淵底の駿馬

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 その若い馬にとって二歳の年は、村はずれの草地に繋がれた昼と、狭い(うまや)で過ごす夜の繰り返しで過ぎていった。  年が明けて三歳になると手強い癇性(かんしょう)は収まってきたのだが、今度は生来の賢さが人に従うことを拒むようになった。地馬喰(じばくろう)もこの鹿毛の若馬の調教を持て余し、どうにもしようがないと匙を投げた。  なんとか鞍を掛け、馬鋤(からすき)を付けて形ばかりを整えてもまずその若馬は田に入らない。押して引いて田に下ろしても、鋤を引く気になろうともしない。挙句の果てには(くつわ)を取ろうとした飼い主の息子の手に噛みついて、指が数本、取れるか取れないかの騒ぎまで引き起こした。 「あの馬をどこかに売ってしまって下さい」  妻から毎夜膝詰めで談判され、飼い主も次第にその気持ちになってきた頃のことだった。  その地域一帯は、今度はひどい旱魃(かんばつ)に見舞われた。  四月まではこれまで通りの天候だったので、田植えが済んでしまってからの日照りだった。  一向に雨が降らない。山から下る水はいつもより大幅に少なく、人が飲むだけで枯れてしまう。  山津波の後に新たに(ひら)いた田畑の作物が(しお)れ、枯れて、土がひび割れる。それは周辺の村々も同じことだった。急ぎそれぞれの村長(むらおさ)たちが集り、皆で雨乞いの儀式を行うことが決められた。  三日後には山のどこかからか擦り切れた衣服の男が下りてきて雨乞いの儀式の手はずを整えた。村長たちはその男のことを八振(はふ)りと呼んだ。  八振りが纏う着物は古い麻布で、元は真白な生地だったところに消えないがいくつも貼り付き、奇妙な模様を作っていた。  八振りがどこから来たのかは村の誰も知らなかった。  昔から雨乞いをする時は、儀式を執り行う八振りと呼ばれる者が村の外からやって来て、儀式の間だけ村の中に留まるのが決まり事だった。  八振りが歓待されることはない。神に呪術を掛けて雨を降らせる存在は、むしろ忌まわしいものとして村人がその姿を目に入れることさえ厭われた。 「(にえ)とする馬一頭、男二人、白木の角樽(つのだる)を用意してくださいませ」  誰とも目を合わさず地に額を擦りつけながら、八振りはそう言った。山津波があった村の村長は、周辺から助けられた恩義があったので(にえ)の調達を申し出た。贄に選ばれたのは村の誰もが持てあましていたあの鹿毛の若馬だった。   村人一同が遠巻きに見送る中、八振りは鹿毛の若馬の手綱を引いて、村の男二人は角樽を手に提げて、弁天様の奥宮まで歩き始めた。若馬は何を思ったか一度後ろを振り返り、弁天様のお堂に向けて一声高く(いなな)いた。  若馬を連れた八振り達一行の姿が木々の影に見えなくなってしばらくすると、空に雲が湧き始めた。高く白い雲ではなく、低く黒い雲だった。 「もう竜神さまが降りてこられたか」 「どうぞ雨をお恵み下さい」  ざわざわと風が木立を震わせて、手を擦り合わせて祈る村人は雨への期待を高まらせた。  やがて角樽を持っていた村の男二人が手に何も持たずに戻ってきた。奥宮の祠の裏にある湧き水を湛える淵の脇で、これから先は禁忌の呪術だと先に返されたのだという。 「ぜったいに後ろを振り返らずに、転んでもなりません、走ってもなりません、声を出してもなりません。元のところにお戻りください」  そんな八振りの言葉に従って、この境内にまで戻ってきたのだという。その説明が終わらぬうちに大きな雷鳴が辺りに響き、大粒の雨が落ちてきた。  乾いた土に次々と吸い込まれていく雨粒は、すぐに本降りの雨となった。 「雨乞いが届いたぞ」 「助かった、見ろ、水が田に満ちていく」  喜ぶ声に陰りがあるのは、村人の脳裡にまだあの山津波の記憶が新しいからだった。 「もう少し」 「いやこれくらいで」 「竜神さまはお怒りにならないだろうか」  村人たちはずぶ濡れになりながら弁天様の境内から村の田畑を見下ろした。  その背後から八振りがどこか呆然とした表情で現れた。雨に濡れてはいるがその身に新たな汚れはなく、白木の角樽も持って行った時と変わりがない。村の長は八振りの気配を知ると彼の者に背を向けたままで告げた。 「雨乞いは叶った。礼を言う。報酬はおまえが寝泊まりしていた場所に既に置いてある。早々にこの村から立ちされ」  八振りは慌てて地面に這いつくばり、何度も何度も頭を下げた。雨乞いが実らなければ八振りは自身の命で神を呼ばわった罪を(あがな)わなければならない決まりだった。命を繋げた安堵からか、八振りは転がるようにその場から走り去った。  雨は一晩降り続き、田畑を、山を潤した。これから苗を植え直せば秋の収穫には何とか間に合うだろう。  村人たちは弁天様とその御使いの龍神に心からの感謝の祈りを捧げた。  ※  ——実のところ、その八振りの話によると雨乞いの儀式の途中で馬が逃げ出してしまったのだそうです。  気性の荒いあの若馬が、見知らぬ者に手綱を預けて大人しく歩いていたことがまずあり得ないこと。あの馬は賢く周りの様子を探っていたのです。自分が自由になるその時を、じっと窺っていたのです。  奥宮の祠の裏にある湧き水を湛える淵の脇で、八振りは付き添いの者達を帰しました。一人であの鹿毛の若馬の手綱を引いていたのです。  その隙を鹿毛の若馬は見逃しませんでした。八振りは雨乞いの呪文を唱えながら淵の水で白木の角樽を洗いました。角樽の準備ができるとおもむろに立ち上がって白木の鞘を抜いて小刀の刃を若馬の首にあてました。  ひと息に馬の首を掻き切って、吹き出る血潮を角樽に受ける手筈だったそうでございます。  けれどその時、八振りの両手は小刀を握り、手綱は馬から外れていました。それは絶好の好機だったのです。馬は瞬時に身を捩り、跳ね上がりました。空を掻く前肢が八振りの手から小刀を弾き飛ばし、後ろ脚のひと跳ねで馬は淵の中へと飛び込みました。  旱魃続きで浅い淵の底に馬の蹄が当たります。馬は淵底を蹴って水面に躍り上がり、水しぶきを撒き散らしながら山の中に走っていって、  やがてその姿は深い森の中に見えなくなったそうでございます。
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