蛍夜譚(けいやたん/5、蛍)

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蛍夜譚(けいやたん/5、蛍)

「菫、蛍見に行かねぇか?超近場だけど」 「超近場?」 仕事終わり。佐和商店から出た菫と榊は、店の近所にある神社へ向かっていた。 「もしかして、観月池ですか?」 「そ。あの池、蛍もいるんだよ」 辿り着いた池には、無数の蛍が飛び交っていた。淡い光がいくつも灯り、夜更けの無人の水辺は照っている。 「……綺麗ですね」 「だろ?」 菫が、光の軌跡へと手を伸ばす。 「あーー」 呟いた菫の目線を追い、榊も目を見開いた。照る池の真ん中に、誰かが立っている。蛍と同じ色に輝き、着物姿でやたら背が高く美しい。男にも女にも見えた。結った長い黒髪を戦がせながら、目を細めて菫と榊を見つめている。声も出せず、二人はその存在に見入った。その人は細い指先です、と水面をなぞる。途端に、元より綺麗な水の池が更に澄み渡り、きらきらと輝き出した。 「蛍を見るには良い夜だ。気分が良い。この美しさの先も、見せようか?」 涼しげな声が、二人に尋ねる。菫は水面を覗き込む。夜の水面なのに、そこには見たことも無い美しい滝と滝壺、青い花々が映し出されていた。青い花はゆっくりと滝壺へ散り、蛍となってまた地上を照らす。光が消えた場所にまた青い花が咲いている。それを、繰り返しているようだった。美しい。 (綺麗……) 菫ははい、と答えようとして、榊に腕を引かれた。 「いや。この景色で十分です」 「そうか」 榊の答えに穏やかに頷くと、美しい人は景色に滲むように消えた。残ったのは、菫と榊、蛍たちだけ。 「菫。俺が分かるか?」 「はい。……見たい、って言ったらダメなのは分かるんですけど。それでもやっぱり、少し惜しい気がします。悪い存在では無さそうでしたから」 菫はいつもの姿に戻った池を見やる。榊は溜息をついた。 「神様にしろ、この土地の主にしろ。人間の理とは違うとこにいる存在なことに違いねぇから、やべーっちゃやべーだろ。分かってるけどさ、菫ってすげー頼もしいけど、すげー危ういよな」 「何ですか、それ」 菫は振り向いて、榊を見る。榊も菫へ目をやった。淡い光に囲まれた互いの姿が、酷く儚いものに見える。二人は目を奪われてしまい、寸の間黙ってしまう。先に動いたのは、榊。 「ま、菫が何に魅入られても、俺の方向かせりゃ良いだけだな。何回でも」 菫の顎をくいと持ち上げ、その目を覗き込む。舞う光が差す瞳の美しさは、どんな世界よりも榊を魅入らせる。榊はにやっと笑った。 「物足りねぇか?俺じゃ。俺はもう菫に魅入られてんだけど」 「……よくそんなことさらっと言えますね」 「俺も必死なんだよ。菫のことじゃ、余裕無くなっちまう」 笑みを消して切なげに歪む榊の表情に、菫の瞳が揺れる。 (こんな顔初めて見た。綺麗……吸い込まれそう) じっと榊の瞳を見つめた後、菫は息を吐き出した。 「晃さんを置いて何処にも行きませんよ。そんなことになったら不可抗力なので。迎えに来てください。いつもみたいに。私は晃さんのものです」 「知ってる」 いつもの調子で笑ったかと思うと、榊は菫の唇を塞いだ。驚き、目を閉じて受け入れる菫に、榊が囁く。 「目、開けといてくれ。綺麗だから、見てたい」 言葉を待たず、榊は瑞々しい夜気を菫へと注ぐように再び口付けた。恥ずかしさで赤くなった菫の目元も、恍惚とした榊の輝きも、蛍たちだけが知ることとなったのである。
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