8章

3/12
前へ
/118ページ
次へ
しばらくそうしていたかったけれど、店のドアが開く音がして、瑠美が僕から手を離した。 「あら、いらっしゃい」 すぐに店のバックヤードから、ママさんが顔を出してくる。僕もついドアの方に顔を向けた。 「おら、お前ら早く来いよ。悪い、三人なんだけどさ」 入ってきたスーツ姿の客を見て、僕は瞠目し、すぐに顔を逸らした。 「ごめんなさいね。今日はこれから貸し切りなの」 たぶん、ママさんなりに気を利かせてくれたのだろうけど、奴にはそんなもの関係なんてない。 「はあ?んだよそれ。俺たち客だぞ?こんなしけた店にわざわざ来てやったってのに」 だいぶ酔った様子で、奴はママさんに言い寄った。 「いや、もういいですよ、勝俣さん。すみません。すぐに出て行きますので」 「お前は黙ってろ!」 奴は大声で連れに怒鳴った。 その威圧的な怒鳴り声。今でも思い出してしまう。どんなに忘れたくても、耳にこだまして消えない。 「別に一杯くらいいいだろうが。よっと」 自分の鞄を無造作に奥のシートに放り投げ、ふらふらと歩き出す。 相当酔っているのか、シートにどかっと座った後、足をテーブルに投げ出してふんぞり返っていた。 「勝俣さん。・・・すみません。本当に」 奴の部下らしき若い二人が、ママさんに平謝りする。 そんな彼らに、ママさんは苦笑いを浮かべて言った。 「まあ、いいわよ。しょうがないから、飲んでって」 申し訳なさそうに頭を下げる若い二人は、辛そうな顔で互いに顔を見合わせた。 「おい。何ぼさっと突っ立ってんだ。お前らもはよ来い」 また、奴の大声が響く。 僕の耳に入ってきて、心臓を激しく揺さぶった。 不愉快な感覚に、僕はその場から動けなくなった。
/118ページ

最初のコメントを投稿しよう!

14人が本棚に入れています
本棚に追加