Smi

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「おはようございます、朝ですよ」  朝の陽光と優しい彼女の声に目を覚ますと、僕の全身は地面にあって、服に砂が大量に付着していた。寝ぼけ眼を擦ってもまだ夢見心地で、昨日の出来事は夢だったのではないかと勘繰ったが吸殻と目が合ったので、きっと現実だろうと思えた。 「すみません、結構飲んでしまって……」 「大丈夫ですよ。楽しかったので」  そう言って微笑む顔で昨日の自分が失礼な事をしていない事が分かって安堵した。立ち上がり、砂を手で払っていく。内太腿、腕、背中と順々に取り除いていく。西野さんも手伝って僕のお腹辺りを払ってくれた。 「……これって」 「あっ……」    Tシャツの胸ポケットに手が当たり、異物感を感じたのか取り出されると『スマイル』が彼女の目に触れた。 「ずっと持ってたんですね」 「……いつか使う時が来るかもしれないと思うと、どうしても手放せなくて。呪いみたいな物ですよ。本当に、情けない」  沈黙が僕達の間に漂った。次に言葉を吐き出せば僕達の何かが跡形もなく壊れる気がして、喉に引っかかって何も紡げなかった。 「その呪い、私も背負いますよ」 「……え?」 「ふん!」  次に瞬きを終えた時、彼女の細く白い指先で『スマイル』は二つに分かれていた。彼女はコートのポケットに割れた片方を入れると、雑にもう片方を僕に投げ渡した。 「私、もうこの街を離れるんです。だからその薬を合言葉にしましょう」 「合言葉?」 「いつか私達が何処かで出会った時に見せ合いましょうよ。そしてまだスマイルを飲んで無かったのかって馬鹿にして、笑うんです」  そう言って西野さんは煙草に火をつけた。  本当は彼女の連絡先を聞きたかったし、この暴挙を咎めたりする為の言葉を言えば良かったのに、きっとこの不器用な優しさが彼女なりの別れの言葉なのだと思うと、あらゆる考えは一瞬で霧散した。だから僕は、ただ微笑んだ。 「……ありがとう」 「どういたしまして。優柔不断の臆病者さん」  棘のある言葉に反して、本当に嬉しそうに唇を綻ばせている顔がやっぱり綺麗だった。ふと西野さんは何かを思いついたのか目を見開き、僕の耳元に唇を寄せる。 「スミです。私の下の名前の一部」 「……何で一部だけなんですか?」 「次に会った時に答え合わせしたいからです。ちなみに服用したら絶対に教えませんからね。……私の名前があなたの呪いになったら、あなたがスマイルを飲まなかった理由に、きっとなれるから」  もう一度僕達が出会えるかは分からない。  この世界に置いていかれた僕達はきっとこれからも不幸な出来事を経験して、世間の隅で泣き叫ぶだけなのかもしれない。  でも、これだけは嘘じゃない。  西暦20XX年2月5日。僕達は確かに幸福だった。
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