『選別』Ⅱ

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 二日ぶりの教室に足を踏み入れると、いつの間にかアルミ製の机は取っ払われ、前までの木製の机に戻っていた。休日に猪山がやったのだろうか。  当の猪山は、姿を現さない。  「私たち、どうなっちゃうんだろうね」  ピノが不安げな表情で私に言った。その顔は疲れ切っていて、明らかにドスルが来る前よりもやつれていた。  「変にでしゃばることがなければ、殺されないと思う」  私が機械を通して言うと、ピノの顔色が変わった。  「え……じゃあ、ヌーボーくんとかミルクちゃんは、でしゃばったの? ネコヤマちゃんは何か悪いことした? ジョウくんだって、ドスルが死んだショックで癇癪を起こしただけでしょう? それなのに、なんで——」  ピノは机に顔を伏せて啜り泣いた。  私は心優しい少女を前にして、何も言うことができなかった。  確かに、ヌーボーやミルクはでしゃばってなんかいない。ニンジンの話が事実なのだとすれば、単にスパイの素質があると判断されたから、政府に連れ去られたのだ。  「ドスルを殺した犯人を見つけて事件を解決すれば、彼らを弔える」そのとき、ふいに声がした。顔を上げると、ロジンが私の前に立っている。「千歳くん、君にお願いがあるんだ」  「何?」  「君に、ジョウの代わりを務めてほしい」  「……ジョウの代わり」つまり、ロジンの助手をやれ、ということか。「なんで私が?」  「君は常に中立的な立場にいるだろう。だから、君の存在は捜査に支障をきたさない」  「……」  理由はよく分からなかったが、何となく私は頷いた。  ロジンはそれを確認すると、教卓の前まで歩く。  「ちょっといいかい? 改めてみんなのアリバイを確認したい」誰も文句を言う者はいなかった。「今朝、五時から六時半までの間にアリバイがある人はいるかい? ちなみに僕は寮に一人でいたから、アリバイはない」  私もロジンの隣に立ち、教室を見渡した。いつもなら、ジョウの立ち位置だった。  数十秒間が過ぎたが、手を挙げるものはいなかった。当然といえば当然、校外で誰かと接触することは禁じられているし、そもそも五時から六時半ならば、だいたいの人がベッドにいる時間だ。  「アリバイなんてあるわけねえよ……」  ドッジが力なく言った。  「そうだね。アリバイがある人はいなさそうだ」ロジンは割り切った。「じゃあ話を変えようか。ドスルがなぜ殺されたのか、だけど——」  ロジンはチョークを手に取ると、黒板に綺麗な長方形を書いた。現場となった小屋を上から見た図だろう。  「……本当に、死んじゃったのカ」  「残念だね」  沈黙の中、ロケットヘッドとマスクの嘆きが聞こえる。  そこでロジンが図を書き終えて、前に向き直った。  黒板には縦長の長方形、上の辺に接するように書かれている丸は、死体を示しているらしい。そして、包丁の破片が落ちていた位置にはバツが書かれている。  「現場はこんな感じだ。ドスルは顔をズタズタにされ、胸から臍にかけて皮膚を深く切り裂かれていた。傷は全身にあったな。犯人がどの順番で手をかけたかは分からないが、この惨状からして、とにかくドスルに深い恨みがあったと考えられる。誰か、犯人に心当たりは——」  「私たちにドスルを殺す動機はないでしょ」ロジンを遮ったのはアミだ。「ジョウも言ってたじゃない」  「もともとドスルは今日殺される予定だったってな」  ドッジがアミに続く。  「そう」アミがロジンをまっすぐ見た。「だから、私たちの中に犯人はいないんじゃないの?」  「……なるほどね。確かに、君の言う通りだと思う」ロジンは優しさをふんだんに含んだ笑みを見せる。「なら、君は誰が犯人だと思うんだい」  「だから、私たちとは全く関係ない人なんじゃないの。酔っ払いとか」  「……だとしたら、これが説明できないんだ。さっきも同じことを言ったけど」ロジンはポケットから刃を取り出した。「実はさっき、調理室を確認してきたんだ。確かに包丁がひとつ減っていたよ。これは調理室から盗まれたものと考えていいだろうね。つまるところ、犯人は独総院の人間なんだ。そして、独総院の中でドスルと関わりがあったのは、」  「……は?」  「え?」  「何だって」  ロジンの言わんとしていることが理解できたのか、児童は目を丸くして声を漏らした。  「つ、つまりロジンくんは、犯人は私たちの中にいるって言いたいの……?」  目を腫らしたピノが震える声で訊く。  「さあね」ロジンは仄かな笑みを消した。「まあ、僕らにドスルを殺す動機がないように見えるのは事実だ。だから、もっと深く考える必要がある」  ……。  誰も言葉を発さなかった。  耳を刺すような沈黙。  聞こえない悲鳴が空気を揺らしている。  二分ほどが過ぎたとき、すっと誰かの手が挙がった。ニンジンだった。文字通り人参のように細い腕が教室の中で揺れる。  「ニンジンくん、どうしたんだい」  ロジンがそれに応じる。  「ボ、ボク、アリバイあります」ニンジンはそう言うと、伸びた腕で私を指した。「ボクは昨日の夜からずっと、千歳さんと一緒にいました」  「なんで、それ——」  私が慌てて機械に入力するが、みんなのざわめきがそれを遮った。  「は? なんでニンジンが千歳と?」  「どういうこと?」  「アリバイがあるって?」  「それは、本当かい?」  ロジンの声が脳裏を素通りする。  私の頭の中で、あのときの記憶が蘇る。           
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