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社交界シーズンを迎えた王都では、きらびやかな夜会があちらこちらで開催されています。
その夜会で年頃になった貴族の令息・令嬢たちは、結婚相手を探すわけで。
結婚適齢期になった私も王都から遠く離れたバルゴア領を出て、結婚相手を探しに来ました。
「少し落ち着きなさい、シンシア」
慣れない夜会に緊張して、せわしなく自分の金髪をさわっている私に、介添え人である叔母様が眉をひそめます。
叔母様は、裕福な伯爵家に嫁ぎ王都で暮らしているので、社交界シーズン中、私たちは叔母夫婦が暮らす伯爵邸でお世話になっています。
『私たち』というのは、初めて王都に行く私を心配した家族に、たくさんの護衛をつけられてしまったからです。
あまりの大所帯に叔母夫婦は、私たちが王都に着いたとき、あんぐり口を開けていました。
私はやめてって言ったのに……過保護なお父様が、どうしてもゆずってくれなくて……本当に恥ずかしいです。
叔母夫婦はとても私によくしてくれます。それに、叔母様は、私の母や私と同じ金髪に紫色の瞳で親しみが湧きます。とても頼りになるし、なんだか一緒にいて落ち着く存在です。
そんな叔母様が介添え人になってくれているからこそ、王都のことを知らない私でもなんとか夜会に参加できています。
私は叔母様の背中に隠れるようにしながら、改めて夜会会場を見渡しました。
「これが王都の夜会……」
頭上を見れば、まるで星々が輝くようにシャンデリアがきらめいています。ホールの中心で踊る男女は、皆、同じ動きをしていて面白いです。
「うちの夜会とぜんぜん違う……」
私が生まれ育ったバルゴア領は、領民より馬や羊、牛のほうが多いんじゃない?と思ってしまうようなど田舎です。
常に戦に備えるだかなんだかで、建物は全体的にゴツゴツして、人も衣服もこんなに洗練されていません。
まぁ、それが気楽で良いといえば良いんですが。
そんなバルゴアでの夜会は、騎士や農民たちが集まり、おいしいものを食べたりお酒をたくさんのんで騒いだりします。踊りもしますが、音楽に合わせて好き勝手踊るだけです。
だから、王都に来るまでに、私は必死に淑女教育を受けてきました。そのおかげで、王都でのマナーやダンスは問題ないと思うのですが……なんだか周囲の人たちが、こちらを見ているような気がします。もしかすると、田舎者だとばれて笑われているのかもしれません。
「お、叔母様、私、浮いてませんか?」
私は叔母様に準備していただいた薄紫色の素敵なドレスをちゃんと着こなせているのでしょうか?
叔母様は「あら、そのドレス、気に入らなかった?」ととんでもない勘違いをしています。
「いえ! このドレス、大好きです!」
領地ではこんなに綺麗なドレスは売っていません。初めて着たとき、まるで本の中のお姫様になれたみたいで感動しました。
叔母様は、少しほつれた私の金髪を耳にかけてくれます。
「シンシア、堂々としていなさい。あなたは私の自慢の姪(めい)よ」
叔母様の言葉に私の胸は、じんわりと温かくなります。
「ありがとうございます、叔母様。でも、すごく見られていて……」
周囲の視線におびえる私に叔母様は「あら」と少し驚いたようです。
「シンシアってば、まだ王都での自身の価値がわかっていないのね。あれは、あなたに話しかける機会を窺っているのよ」
「えっ!?」
叔母様はパッと扇を広げると、私の耳元でそっとささやきます。
「バルゴア辺境伯の娘であるあなたが今日の夜会に来ることは、ほとんどの貴族が知っているわ。バルゴア領は豊かだし、この国の軍事の要(かなめ)で国王陛下も一目おいてらっしゃるから、お近づきになりたい人が多いのよ」
「あ、あそこは、ただの田舎ですけど!?」
国境付近にあるバルゴア領。夏は朝早くからセミが鳴き、夜はカエルの大合唱になります。
太陽が落ちると辺りは、真っ暗になってしまい、あとはもう寝るだけ。
楽しみなんて何もありません。
だから、私は王都から本を取り寄せて読むことだけを楽しみにしているのに。
流行りのドレスカタログにうっとりしたり、王都で流行っている恋愛小説を読んだりするときだけ私の心はときめきます。
「お、叔母様! よくよく考えたら、あんな田舎で育った私に、王都で結婚相手が見つかるのでしょうか!?」
「何を言っているのよ! あなたの兄リオが社交界に来たときなんて、そのたくましさにうっとりみとれるご令嬢が続出。リオと話したくて令嬢たちの大行列ができたくらいなのよ!?」
「あ、あのクマのような兄に!?」
兄のリオは、何が楽しいのか毎日剣を振っています。
朝はバルゴア領の騎士たちと早朝訓練。夜は一人で夜間訓練。
昼間は、辺境伯である父の仕事を手伝っているらしいですが、この前、あきれ顔の父に「リオ。お前、領地経営に向いてないわぁ」と言われた兄が「だよなぁ」と笑顔で返していたところを見てしまいました。
さすがにバルゴア領の未来が不安です。
そんな感じで、頭を使うのが少し苦手な兄ですが、なんとお嫁さんはとんでもなく美人なのです。
それこそ、社交界で出会ってお互いに一目ぼれしたそうなのですが、とてもじゃないけど信じられません。もう華奢で上品でお優しくって!
