のことを知っていたが、全職員に一部始終を説明した。  結論的には今回の件で畠中に非はなく、毅然と対応するよう校長から指示が出た。  2月中旬。それまでなんのアクションもなかった北山一家だったが、1ヶ月以上経って動きを見せた。  北山の父親が弁護士と監査委員なる人物を連れてきたのだ。  弁護士が言うにはこうだ。  市議会議員の一人が今回の件を聞き及び、教育委員会に申し入れをし、畠中の指導の是非を問うため監査委員が派遣された。  監査委員はすでに北山翔吾と北山の両親からのヒアリングを済ませているそうだ。  そこで今日は畠中のヒアリングというわけだ。  ヒアリングは監査委員3人によってなされた。 「えー、畠中先生は今回俳句の課題の期限を夏が終わるまでと説明されてますね?」 「していません。課題について“夏の終わりを感じながら俳句を作る”よう説明はしました。期限については11月1日にしていました」  質問した監査委員のうちの50代くらいの禿げた男性は、“あれ?”と首を傾げた。  すると次に40代くらいの眼鏡をかけた女性が語気鋭く質問を引き継いだ。 「でも、その期限はあなたが後で設定したものではないですか? 11月1日が期限だと示すものは北川さんから提示されていません」 「いえ、課題を出したその時に期限は示しています。課題の概要を記したプリントを配っており、そこに書かれていますし口頭で説明もしています」 「し、しかしながら生徒に伝わっていないのであればそれは教師としてはどうなんでしょうね!?」  女性は負けじと食い下がった。  結局その日は、北山が提出用のプリントをコピーしようとしていたことは伝えず、課題の概要が記されたプリントと提出用のプリントを監査委員に手渡した。  なぜ北山が提出用のプリントをコピーしようとしていたことを黙っていたかというと、そこまでしては北山が可哀想だと思ったからだった。まだ中学生。選択を誤ることはある。  畠中はそう思って黙っていたのだ。  3月初旬。  北山の弁護士から、市に対して不服申し立てがなされた。  内容は北山に対する二学期の国語の評価についてだ。  当然渦中の私は心ここに在らずといった状態だった。  4月。  元々実業家であった北山の父親はSNSに今回の一連の騒動を投稿した。  事実でないことも混じっており、畠中が一方的に悪くなるような投稿だった。  学問の自由を害する事象だとして裁判も辞さないと添えてあり、学校名もしっかりと記されていた。  教授の自由について問疑しようとしているのだろうか。  その日から職員室は一変した。  電話はひっきりなしに鳴り、交代制で非難の電話を受けた。  その頃、畠中は担任から外された。  北山の件に集中するためだ。  5月。  町の人たちは畠中に優しかった。 「あんたは間違ってないよ」 「北山のボンクラに負けるな」  北山家とのトラブルで皆彼らに辟易としていたのだろう。    6月。  畠中側と北山側で協議が行われた。  北山側としては、畠中に不利な条件で示談という形に持っていきたいのだろう。    しかし畠中は首を縦に振らなかった。  今回の件は不注意で提出しそびれたのでも、夏の終わりの定義を問議するものでもない。  北山がプリントを失くし、提出を忘れていた。それを隠そうとした一種の不正だ。  そのため畠中は首肯しなかったのだ。    7月。  北山側は署名活動を始めた。  内容は敢えて詳細を書かず、畠中の心象が悪くなるようなものだった。  署名は……3万人以上も集まった。  SNSで感化された反権力を謳う者達が内容も見ずに適当に署名したからだ。  とにかく公立教師を、公務員を辞職に追い込めればそれでいい。そういう風潮を北山側が作ったのだった。  その署名を受け、市議会議員が再度監査委員会に申し入れを行い、監査委員会立ち会いのもと畠中側と北山側での協議を行った。  そして協議会。 「私の息子や私にとって夏が始まるまでが夏の終わりだ! 夏は永遠に終わらない! 今だってそうだ! 私の息子個人に決定権がある!」  始終北山の父親のペースだった。署名という武器で完全に気が大きくなっていた。畠中も呆気にとられ、ほとんど何も言い返すことはなかった。  8月。最初の課題を出したときから既に一年が経っていた。  この協議会で監査委員から遠回しに畠中は教師を辞めるよう勧告された。  このことは瞬く間にその地域で知られることとなり、全国的にも報道で取り上げられるなど一時賛否両論を巻き起こした。  もちろん町民たちは北山の実質的勝利を残念がった。そして畠中のことを皆気にかけていた。  畠中は間違ったことはしていなかったが、声の大きい無礼者に屈することになってしまったからだ。  この騒動はここで終わらなかった。    子供の感性を阻害する教師を退けた北山は、今まで以上に手が付けられなくなっていた。教師を辞職にまで追いやったのだ。他の者に対しても大きな威嚇になったと大手を振って町を闊歩した。  市議会議員との仲もより一層深くなった北山一家。  この街で彼らの地位は一気に頂点へと上り詰めた。
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