『小さい人間ノート』Ⅰ

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 事態は収束することはなく、つまりピノのリコーダーはなおも見つかることがなく、その日の六時間目に、学級委員のドッジとミルクの判断で学活が学級会議となったわけだ。  「議題は、ピノさんのリコーダーはどこにいったのか、です」  丸眼鏡にショートカットのミルクが、丁寧に黒板に字を書きながら、早口に言った。  普段は口数が少なく目立たないが、こういう場で場を取り仕切るのがうまい。  隅に移動された教卓では、猪山が薄目で児童をじろじろと見ている。  ピノは暗い顔で俯いて、ピンクのスカートをぎゅっと握りしめていた。  「誰かが間違えて持ち帰ったんじゃないですか」  短髪のジョウが手を挙げて言った。  学級で二番目に頭がよく真面目、典型的な秀才だ。  「でも、朝にはあったの」  ピノが振り絞るように言った。  「リコーダーはどこにしまってたんだ」  教壇に立つドッジが、でかい声で訊く。  「机の中、だけど」  「じゃあ、分かった!」すぐにドッジは得意げに人差し指を立てた。「ピノのリコーダーは、机の中から転がり落ちたんだ。それで、床に落ちたリコーダーを、誰かが自分のものと間違えて拾って、音楽室に行ったんだ!」  「でもさっき、みんなバッグの中確認したよね」  ミルクがドッジの横で反論する。  「そのときはきっと、勇気がなくて言い出せなかったんだろ」  「なるほど!」  「さすがドッジ!」  「天才!」  誇らしげにほほ笑むドッジに、次々と称賛の声が上がる。  ドッジは私たちに指を向けて、高らかに声を上げた。  「じゃあいま、犯人には名乗り出てもらおうか。別に、オレたちは怒らない——」  「——ありえない」  皆がドッジに賛同する中で、そう声を上げたのはロジンだった。  秀才であるジョウを抑えて、学級トップの成績を誇る優等生。  頭もよければルックスもいい完璧な男子で、女子はみな彼に思いを寄せているらしい。 ちなみに、二番手のジョウは、いつもロジンの助手的な立ち位置にいる。  「なんでそう思うんだよ」  ドッジが敵意むき出しに訊くと、ロジンは冷静沈着に答えた。  「誰も、ピノくんのリコーダーを、自分のものと間違うはずがないからだよ」  「はあ?」  「なぜかといえば、クラスの中でピノくんのリコーダーだけが、木製のものだからさ。自分とは違う形状のリコーダーを、間違えるはずがない」  「あ、確かに」  ドッジはあっけなくロジンの言い分を認めた。  私も、リコーダーを吹くピノの姿を思い出した。 みんなは学校から配給されたリコーダーを使っているが、ピノだけは木製のリコーダーを使っていた。遠く離れた場所で暮らす、最愛の姉からプレゼントでもらったものだということを、前に聞いたことがある。  「確かに、ロジンの言うとおりだわ」  ロジンに首ったけらしいネコヤマが、早速合いの手を入れた。  彼女はいつも自分勝手で、利己主義の権化みたいな人だから、私ははっきり言って嫌い。 「なら、結局どういうことになるのよ」  強気な姿勢でアミが訊く。  アミはいつも強気で、ネコヤマと違って思いやりもある人だ。いつもクラスのリーダー的立ち位置にいる。  「考えられるのはひとつ」ロジンは、細長い人差し指を立てた。「過失ではなく、誰かが故意にリコーダーを盗んだ」  「なにそれ、きもっ!」  そんな罵声があちこちから上がる。  罵詈雑言が飛び交い、教卓で猪山が実に愉快そうに笑ったのが見えた。  喧噪の中、私はひそかにロジンの推理に感心していた。  確かに、ピノは誰もが惚れてしまう美貌を持っていて、実際かなりモテている。  そんな彼女に恋慕する人が、出来心からリコーダーを盗んでしまう、という事態は十分に考えられる。  「——ってことは、犯人はじゃない?」  そのとき、ネコヤマの声が、ひときわ響いて聞こえた。  数秒の沈黙ののち、「そうじゃん!」「そうだよ、きっと!」などとがうなずく。  私もみんなにつられて、ニンジンの方を向いた。  当のニンジンは、周りの視線に気づいていないかのようなすまし顔で、自分の机を眺めている。  ニンジン、むろん他に本名はちゃんとあるのだけれど、そのやせ細って弱弱しい体からみんなにそう呼ばれている。  彼は無口でそのうえ挙動不審なところがあり、そのせいで本当はやばいやつなんじゃないか、とか、A国のスパイなんじゃないか、とか、そんな流言飛語が飛び交っている。  「どうなのよ、ニンジン。あなたが盗んだの?」  アミが眉をひそめて訊いた。  その返答を皆が待つ中、ニンジンはちらりと俯くピノを見て、次に私(なんで私?)を見てから、  「ぼ、ぼくはやってないよ」  と、吃りながら弱弱しく答えた。  「ちょっと待つんだ」そこでロジンが止めに入る。「根拠のない疑いを向けるのはやめないか」  「犯人はわざとリコーダーを盗んだ変態だって言ったのはロジンじゃないか!」ドッジがロジンを指さして叫ぶ。「ならニンジンしかいないだろ」  「くだらない」ロジンは呆れたように首を振った。「そんな戯言を言うのなら、これ以上議論を進める必要はないよ。先生、終わりましょう」  「終わっていいんですか」  猪山は低い声で皆に確認をした。  「ロジンが言うなら……」と、今までニンジンに睨みを利かせていた女子たちは、クラスの絶対的な権力に屈する。男子も仕方なくそれに従った。  「では、本来するはずだった、道徳の授業を始めます」  正直、根拠もなくただ見た目が怪しいという理由だけでニンジンを犯人だと決めつけるこの学校に、道徳観念など教えたところで意味がない。  奇しくも、その日の道徳の授業は『いじめ』がテーマだった。  馬鹿らしい。  やっぱり道徳の授業なんて意味がないんだろうな。
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