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兄に従い
慶長元年(一五六九)、伏見にいた徳川家康の下に書状が届いた。
彼はすぐに腹心の本多佐渡守正信をよんだ。
そして、その書状を広げて渡して寄越した。
(…?)
「三弥からよ…」と家康は捨てるように正信の弟の名を出した。
「…三弥左衛門が!」
それは十年以上前に徳川家を去った、正信の弟の三弥左衛門正重からの書状だった。天正四年(1576)、長篠の戦いの後に彼は家康の下から去っていたのだ。
家康は次に本多忠勝を呼び出した。正重は元々は忠勝の下で働いていたのだ。
家康にもその書状を見せた。
「三弥め。何と分限の見えぬ奴。このような推参を申すとは…」と言って、正信を睨んだ。
睨まれた正信はただ伏して、その鋭い意思を逸らしていた。この二人は同族ながら犬猿の中であり、それを知らぬ徳川家臣はいない。家康も分かっている。
書状の中身は、『徳川家に戻りたい』という内容だった。
実のところ、徳川家を離れた後も本多正重の武名は家康の耳にも届いていた。
家康がその書状に嫌忌したのは、最後に己の名を『山家左衛門』と書いていたからである。
(…あやつめ、しつこいの。まだ根に持っておるか)と呆れ、苦笑い思いをしていたのだ。
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