元は伯爵家の方なのですが、どこからどう見ても本当のお姫様です。
私がそんな兄嫁様に「どうして、こんなむさい兄の元に来てくださったのですか?」と聞いたときも、白い頬をピンク色に染めて「私は、リオ様ほど素敵な方に会ったことがありませんわ」とか言ってくれるような方なのです。
私が素敵な兄嫁様との思い出にひたっていると、叔母様に「こら、シンシア! ぼうっとしない!」と怒られてしまいました。そういえば、夜会に参加中でした。
「シンシア、社交界は戦場なのよ」
「せ、戦場」
私はゴクリと生つばを飲み込みます。
たしか私が大好きな恋愛小説にもそんなことが書いてありました。
ヒロインが夜会でぼんやりしていると、ライバルの令嬢が『あ~ら、ごめんなさぁい』とか言ってワインを頭からぶっかけるのです。
他には、いきなり頬をぶたれて『アンタなんか〇〇様に不釣り合いよ!』とか言われるシーンもありました。
……王都、こわい。
あ、でも、これは小説のお話です。現実と混ぜてはいけません。
私がしっかりしようと頭を左右に振ると、叔母様はクスリと微笑みました。
「大丈夫よ、シンシア。そんなに怖がらなくてもいいわ。だって、ここでのあなたは選ばれる側じゃない。選ぶ側の人間なの」
「は、はぁ……?」
それって私が選んだら誰とでも結婚できるということでしょうか?
そんなまさか……。でも叔母様はウソをつくような方ではないですし。
だったら、例えば、あそこにいるとんでもなく私好みの黒髪の美青年とも結婚できる?
私の視線に気がついたのか、黒髪の美青年が小さく会釈してくれました。瞳がルビーのように美しく、つい見とれてしまいます。でも、その綺麗な顔は疲れ切っていて、目元にはくままでできているような?
なんだか、顔色も悪いです。黒髪美青年は体調が良くないのでしょうか?
