8章

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ママさんは困ったような笑みを浮かべながら、おしぼりを用意している。 「なあ、こっちに焼酎ボトルで。グラス3つ」 「はいはーい」 相変わらず、奴の声は大きかった。 威圧的で、他者に有無を言わせず、いつどんな時に爆発するかわからない狂った爆弾のような声。 横目に瑠美を見ると、無表情でハイボールに口を付けていた。 「おら、お前らも飲め」 背後でどんなやり取りが行われているか、僕には手に取るように感じ取れる。 おそらく、酔っぱらった赤ら顔の奴は、テーブルに足を乗せて、ソファーにふんぞり返っているのだろう。 奴の今の玩具同然の若い連中は、恐々となっているに違いない。 「お前ら俺に感謝しろよ。俺ぐらいの営業トップなんかがお前らペーペーと同じ酒飲んでやってんだから」 「はい。ありがとうございます」 「声が小せえぞ!本気で感謝してんのか!」 重たい金槌で頭を打ち付けられたような怒鳴り声に、僕は思わず身震いした。 かつての記憶が、濁流のように押し寄せて、胸をざわめかせる。 「だいたいなあ、お前らは感謝が足りてねえんだよ!俺への感謝が!」 若い連中がどんな表情をしているのかわからなかったが、何も言えずに黙りこくるしかない状況は僕にもわかる。むしろ、そこに僕がいるかのような錯覚すら起こしそうだった。 「どうせどこ行ったってクソみたいな仕事しかできねえお前らを、俺がありがたく指導してやってんだぞ?わかってんのか?あ?」 「・・・はい」 「だから声が小せえって言ってんだろ!」 テーブルを足で蹴ったのか、どんと鈍い音と共に、ボトルとグラスがひっくり返る固い音が響いた。 「ちょっと、お客さん」 さすがにママさんも見かねたのか、カウンターから声を上げる。 「そういうのはやめてくれない?他のお客さんもいるし」 「ああ?なんか文句あんのか!」 案の定、奴は食ってかかってくる。 僕は普段の勝俣も恐かったが、酒を飲んで酔った時の勝俣の方が、もっと恐かった。 いつもより目が据わって、何をするのかわからない。それこそ、平気で人を刺し違えるかのような狂気すら帯びていた。 今すぐにでもここから出て行きたくなった。 そう思った矢先、瑠美が立ち上がる。 彼女も避難しようとしたのかと思った僕は、いつものように余裕がなくなっていたんだと思う。 「ねえねえ」 瑠美は、理不尽を前に逃げ出したり、見て見ぬふりをする人間ではない。篠原兄妹の一件で、十分わかっていたはずだった。 自分のグラスを持って、瑠美は勝俣の方に向かう。 「あ?なんだ?」 勝俣が瑠美を睨みつけている様を、背後で感じる。 そんな奴に、瑠美はどんな顔を浮かべているのか、わからない。 「とりあえず落ち着いて、私と乾杯でもしようよ」 いつもの明るい口調だった。 思わず僕は、背後を見る。ママさんも、目を丸くしていた。 「・・・なんだよ。急に」 「ううん、別に。若い子が一緒にお兄さんたちと飲みたいと思っただけ」 そして自然な動きで、勝俣の隣に瑠美が座る。 あまりに唐突であり得ない状況に、僕は唖然となった。 「ああ、そう?まあ、いいけど」 一気に毒気を抜かれたように、勝俣は姿勢を正して焼酎のボトルを元に戻した。 「じゃあ、乾杯」 「おう」 瑠美は僕に向けてくるよりも柔和な笑顔を勝俣に向ける。勝俣は戸惑いながらも、まんざらでない様子だった。 これ以上見ていると、勝俣にバレるという考えと、この奇妙な状況に嫌悪感が湧いてきて、僕はまたカウンターに正面を向いた。
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