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森の神様
開け放した窓から視線を動かすと、グラウンドの向こうは大きな森。
9月の森は青々として、気持ちよさそうにそよ風に揺られている。
ここは4時間目の4年1組の教室。
私は、教員採用3年目になる。このクラスの担任だ。
初めて教える魔の4年生。女の先生は舐められる。だからやっぱり一学期の初めはざわざわした教室だったけれど、ようやく最近少し落ち着いて来た。
教壇に立つ私は窓の外から、生徒の方へ向き直った。
「みんな、どうですか?いると思った人、手を上げて」
手を上げたのは、クラスの半分位か。
流石、小学四年生、すれている。一人の生徒が、大きな声で叫んだ。
「先生。森に神様なんかいるわけねえよ。それは物語だけの話です」
ははは。そうなるよね。
今は国語の時間。教科書の「森の神様」と言う小説をみんなで輪読している。「森の神様」は信じる人にしか見えない。時々現れて知らないうちに消えている。特に何をするわけではないけれど、森の守り神と言われる。
「でもね」
私が発言しようとするところを、突然、お下げの活発な女子、的野さんが遮った。
「先生!」
「はい。なんですか?的野さん」
「渡辺君が、筆箱の中に塩昆布を入れてます」
「塩昆布?」
「時々つまんで食べてます」
「は?」
ざわつく教室。
ぎーこぎーこと椅子を引く音がして、的野さんの隣の渡辺君の周りに集まる生徒たち。クラスではあまり目立たない渡辺君は、急にみんなの注目を浴びて赤くなっている。みんなと渡辺君の視線の先には、机の上に開いたままの筆箱があった。そこには裏表両開きの筆箱の、裏面一杯乗っている塩昆布。
「渡辺君。ええと、それ、塩昆布だよね。消しゴムのカスじゃないよね」
「はい。塩昆布です」
「好きなの?」
「好きです。好きですけど」
「好きですけど?」
「これ、神様のご飯」
「は?」
何を言い出すかと思ったら。
「渡辺君、聞いて。「森の神様」はいいお話。でも、これはファンタジー」
「いますよ。神様は」
「ええと」
「ここにいます。先生、見えませんか?」
「あの。渡辺君。どこに?」
「ここです。筆箱の横でおいしそうに塩昆布食べてますけど」
「先生には見えない」
「信じない人には見えないんです。あそこの森の守り神です」
渡辺君はそう言って、窓の外の青々とした森の方を向いた。
こんな時、教員はどうしたらいいのだろう。
神様はこんなところにはいないはずだ。渡辺君がきっと嘘を言っているに違いない。でも、そもそも信じない者には見えないと言っているものを、信じない私が嘘と決めつけるのは大人の横暴ではないか。
神の存在証明は難しいが、神が見える者は神が存在することを知っている。逆に、神の不在を証明するのは、神の存在証明より格段に難しい。
これは詰み切れない詰み将棋だ。私は、渡辺君を攻略する術を持たない。
と思っていると。
「あ」
と一声、下を向いていた渡辺君の目が、宙を漂い窓の方に動いた。
同じように窓の方を向いたクラスで一番大きな太田君が、高い声で渡辺君に話しかけた。
「行っちゃったね、神様」
「うん」
え?
「ちょっと待って。太田君。太田君も見えるの?神様」
「はい。信じてるから」
「どんな風なの?神様って。私も知りたい。私は見えないから」
「白い髭を生やしたおじいさんだよな。渡辺」
「うん」
「それで杖を持ってる。な」
「うん」
その時、ピンポーンとチャイムが鳴り、この話はとりあえず放課後に持ち越しになったのだった。
4時間目が終わると給食。
生徒たちは、班ごとに四つ机をくっつけ、対面して食べる。今日の献立は、鯵の甘酢あんかけとけんちん汁、それから白飯。
私は教壇で給食を食べていたが、保健室で寝ていた生徒の親への引き渡しのため呼ばれ、一時教室を離れていた。
戻ってくると活発な女子、的野さんが待ってましたばかり私に訴えた。
「先生、渡辺君と太田君が、ご飯に塩昆布かけて食べてます」
「あ。ああ」
並んでこちらを向き、もぐもぐと無言で口を動かしている渡辺君と太田君。
これがしたかったのか。ぐるだったか。
一種の神は、人の都合で、人の空想が作り出して、人の間に実在化する。
その神を、人は利用して何らかの願望をかなえる。
二人の行為は、一部の大人のしている神の取り扱いと何ら変わらない。
私は叱る気がしなくなった。
そして私は放課後、渡辺君のお母さんに電話を入れ、確かに塩昆布をご飯にかけて食べるとおいしいけれど、筆箱に入れて学校に持ってくるのは不衛生極まるのでやめさせてほしい旨を連絡した。
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