『大丈夫ですか?』と声をかけようか悩んでいると、叔母様が私の腕を引っ張りました。
「シンシア、あの方はダメ」
「え? で、でもさっき私は選べる側だって?」
「選べるといっても、婚約者がいる相手はダメよ」
「婚約者……」
それはその通りです。私を連れてその場から離れた叔母様は、小声で説明してくれました。
「あの黒髪の方は、ベイリー公爵令息のテオドール様よ。この国の王女殿下と婚約されているわ」
「王女殿下の婚約者様!」
私ったらとんでもない方に声をかけようとしていたようです。あぶない、あぶない。
「そして、あそこにいらっしゃるのが王女殿下よ」
叔母様の視線の先を追うと、真っ赤な髪の美しい女性がいました。
「あれが王女殿下……」
これぞ本物のお姫様です。
「でも、あれ?」
なぜだか王女殿下の周りに、妙に親しそうな銀髪の青年がいます。王女殿下と銀髪青年は微笑みあい、身体を寄せ合っています。
「叔母様、あの方は?」
私の質問に叔母様は、いやぁな顔をしました。もちろん、洗練された淑女なので、その顔は扇で隠していて私にしか見えていません。
「あれは、テオドール様の弟よ」
「……え? でも、王女殿下とすごく親しそうですよ?」
その間にも、銀髪青年は王女殿下の右頬に口づけをしました。その行動を王女殿下は咎めることもなく、頬を赤く染めています。
それを叔母様は、冷めた瞳で見ていました。
「だから浮気よ、浮気。王女殿下は婚約者のテオドール様より、弟のクルト様のほうを気に入っているの。そのせいで、テオドール様につらく当たっているそうよ」
「は? え? どうして、浮気をした王女殿下がテオドール様につらく当たるのですか?」
まったく意味がわかりません。叔母様も「ほんとにね」とあきれています。
「弟とはいえあんなのに好き勝手やらせるなんて。テオドール様も、二人の父であるベイリー公爵もいったい何を考えているのやら……」
そこで私は、ふと読んでいた恋愛小説を思い出しました。
私が大好きな小説のひとつに『悪役令嬢もの』というジャンルがあります。
元はヒロインをイジメる悪役のことをさす言葉だったのですが、その悪役令嬢が破滅回避のために頑張る物語がとても面白いのです!
そして、今のテオドール様の状況は、『悪役令嬢もの』にそっくり!
あ、でも、テオドール様は、令嬢ではなく令息なので『悪役令息』ですね。
そんなことを考えていると、夜会会場が急に騒がしくなりました。
『何事?』と叔母様と顔を見合わせていると、女性の大声がここまで聞こえてきます。
「テオドール=ベイリー! 今この場で、お前との婚約を破棄するわ!」
え? ま、まさかこのセリフは?
驚く叔母様を残して私は人だかりに向かって走り出しました。普段は履かない高いヒールの靴でも気をつければ走れるものなのですね!
私がそんなことを考えている間にも、有名なセリフが聞こえてきています。
「お前は嫉妬からここにいる弟のクルトを虐待していたそうね!? そのような愚か者はいずれこの国の女王となる私の王配にふさわしくない!」
人だかりをかきわけていくと、テオドールをにらみつける王女殿下とその横で悲しそうな顔をしている浮気相手のクルト様が見えます。
クルト様は王女殿下の腰に手を回しながら「兄上、どうしてこのようなことを……。僕はただ兄上と仲良くしたかっただけなのに」とか言いだしました。
いやいや、この銀髪野郎は、何を言っているのですか?
婚約者の浮気相手と仲良くするなんて、ありえないことでしょうが!?
堂々と浮気しながら、なぜか勝ち誇っている王女殿下とクルト様。その様子を見ていると、部外者の私でも、なんだかいやぁな気分になってきました。
でも、大丈夫です!
だって、悪役令嬢ものはここから反撃に出るのが面白いのです。さぁ、悪役令息テオドール様、顔をあげて存分に言い返してくださいな!
と思っていたのですが、テオドール様はいつまで経っても顔をあげません。
しばらくすると、消え入りそうな小さな声で「……婚約破棄、うけたまわります」と聞こえてきました。
テオドール様に婚約破棄をつきつけていた王女殿下とクルト様は手をとりあって喜んでいます。
「あはは、テオドールが罪を認めたわ! これで私は愛するクルトと一緒になれる! 真実の愛の勝利よ!」
え? え? 王女殿下の発言、やばくないですか?
これって現実? こんなおかしなこと小説の中でしか認められませんよというか、小説の中でも認められていないのに……。
王女殿下は「衛兵、罪人テオドールを捕えよ!」なんて叫んでいます。
いやいや、王女殿下の独断で公爵令息を罪人扱いはダメでしょう!
それなのに、テオドール様は抵抗すらする様子もありません。
私の周りにいる貴族たちも困惑しながらも、その顔にははっきりと『かかわりたくない』と書かれています。
城の衛兵たちも困った顔をしながら、おそるおそるテオドール様に近づいていきます。そうですよね、あなたたちも困りますよね。
いくら待っても、だれも悪役令息にされたテオドール様を助ける人は出てきません。
えっと、こういうときは悪役令嬢ものの小説では、第二王子とか、隣国の王子とか、ちょっとワイルドな辺境伯かまたはその息子とかが、颯爽と現れて助けてくれるのですが……。
早くテオドール様を助けるために、第二王女か、隣国の王女、ちょっとワイルドな女性辺境伯またはその令嬢、出てきてください!
