06、檻

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06、檻

 理由は判然としないが、この書類がここに置かれているのは、まさかネイハウスがうっかり置き忘れたわけではあるまい。  調べて見たらどうでもよくなった、わけでもないだろう。内容そのものがどうでもいいことであるのは、調べる前から予想できていたはずだ。  内容を考えてみても、これがここに置かれているのは、明確に、自分に対する脅しに違いない。 「そう言われてもなあ……」  髪を掻き回し、俺の服どこいった、と部屋の中を歩き回る。  取材はネイハウスに弄ばれただけだったし、早々に別の目的に切り替わってしまって、当局の脅威になるどころか、馬鹿にされても仕方ないくらいお粗末だ。  その上、確かにネイハウスのあの淫らさは口外されたくないものかもしれない、と思えば、ムフフと妙な笑いが湧きそうになるくらい、自分は馬鹿な男だとも自覚している。  それも、次第に雲行きが怪しくなっていった。  まず、きちんとクローゼットに掛け直されていたジャケットの内ポケットに、入れておいて出した覚えのない、パスポートが見当たらない。  他国籍の身分で、パスポートがなければ、ただ歩き回るにも色々不安が残るし、不便だ。 「人のパスポート持ってそのまま仕事に行くかよ、普通……」  口に出して愚痴ってから、大きくため息をついた。  普通ではないのだ。今のカルドゥワも、ルスラン・ネイハウスという男も。  大した金の入っていない財布には見向きもしていないのが、当たり前だし助かるのに、腹立たしい。  どこまでも失礼なやつだと腹を立てながら、そんなものまできちんと畳まれているパンツを履いて服を着込み、部屋を後にした。  部屋の外を歩き回ってみて、ようやく本格的に青ざめた。  やけに豪華な建物の全容がさっぱり分からないのは、どの窓から見ても、広がる庭とその向こうの森というか野というか、外部との境目が分からないだけでなく。明確に区切られたエリアがあり、廊下にまで広い間口を塞ぐ大きな扉があって、それが閉じているところは鍵が掛けられている。  一定の区画から出られないのかとゾッとしかけたところで、一階のテラスのような場所からは庭に出られて、胸を撫で下ろした。  庭まで出られたらどうにでも抜けられるだろうと思ったのは、だが、甘かった。  建物の中からは境が判らなかった庭も、早足に長い距離を突っ切れば、背の高い鉄柵が設けられていて、境界は明らかだった。  残念ながら、内部にも境界があったのだが。  どこで途切れて門になるのだろうと、柵に沿って歩き、これがいくつか曲がり角になっていると思ったら、建物の方へ戻され、もちろん、建物自体に接続されていた。  焦りと絶望にとどめを刺されたのは、それなら、出ようと思えばこの柵をのぼるしかないのかと、少し高いところに手を掛け、爪先立ちになって様子を見ようとした時だった。  チュン!と、軽い音が何か、分からなかったのは一瞬だ。  柵の向こうの地面が少しえぐれ、狙撃されたのだと理解した。  もう、言葉もなく。  自分は馬鹿な男だが、もう一度試してみるほど無謀にはなれなかった。一度目は警告で、二度目は実射というのは、なんというか、よくあるパターンだろう。  心から絶望し、混乱し、とりとめもないようなことを散々色々と考えながら、すごすごと最初の寝室に戻って。  だが一応、凝りはせず、それならせめて、許された場所、つまり鍵の掛かっていないところは、どこまでもくまなく調べてやろうじゃないかと、建物の中を歩き回った。  厨房、食堂、テラス室に、収納室らしきもの、一階と二階にそれぞれバスルームとトイレがあり、昨夜いたところの他に、寝室は2つある。鍵の掛かった部屋がいくつかと、あとはテラス室から出られる庭。  歩き回れる範囲だけでも豪邸と呼べるだろうが、つまり、これだけのスペースを区切って孤立させられる大豪邸というわけだ。  