『小さい人間ノート』Ⅰ

3/4
前へ
/82ページ
次へ
 「ごめんね、付き合わせちゃって」  廊下を出たところで、ピノは申し訳なさそうに言った。  「ううん、全然大丈夫」  私はそう返した。むしろ、クラスの人気者であるピノと二人きりで歩けるのは、正直言ってうれしい。  あと、授業中に廊下を歩くのって、なかなか楽しい。背徳感というのか、小学生の私にはよくわからないけれど。  「そういえば最近、校庭の隅でなんか工事してるよね」  廊下を歩きながらピノが言った。  「ああ、確かに」  ちょうど横に現れた窓から外を眺めると、確かに校庭の隅五平方メートルほどが塀に覆われていて、そこで工事が行われている。  「なんか、この間あそこで猪山先生見たんだけど」  ピノがそんな告白をした。  「え?」  「わからないけど、あの工事に猪山先生がかかわってるのかな」  「あの人、いつも怪しいし、悪いこと企んでそうな顔してるよね」  私が率直な感想を述べると、ピノはくすりと笑った。  そんなことを話しながら教室へ歩いていると、ピノが不意にしゃがみこんだ。  靴紐が緩んでしまったらしい。  彼女は靴紐を結ぶのに苦戦しながら、申し訳なさそうな顔で私を見上げる。  「教室からリコーダー持ってきてくれない? たぶん、私の机の中にあると思う」  「うん、いいよ」  私は廊下にしゃがみこむピノを置いて、ひとり教室に入った。ピノの机の前に立って、中を覗き込む。  そして予想外の事態に直面した。  数秒後、ピノが教室に入ってきた。  「あ、ありがとう、千歳」  「いや、その——」  「ん?」  その場に立ち尽くす私を訝し気に見ながら、ピノは机の中を見た。私も、あらためて中を確認する。   机の中には何もない。  だった。  「他に、リコーダーを置いた場所に心当たりはある?」  「いや、絶対机の中だって」そう言ってから、ピノは私を見て笑った。「……ちょっと千歳、驚かさないでよ」  私がリコーダーを隠し持っていると思ったのだろう。  でも、私が潔白を示すように両手を挙げると、その顔に笑顔はなくなった。  「隠してないよ、ほら」  「え、じゃあ、私が見ないうちに、誰かに盗まれたってこと?」  「とりあえず、ほかの場所も探してみないと」  こうして教室の中で、ピノの失くなったリコーダーの捜索をしたわけだけど、案の定彼女のリコーダーはどこにも見当たらなかった。  私たちは仕方なく音楽室に戻って、ピノのリコーダーがなくなった旨をみんなに伝えた。  みんなもその場でそれぞれバッグの中を確認したけれど、ピノのリコーダーを持っている人は名乗りでなかった。  結局、ピノはその日リコーダーのテストを受けることができなかった。  
/82ページ

最初のコメントを投稿しよう!

17人が本棚に入れています
本棚に追加