あれ? 辺境伯令嬢って私もそうですね?
いや、ワイルド要素はありませんけど。
そんなことを考えている間中、王女殿下は「何をしているの!? 早くテオドールを捕えなさい!」とヒステリックに叫んでいます。
困りきった衛兵がテオドール様の腕を掴もうとしました。
ああっ、ダメ! こんなめちゃくちゃな命令を聞いて公爵令息に手出ししたら、あとからどんな目に遭わされるか! あなたにも守るべき家族がいるのでしょう!?
仕方がないので、私は人だかりの中から前に出ました。
そして、衛兵の腕を制止します。
「や、やめておいたほうが良いですよ……」
小声でそう伝えると、衛兵はハッとなり顔をあげました。や、やめて、そんな救世主を見るような目でこちらを見ないでください。
王女殿下に「見ない顔ね、お前はだれなの?」と問われたので、私はがんばって練習した淑女の礼をとりました。緊張で足がぷるっぷるしているのはお許しください。
「わ、私はバルゴア辺境……」
「はぁ!? 聞こえないわ!」
ひぃ、王女殿下のお顔がこわすぎです。隣にいるクルト様の顔も、不機嫌を通り越して殺気立つように私をにらみつけています。
あああ、こういう状況で出ていくには、こんなに勇気が必要だったのですね。小説では盛り上がるシーンですが、私には荷が重すぎます。しかも、ここからかっこよく悪役令息を助けるなんて私にはムリ!
そんなとき、聞きなれた声がその場にひびきました。
「その方は、バルゴア辺境伯のご令嬢シンシア様です」
見ると、叔母様が堂々と王女殿下に立ち向かっています。
「バ、バルゴア?」
ザワザワとざわめきが広がっていきます。
「あの、バルゴア領?」
「広大な土地を持ち、この国最強の軍隊を持つあのバルゴアのご令嬢!」
いえいえ、なにか誤解があるようですが、あそこは楽しいことが何もない田舎です。
ずっとうつむいていたテオドール様が顔をあげてこちらを見ました。
その目はうつろで生気がありません。
「だ、大丈夫ですか?」
テオドール様に伸ばした私の腕を、なぜかクルト様が掴みました。
え? 王女殿下のお側にいたはずなのに、いつのまに私の側に?
「バルゴアのご令嬢だったなんて!」
そう言うクルト様の瞳はキラキラと輝いています。
「僕はクルトと申します。なんてお美しい! 王都は初めてですか? ぜひ僕にご案内させてください!」
え、えー?
ついさっきまで、私のことを殺しそうな目で見ていましたけど??
なんなんでしょうか、この気持ち悪い人は……と思ったら、その後ろで王女殿下が恐ろしい顔で私をにらみつけています。
「……クルト、どういうつもりなの?」
「やだなぁアンジェリカ、やきもちかい? 僕が愛しているのはアンジェリカだけだよ」
「本当?」
急に二人の世界に入った王女殿下とクルト様。
私はそのスキに、こそっとテオドール様の袖を引っ張りました。
「テオドール様、今のうちに逃げましょう」
「しかし、それではあなたにまでご迷惑が……。どうか私のことはお気になさらず。私はもう、つかれてしまいました」
儚げにため息をつかれて、私の胸はぎゅっとしめつけられました。
なんなんでしょうか、この気持ちは!
「く、くわしいことはわかりませんが、浮気はダメだって私の母が言っていました。だから、テオドール様が罪人になるのはおかしいです」
テオドール様は、悲しそうにほほえむだけで、この場から動こうとしません。
「あなたにご迷惑をかけるわけにはいきません」
そうなんですけど……あーえっと、小説ではどうしていたかな?
