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夏の終わりはいつ?
「じゃあ、宿題にしてた五七五を書いたプリント、前に回してくださーい」
東第一中学校の国語教師、畠中謙太郎はそう言って課題の提出を促した。
夏休み前から出していた課題で、「夏の終わり」をテーマに俳句を作るものだ。
夏の終わり。
夏をテーマにするのは簡単だ。
暑い、海、スイカ、セミ……
夏を思い浮かべるキーワードは沢山ある。
しかし「夏の終わり」ともなれば、何の終わり、もしくは始まりをもって夏が終わると定義するのか。
しかも面白いのが、その定義は一定ではない。人の感じ方によってその定義は変わってくる。
彼はそれを生徒達の肌で感じ取ってほしかったからこそ、提出期限を11月1日と大きく幅をとった。
秋の訪れを感じることで相対的に夏の終わりを感じる。そういう捉え方もまた情緒的だ。
特に子供の彼らの感性は凄まじく、大人にはない観点で色々なものを感じている。
畠中は生徒の作品を期待しながら回収してから枚数を数えていると、一枚足りない。もう一度数えるが、やはり一枚ない。
誰かが提出していないのだ。
「誰か出してないかな?」
その言葉に生徒達は顔を見合わせるが申し出はない。
「もし忘れたのなら正直に言ってください。忘れることは僕にだってある。大事なのはミスをした時のリカバリーだから」
畠中は優しい口調でそう伝えた。
教師20年目の彼には矜持があった。
それは生徒に「正しい心」を育ませることだ。
社会に出れば悪意に満ちた者が沢山いる。そういう者は道理が通じず、自身の我儘で行動して他人を傷つけたり、周りに迷惑をかける。
自分の教える生徒にはそういう人になってほしくなかった。
失敗は誰にでもある。
しかし失敗を隠そうと嘘に嘘を重ねることは、他人にも害を与える可能性が高くなる。
だからこそ正直であること、正しい道を模索して進むことを教えていた。
「今申し出れば別に減点をしたりはしません。正直に言ってください」
畠中の問いに手を挙げる生徒はいない。
畠中はもう一度枚数を数え直す。しかしやはり1人分足りない。
畠中は優しい男だったが、嘘をつく者には厳しかった。
「もし今申し出ないのであれば、減点します」
「これから皆さんは大人になります。失敗は誰だってする。けどそれを嘘ついて隠すのは本人の信頼を大きく壊すことになる」
「社会は信頼を失ったらおしまいです。だからどうか申し出てください。この場が嫌なら後で職員室に来てくれてもいい」
畠中はそう言って授業を進めた。
一週間待ったが、誰一人としてこなかった。
もちろん、回収した日には誰が出していないかは分かっていた。
けれど、彼は敢えて待った。
嘘を告白するのは勇気が要ることだ。
その生徒が勇気を持って嘘を告白したのなら畠中は褒めるつもりだった。
よく嘘を告白した、と。
しかしその生徒は来なかった。
畠中はその生徒を呼び出し、事情を聞いた。
その生徒は2年2組の北山翔吾だった。
おとなしい性格で、頭はよく、なんでもそつなくこなす。
俳句のことを聞かれた彼は不満そうにこう言った。
「先生は“夏の終わりを感じて作れ”って言いましたよね? 11月1日時点で夏はまだ終わってなかったですよ」
今年は10月27日に少しではあるが雪が降った。この土地は気候的にも日本でも積雪が早く、10月下旬には降ることもそこまで珍しくはなかった。
気温も夏のものとは大きく異なっていたし、夏と評するには少し無理があるだろう。
「北山君、流石に夏の終わりというには厳しいと思うよ」
「でも、夏が終わったんだから今も夏の終わりですよ?」
「北山君。夏の終わりというのは終盤という意味だよ。夏が終わった後のことも意味しているわけじゃないんだ」
北山は顔を真っ赤にして反論した。
「僕が夏はまだ終わってないと言ってるんだからそうでしょう! だからまだ提出しなくても大丈夫です」
「けど、プリントには11月1日に提出と書いていただろう? 説明もしたはずだよ?」
「でも先生は“夏の終わりを感じて作れ”って言いましたよね!? 今感じてるところです!」
畠山は困り果てた。
彼の言い分にもそうだったが、何より自分の非を認められない性分にだ。
提出期限は明記していた。
なんならあの提出の日畠山は、授業後に他のクラスの子に対して、課題のプリントが白紙かどうかを確認し、白紙であればコピーさせてほしい、と言っていたことも廊下で偶然聞いた。
北山は明らかに課題のプリントをなくしており、おそらくその課題のこと自体も忘れていたのだろう。
つまり北山は自分の非を認識していながら何とかこの問題を押し切ろうとしているのだ。
結局北山は11月20日に所定のプリントではなく、白紙に書いた俳句を提出した。
曖昧な
夏の終わりは
人次第
俳句にまで提出の言い訳を入れていたのには絶句した。
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