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小野ユウイチは、山道を進んだ先にそびえたつ独総院の建物にいつも通り圧倒されながら、その門をくぐった。
独総院、数年前にできたばかりの、この国では珍しい私立の小学校だ。
表向きでは子供の創造力を育むために作られたとされているが、それが全くのはったりであるということをユウイチは知っている。
この学校が作られたのは、他でもない我が国のスパイとして使う人材を集めるためだ。
スパイの素質があると判断されたものは、役人の手によってスパイ養成学校に連れていかれる。
児童たちはそんなことなど露知らず、近くにある寮で寝泊まりをしている。
この学校にはもともと三十人ほどの児童がいたらしいが、今では半分ほどに減っているという噂だ。
いくら戦争の最中にあるこの状況とはいえ、未来があるはずの子供までも武器として利用しようとする政府の暴挙は、もはや国民が許容できない域にまで達している。
しかし、いまだこの国では国家に抵抗する目立った動きは見られていない。国民は我が国の勝利のために、目の前で起きている出来事には目を向けようとしない。
傍観者だ。
無論、ユウイチ自身もその中の一人である。
ユウイチはあくまで、ただこの独総院で働くしがない事務員だ。
いまユウイチが任せられているのは、一か月前からクラスで飼育している小さい人間を、毎朝小屋から連れ出すという作業だ。
一か月間たったこれだけの作業を続けるだけでかなりのお金をもらえたので、これほど都合のいい仕事はないと有頂天でいたが、その仕事も今日で終わりを迎える。
小さい人間が、今日クラスの児童たちによって解体され、食べられるのだ。
「小さい人間も、高級食材だからなぁ……」
独り言を言いながら小屋にたどり着くと、ユウイチはポケットからカギを取り出した。
ふと腕時計に目を向ける。
時刻は六時三十分。
いつもは手持ちの専用のカギで開けられるようになる、毎朝五時にはここに着いていたのだが、最終日の今日に限って予期せぬ車の故障に見舞われ、気付けばこんな時間になってしまった。
これでは気持ちよく仕事納めができない。
雇い主である猪山という奇妙な出で立ちの教師の顔を思い浮かべながら、ユウイチはカギを手に小屋の扉に近づいた。
「……あれ?」
そこでユウイチは異変に気付いた。
しっかりと施錠されていたはずの木製の扉が、あろうことかわずかに手前へ開いていたのだ。
低予算で作られたという扉の表面に目を向けると、ドアノブの上部分が無残に破壊されているのが分かった。
足元を見ると、金属の破片が転がっている。
これは、たぶんドアのラッチだ。
ラッチの一つが破壊されている。
ラッチは二つあって、一つは平日の朝五時から夕方五時にかけて自動的にかけられる、小さい人間を感知する、もしくはこの専用のカギを使えば開錠されるもの。
もう一つは休日の間と、もしくは平日の夕方五時から朝五時にかけて自動的にかけられる、小さい人間を感知することでのみ開錠されるもの。
破壊されていたのは、前者、つまりこの時間作動しているはずのラッチだった。
当然、錠は全く機能しておらず、カギを使わずともいとも簡単に扉を開けることができた。
ユウイチは頭の中で考える。
何者かにラッチを破壊された。それも朝五時から夕方五時に作動するものだから、破壊されたのは今朝五時から現在までの二時間だ。
「……いったい何があったんだ?」
全身に悪寒が走る。
とてつもなく嫌な予感がした。
車が故障して遅刻したと思ったら、その隙に何者かに扉を壊されていた。それも、仕事最終日に限って。
ユウイチは固唾を飲んでから、徐に扉を開いた。
湿っぽい、コンクリートむき出しの小屋。ひどく肌寒い。中は暗い。
いつもなら扉を開ければ、待ちかねたように小さい人間がこちらに向かって走ってくるはずだ。
物音一つない。
まさか、いないのか?
いや、そんなはずは——
べちゃり。
足元で嫌な感触がした。その感触が、不安を確信へと追いやった。
足元を見る。
コンクリートにどろりと赤い液体が流れていた。奥の床に何かが光っている。
そのとき、センサーが動きを感知したのか、ライトが点灯し部屋を明るく照らした。
「う、うわあああああ!」
鮮明になった視界の先、向かい側の壁にもたれかかった状態で、小さい人間が死んでいた。
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