どこまでいけるかを確かめ終えて一度寝室に戻り、ベッドに腰掛け、窓を見ながら考えを巡らせる。  仕事が終わってから話そうと言って出て行ったネイハウスにも、改めて腹が立つ。  おっしゃる通り、訊きたいことが山ほどあって、当然そうなるだろうと彼は知っていたのだ。  ノックの音で我に返って、それではじめて、うとうとしていたことに気づいた。 「はい」  と。声をやったのだが、同時に扉が開いて、許可を求めるノックではなかったのだと分かる。部屋に入ってきたのがネイハウスで、らしすぎるだろ、と呆れた。 「夕食にしよう。一日歩き回って腹が減っただろう」  完全にカチンときて、朝見たスーツではなく、もう少し寛いだ服装に着替えているネイハウスを睨みつける。 「監禁の上、監視付きか。食事は毒入りかもしれないな?」 「食べながら話す方が時間が無駄にならないと思ったんだが。今の方がよければここで話そう。毒の種類にもよるが、殺す気ならとっくにそうなっている」  言葉を選びかねて、パクパクと思わず口が泳いでしまう。  その通りに違いないからこそ目眩(めまい)がする心地で、額を押さえた。 「食欲がないのなら、浴室を使うといい。その間に夕食を済ませてこよう」 「ちょっと待てよ!?」  それならいいだろうと言わんばかりに、とっとと背を向けているネイハウスを呼び止め、つかつかと詰め寄る。  まだ何か?みたいな据わった目が振り返るのに、湧く怒りがなんだか片端から崩れて落ちていく。 「……。俺も腹が減った」 「そうか。それならちょうどいい」  あいにく高級料理というわけではないが、と、珍しい謙遜なのか、行こうと促し歩き出す彼の後について。  もやもやというかグルグルというか、目まぐるしく暴れ回り、混乱する頭と胸の中を気に掛け、感情的なものと意味のある内容とを、歯を食い縛るここちで懸命に選り分けながら歩いて。  広い食堂の大きなテーブルで、半ばは嫌がらせのように、ネイハウスから一番近い斜め前の席につく。  テーブルを支度する給仕がいることにぎょっとしながら、勧められるまま食前酒を口にし。 「昼間は誰もいなかったぞ。出入りできるのか」  水を飲みながら、もちろん、と頷くネイハウスに片眉を跳ね上げる。  なにがどう“もちろん”なんだ。 「なら、食い終わったら早速出ていきたいね。朝までバーにでも入り浸りたい気分だ」 「必要なものがあるなら用意しよう。しばらくここにいてもらいたい」 「ハ? なんで?」  怪訝をぶつける目を受け止めず、食事を運んでくる給仕に、ありがとうと行儀良く礼を言っているネイハウスに、眉を寄せる。 「毒は入ってない。遠慮なく食べてくれ」  ジョーク? 嫌味? ただの事実?と、見たことのない生き物を見るような気持ちでネイハウスを見てから、習慣で食事に感謝をつぶやき、手をつけはじめた。  食べ始めてからふと、用意された夕食が、確かにカルドゥワの一般家庭でも同じだろう、質素なものであるのに気がつく。 「こんなとんでもないお屋敷らしく、フルコースでも出てくるのかと思ってたよ」  目で浅く頷き、食事を摂るネイハウスを眺めながら、自分の席にだけ用意された酒を勝手に飲む。 「ここは友人の別荘だ。ずいぶん前に貸しがあったから、ここを使わせてもらってる」 「……ユースフ?」  どんな大金持ちの“お友達”なんだか、と勘ぐらずにはいられない。 「いいや。まさか」 「まさか、ねえ」  何がどうまさかなのだか、ひとまずは想像もつかない。  どこから攻めるか、と頭を巡らせながら、カルドゥワの家庭料理をカルドゥワの酒で流し込む。 「何のために、友人の別荘を借りてまで俺を閉じ込めるんだ? 昨夜(ゆうべ)のことくらいしか、あんたの秘密も掴んじゃいないはずだが」
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