あ、そうそう、私からかっこよく婚約を申し込むんでした。
私は再び淑女の礼を執りました。そして、テオドール様の美しい瞳を見つめます。
「テオドール様、私と婚約してください!」
その言葉に夜会会場は再びざわめきます。
テオドール様の赤い瞳が大きく見開きました。
「ど、して?」
「えっと、あのその……ひ、ひとめぼれです?」
その言葉を聞いたテオドール様が、初めてクスッと笑いました。
そのほほ笑みの破壊力と言ったら! あまりのトキメキに私の心臓が破裂するかと思いました。
「シンシア様は、お優しいのですね」
そう言ったテオドール様は、右手を自身の胸に当てると私を優しく見つめました。
「その婚約、喜んでお受けします」
ワァと歓声があがるとともに、拍手が鳴り響きました。
そんな中「はぁ!? テオドールは私の婚約者なのよ!」と叫ぶ王女殿下の声が聞こえます。
あれ? さっき婚約破棄をつきつけていませんでしたっけ?
ため息をついたテオドール様は、遠慮がちに私の肩に手を置きました。私の耳元ですごく良い声がします。
「少しだけシンシア様にふれることをお許しください」
「は、はいぃい」
私の肩を抱き寄せたテオドール様は、王女殿下を見つめました。
「先ほどもお伝えしましたが、婚約破棄をお受けします。でもそれは、王女殿下の浮気による有責で私に非はありません」
そう言ったテオドール様の手は、かすかに震えていました。
私も震えながらテオドール様の手にふれて、『がんばれ』という気持ちを込めてテオドール様を見つめます。
「あなたの不義理で私はとても苦しみました。あなたの王配になるためだけに、私がどれほど……どれほど、この身を捧げてきたか……」
くやしそうに歯を噛みしめるテオドール様。
「でも、それも今日で終わりです。弟のクルトに私の代わりができるものならやってみてください。私は……」
私の肩を掴むテオドール様の手に、少し力が入りました。
「私は、絶望の淵から引き揚げてくださったシンシア様に、これからのすべてを捧げます」
「兄上、王女殿下に無礼だぞ!」
クルト様の叫びを聞いたテオドール様は、フッと鼻で笑いました。
「あなたたちのことだ。どうせ私を罪人にしたてあげて、仕事だけ押し付けようとでも画策していたのでしょう?」
それも悪役令嬢ものの小説あるあるですよね。もちろん、そんなひどいことは、ゆるされることではありません。
「行きましょう、シンシア様」
「はい!」
なんだか王女殿下とクルト様が叫んでいてさわがしいですけど、もう振り返る必要はありませんね。
夜会会場から出た私とテオドール様を、叔母様が追いかけてきました。
「あ、叔母様! 勝手なことをして、すみませ……」
謝ろうとした私に叔母様はとてもよい笑顔を向けます。
「シンシアったら、すっごいじゃなーい! こんなに優秀な方を婚約者にしちゃうなんて! バルゴア領はこれからさらに栄えるわね」
叔母様は嬉々として私とテオドール様を馬車に詰め込みました。
「私は別の馬車で帰るから、あなたたちは二人でじっくり話し合ってね」
パチンとウィンクする叔母様。
向かい合わせで席に座ると、馬車がゆっくりと動き出します。
真正面から見るテオドール様は、本当に美しいです。うっとりみとれていると「シンシア様」と名前を呼ばれて、私は盛大にビクつきました。
「は、はい」
「改めて、助けてくださりありがとうございます」
「いえ……」
冷静になってみれば、助けるためとはいえ、公爵令息様に婚約を申し込んでしまいました。
「あのえっと、婚約の件どうしましょうか? まず、テオドール様のお父様ベイリー公爵様にご相談したほうが……」
馬車の外に視線を逸らしたテオドール様は、なんだか切ない表情をしています。
「父は私ではなく、クルトが王配にふさわしいと思っていることでしょう」
「え? そうなのですか?」
テオドール様は、こくりとうなずきました。
「私の外見は、厳格だった祖父にそっくりなのです。祖父は父や母につらく当たっていたそうで。なので、私は両親からうとまれて育ちました」
「……はぁ? いやいや、『なので』はおかしいですよ! なんですか、そのありえない理由は!?」
テオドール様は、厳しかったおじいさんと似ているから、両親に嫌われているってことですよね!? 意味がわからないです!
「クルトは、母にそっくりなのです。それで、父も溺愛していて……。何をしてもクルトがほめられ、私はいつも怒られていました」
「そんなの差別を通り越して、虐待じゃないですか!? なんなんですか、ベイリー公爵家は愚か者の集まりですか!?」
テオドール様がクスッと笑ったので、私はあわてて手で口を押さえました。
「す、すみません!」
「いえ、私のために怒ってくださる方がいるなんて……嬉しいです」
そう言ったテオドール様の目じりには、うっすらと涙が浮かんでいます。
「そういうことなら、ベイリー公爵には会わないほうが良いですね!」
「そうしていただけるとありがたいです」
今までテオドール様の味方は、どこにもいなかったのでしょうか?
