淵底の駿馬

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 私が田崎様にお勧めする馬は(おす)の四歳馬でございます。  四歳馬と申しましては九月の馬市に出すのが通例のこと、今年もあと二月(ふたつき)後には様々な土地で馬市が開かれるでしょう。羽代の近くでも確か市が立つのではございませぬか。至る所で馬喰どもは上を下への祭り騒ぎでございます。  けれどこの牡の若駒は馬市には出せません。実は既に死んだ馬なのでございます。  いえ、商うからにはちゃんと生きております、ご安心を。お役人への届け出がそうなってしまっているのです。生きているのに死んでいる馬、表ではけして商うことができない馬でございます。私が預かりましたので、当然そのような訳ありの馬なのでございます。  ではいったいなぜそんなことになってしまったのか、これからその理由をお話しましょう——  ※  その馬が生まれたのは信州の山間にある小さな村だった。母馬となる牝馬(めすうま)はその村の一つの家で野良仕事や作物の運搬のために飼われていた。白茶斑の毛並みを持った大人しく人の云うことを良く聞く馬で、飼い主は十分に飼葉をやり、体を磨いて、大事に大事に世話をしていた。  村には他にも馬が何頭かいたが、田を起こしたいから、薪を運びたいから、水を運びたいから貸してくれと頼まれるのは、決まってその牝馬だった。村の祭りの日には鈴や色布で飾られて、行列の先頭を歩くのもその牝馬だった。  村の誰からも可愛がられて幾年か過ぎたその頃から、飼い主はこの馬の仔馬を取ろうと思うようになった。これほど働く馬ならばその子もきっと良い馬になるだろう。村の皆も賛同した。気立ての良い牝馬に似合いの良い種馬をつけてやろう、そのための銭も皆で出そう、そうして村に馬喰が呼ばれた。  その村の辺りを回る地馬喰(じばくろう)は心当たりがあると請け負った。 「山向こうに、やはり良く働く煤灰色の牡馬がいて、牽く力は丸太五本は軽々と、一日がかりで山から里へ荷を運ばせても翌日には嫌がらずに土を鋤く。これまでにも何頭もの牝馬に種をつけていて、それぞれ良い仔馬を生ませている」  村の長も牝馬の飼い主もこの話にはすぐ乗った。今年の田植えが終わって馬を充分休ませた頃合いで、馬喰はその牡馬を連れてくると請け負った。 「ただ黒河藩のお殿様が参勤に出るらしい、もしかしたら宿場にお(やく)で駆り出されるかも分からない。そうだとしても役が終わり次第にこちらの村に連れてこよう」  馬喰の懸念はあたって、呼ぶはずだった牡馬は田植えの最中に黒河藩の参勤の荷役に出され、街道の宿場町へと連れていかれた。そこでどんな使われ方をしたものか、故郷の村に戻る手前でその牡馬は泡を吹きばったりと道に倒れた。そしてそのままその場で死んでしまった。 「ギバにあてられたか」  呼ばれて駆け付けた牡馬の飼い主は、涙を流して悲しんだ。 「正月に猿回しを呼んで(うまや)祈禱(きとう)もしていたし、大津の腹掛けもしっかり掛けさせていたのに」  ギバは頽馬(たいば)ともいい、馬に祟る化け物である。  小さな女が小さな馬に跨った姿で現れるギバは、つむじ風に乗って働き盛りの牡馬を襲う。ギバに襲われた馬は為す術なくその場で命を奪われてしまう。  ギバの祟りを避けるには、猿が御幣(ごへい)を振り回す厩猿(うまやざる)の祈祷や、大津の神社が授与する腹掛けが効くとされている。だから馬を飼う者達は、そんな祈祷やまじないを決められた時季に欠かさず、必ず、行っていた。  死んでしまった牡馬の飼い主はそれだけでなく、村の辻に立てられた馬頭観音(ばとうかんのん)の石仏に供え物をし、自分の馬が無事に帰ることを毎日朝夕、祈っていた。それほどその牡馬を大事にしていたのである。  だが大名行列の荷役に呼ばれた牡馬は、ギバ除けの大津の腹掛けを外されて黒河藩主岩尾家の紋が染められた腹掛けを付けていた。外された大津の腹掛けは戻されないまま、そうして村への帰途でギバに当てられてしまったのである。  飼い主に替えの馬の代金が払われるわけでもない。役が終わった馬はすでに村に返された、と見なされている。重い馬の死体を運んで山の中の村に帰れる筈もなく、牡馬の飼い主は近くの村に死体の始末をたのんで愛馬のたてがみをひと房切り取り、懐の奥に大事にしまった。 「せめてこのたてがみだけでもうちの村の馬頭観音様の下に埋めてやろう」 ※ ——数日後、この話を聞いた地馬喰が新たな馬の斡旋(あっせん)を打診したのですが、牡馬の飼い主はしばらく考えさせてくれ、と断ったのだということでございます。  牡馬が死んでしまえば牝馬が孕むはずもない? 左様でございます。このお話にはまだ続きがございます。
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