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「何か飲む?」
残りのハイボールを一気に飲み干すと、ママさんがすぐに声をかけてきた。
「焼酎のロックを」
今はできるだけ強い酒が飲みたかった。
この胸の内に湧き出てくる不愉快な気持ちを、少しでもアルコールで紛らわすために。
ママさんは同情的な目で僕を見た後、グラスに塊の氷を一つ入れて、芋焼酎を並々と注いだ。
「こんな湿気た店に若い子がいるなんてなあ」
その間も、勝俣の声が僕の耳に嫌でも響いてくる。
「そんなこと言わないでよー。このお店、私は好きだし」
「えー?もっと若い子が行くような店とかあんだろ?」
瑠美が混ざってから気分を良くした勝俣は、その後もゲラゲラと笑いながら、酒を煽っていた。
「君、学生さん?」
「はい。この間まで就活してました」
「おーおー。そうかそうか」
勝俣と瑠美が2人で盛り上がっている間、連れの若者たちはずっと黙りこくっている。
彼らが今どんな心境なのか、わかる気がする。
瑠美が来たことで勝俣の機嫌がなんとか良くなってほっとしているのと、早くこの地獄のような時間から逃れたいという思いがせめぎ合っているのだろう。少なくとも僕がその場にいたらそうなる。
「そちらのお兄さんたちは、新入社員さん?」
そんなところに瑠美が彼らに声をかける。
勝俣に気づかれないよう、僅かに背後を振り向くと、若者たちは苦笑いしながら頷いた。
その二人を見て、勝俣の表情が一瞬険しくなった。
「聞いてくれよ、姉ちゃん」
そしてヘラヘラと笑いながら、グラスを持った手で二人を指差す。
「今日俺がなんでこんなところにいると思う?こいつらの尻ぬぐいするために、取引先に頭下げて契約ぶんどってきたの。こいつらが使えない所為で、ボスたる俺が貴重な時間を使う羽目になったんだ。なのにこいつらと来たら、感謝もまともにできねえ」
勝俣は焼酎を飲み干すと、グラスをテーブルに叩きつけるように置いた。
「おめえら、わかってんのか?人の貴重な時間をあんなちんけな契約のために浪費させたんだぞ?おめえらと違って俺は部長なの?わかる?部長の時間を使うってことがどういうことか」
二人の若者は俯いてしまった。それが癪に障ったのか、勝俣はさらに激昂する。
「なんか言えや!そんなだからてめえらはうちの部の恥なんだよ!どこ行っても、何をやらせても使い物にならねえ!人の仕事増やすしか能がねえ!おめえらは人間の・・・」
「まあまあ、落ち着きなよ。あっ、別のお酒注文します?」
すぐに沸騰してがなり続ける勝俣を、瑠美は慣れた様子で宥め、空になった焼酎のボトルを振って、立ち上がる。
「ママさん、あれどこ行ったかな?」
瑠美が一旦カウンターの方に入っていくと、勝俣は舌打ちしながら、またふんぞり返った。
「ったく能無し共が。おめえらは疫病神だよ。てめえらが来てから何もかもめちゃくちゃだ」
それからずっと、勝俣は彼らがいかに無能なのか、どれだけ自分が世話をしてやっているのか、べらべらと捲し立てていく。
それは僕がかつて、奴の下で散々言われてきたこととほぼ同じだった。
奴は、あれから何も変わっていない。勇樹の死は、奴を何も変えなかった。
わかっていたつもりだったけれど、ここでその事実をはっきりと突きつけられる。その苦痛が、僕の心臓から腸まで煮えたぎらせた。
「はっきり言っとくぞ。俺がおめえらの上司ってことはだ。俺が殺生与奪を握ってるってことだ」
その言葉が聞こえたとき、僕の中の爆弾のピンが抜けたような気がした。
「おめえらが今後どうなるかなんてな。俺がどうとでもできんだよ。おめえらは黙って俺に従うしかねえんだ。それができねえなら、おめえらなんていくらでも処分できんだよ」
恐怖はあった。それに今の僕の生活のことも頭に過った。
でも、人には我慢の限界がある。どんな人間にも、どうしようもなく耐えがたい物事がある。
勝俣は、僕に恐怖と理性を超えさせた。
僕は立ち上がり、勝俣の据わっている席をじっと見つめた。
それに気づいた勝俣が僕の方を見る。
この時、僕は改めて奴の顔を久々に拝んだ。何も変わっていない、恐怖と憎悪の対象であった、あの頃のままの顔がそこにあった。
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