そう思うと、胸が苦しくて仕方ありません。
「わ、私はテオドール様の嫌がることは決していたしません!」
「シンシア様……」
「あの、えっと、私の住んでいるバルゴア領はとっても田舎で何もないんです。何もないから疲れを癒すのには……いいかも?」
いったい私は何を言っているのでしょうか?
「だから、その、婚約者でなくてもいいので、私と一緒にバルゴアに来ませんか? 今のテオドール様に必要なのは、休息、なような気がします」
どうして私はこんなモゴモゴとしか話せないのでしょうか? もっと堂々と話せる人になりたいです。
ちらりとテオドール様を見ると、優しい笑みを浮かべていました。
「シンシア様、お言葉に甘えます」
「は、はい!」
元気にお返事した私は、嬉しくてどうしようもなく胸がドキドキしています。テオドール様が笑ってくれると、私のつまらなかった世界が美しく輝いて見えます。
私とテオドール様を乗せた馬車は、叔母様の伯爵邸に着きました。
伯爵邸の広大な庭園には、私の護衛たちが野営しています。
「あ、お嬢! おかえりなさい!」
「どうですか? 良い男、捕まえました?」
そんなことを言いながら下品な笑い声をあげています。
や、やめてぇえ! テオドール様の前で田舎者を丸出しにしないでぇえ!
ぽかんと口を開けているテオドール様は、「バルゴアがご息女を守るためだけに、軍隊を率いて王都にやってきたというのは本当だったのか……」とあきれています。
だから、お父様に過保護はやめてって言ったのに!
私はあまりの恥ずかしさにしばらく顔をあげられませんでした。
*
次の日、叔母様の提案で私とテオドール様は、早々にバルゴア領に向かうことになりました。
「ここでグズグズしていると、王家が何か言ってくるかもしれないわ!」
それは大変です。テオドール様にひどいことをされたら嫌ですし、私のせいで叔母様夫婦にご迷惑がかかるのもダメです。
私はテオドール様と護衛たちを連れて、さっさと王都をあとにしました。
遠いバルゴア領に戻るまでに、王都からひと月もかかってしまいます。その間は、宿があればいいのですが、ないことが多いので何度も野宿するしかありません。
体調が悪そうなテオドール様が耐えられるか心配でしたが、私の予想外に、テオドール様は日に日に元気になっていきました。
始めは食欲がないと言っていたのですが、今は、焚火で焼いた魚をもりもりと食べられるようになっています。
夜もよく眠れているようで、目元のくまもすっかり消えてお肌もツルツル。
ただでさえ美青年だったテオドール様が、もはや神々しい存在へと変わっていっています。
それにテオドール様は、私や護衛のような田舎者をバカにすることなく、すごく丁寧に接してくれるのです。
だから、護衛たちはテオドール様をすぐに気に入り「テオドール様、狩りに行きませんか?」とか「釣りに行きましょう!」とか誘うのです。
バカ! テオドール様がそんなことするわけ……。
私の側にいたテオドール様は、すくっと立ち上がりました。
「行きます」
そして、そっと私の手を取り、ほほえみかけてくれます。
「シンシア様のために、必ず食材を手に入れてきます」
どこまでも真面目なテオドール様。
「はい、楽しみにしていますね」
テオドール様の白い頬が赤く染まっています。日焼けしてしまったのでしょうか? 少し心配です。
そうこうしているうちに、私たちはようやくバルゴア領にたどりつきました。
長旅を終えた私たちを、父、母、兄、そして兄のお嫁さんが出迎えてくれます。
「おかえりシンシア!」
私が父、母、兄にぎゅうぎゅうと暑苦しく抱きしめられているあいだ、兄のお嫁さんとテオドール様は顔を見合わせて驚いていました。
兄嫁様が「王女殿下の奴隷」とつぶやくと、テオドール様が「社交界の毒婦」とつぶやきました。
その言葉を聞いた兄嫁様はクスッとほほえみます。
「なつかしい呼び名ですわ」
そして優雅に両手を広げました。
「テオドール様、ようこそ、この世の楽園へ。ここには私たちを苦しめる人は存在しません」
その言葉を聞いたテオドール様は、今にも泣きそうな顔をします。
「でも、安心するのはまだ早いですわ。バルゴアの方々は、恐ろしいほど恋愛ごとに鈍いのです。だから、必死に愛を伝えて、泣いてすがって、頼み込んだ末、私はなんとか結婚してもらえました」
テオドール様は「あなたほどの方が?」と驚いています。
こくりとうなずいた兄嫁様。
「なりふりなどかまっていられませんわ! だって、他の人に取られたくないんですもの! あなただってそうでしょう?」
テオドール様がゆっくりとこちらを振り返りました。
私を見つめるその赤い瞳は、なぜか真剣そのものです。
「たしかに、なりふりかまっていられませんね。私も他の人に取られたくない。絶対に、どんな手を使ってでも落としてみせます」
そう言ったテオドール様は『もうつかれました』と言っていたようなうつろな目をしていません。その赤い瞳は、とても生き生きとしていたので、なんだかよくわかりませんが、私は『テオドール様をバルゴアに連れてきてよかった』と思ったのでした。
その後、バルゴアに王家からの使者が来て「テオドール様を返すように」とか言われましたが、父がうまく対応してくれたそうです。
それから数か月後、テオドール様の元婚約者だった王女殿下と弟のクルト様が、ご結婚したことを聞きました。
でも、王女殿下は今回の婚約破棄騒動の責任を取らされて、王位継承権をはく奪されているので、ベイリー公爵家の嫁に入ることになったそうです。
今まで王女としてわがままに育ち、仕事をすべてテオドール様に押し付けてきたらしい元王女殿下。
ベイリー公爵家に入っても、わがまま放題で周囲を困らせているそうです。
そんな元王女殿下にうんざりしたのかクルト様は、今は有名女優と浮気中だとか。
どうして私がそんなことを知っているのかというと、バルゴアに住むテオドール様に、いろんな方からしょっちゅう手紙が来るからです。
あるときは、元王女殿下から復縁を迫る手紙が。
あるときは、ベイリー公爵から「戻ってこい、今なら許してやる」という手紙が。
私にも叔母様から手紙が来るのですが、そこにはベイリー公爵家がおちぶれたことが書かれていました。優秀なテオドール様がいなくなったことで収入が激減した上、元王女殿下とクルト様の浪費が激しく家が立ち行かなくなっているとか?
由緒ある公爵家を短期間でこんな風にできるなんて、なんだかすごいですね。財力がなくなった公爵家ってどうなってしまうのでしょう?
ベイリー公爵からの手紙を読んでいるテオドール様は、複雑な表情をしています。
「テオドール様、王都に戻りたいのですか?」
手紙から顔をあげたテオドール様は、「戻ってほしいのですか?」と悲しそうに瞳をふせました。
「まさか! ずっとここにいてほしいです!」
そう言ったあとに急に恥ずかしくなった私は、あわてて言い訳をしました。
「あのその、テオドール様が父の仕事を手伝ってくださるから、父も大喜びしていますし、兄も喜んでいます……だからその」
「シンシア様は?」
「え?」
「シンシア様も私がいたら嬉しいですか?」
私は必死にうなずきました。
「もちろんです! テオドール様が来てくださってから、毎日とても楽しくて……」
もしテオドール様が王都に帰ったら、私は泣いてしまうかもしれません。ずっと一緒にいたいと言ったら迷惑がられてしまうでしょうか?
テオドール様の赤い瞳が、私の顔を覗き込んでいます。
「……あと、少しかな? 外堀は埋めたから、なんとか今年中に結婚まで持ち込みたい……」
「テオドール様?」
私の声でテオドール様はハッと我に返ったようです。
「なんでもありませんよ」
そう言ったテオドール様は、輝くような笑みを浮かべるのでした。
おわり
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※小説家になろうにて、兄嫁の連載しています↓
『社交界の毒婦とよばれる私~素敵な辺境伯令息に腕を折られたので、責任とってもらいます~』https://ncode.syosetu.com/n5182ih/
こちらもよければ、よろしくお願いいたします!
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