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今年の春、兄ちゃんの親父さんが他界した。それがきっかけだったのかどうかは知らないけど、兄ちゃんはこちらに帰省し、この田舎にケーキ屋をオープンさせると言い出している。
俺より五つ年上の妹さんが子育ての傍ら店の手伝いをするという話になっているみたいで、うちの両親が保険金で店を建てるのかしら、なんて下世話な話に花を咲かせていた。
例えばそうだったとしても、妹さんも離婚したとかなんとかで若くしてシングルマザーだし、そこに親父さんまで他界したとなれば兄ちゃんが大黒柱となって頑張るしかないんだから、人の家庭のことを他人がどうこう言っていいとはとても思えない。
「蘭真くん、そういえばまだ結婚してないみたいね」
夕食を食べながらそんなことを言った母に俺はドキッとした。
そういえば隣にキャリーバッグを連れてはいたが女性を連れていなかった。もう三十一歳なんだ。結婚していてもおかしくないのに。
「嵐、覚えてる? 蘭真くん。桜が生まれて忙しい時期に、よくあんたの面倒見てくれたのよ。本当にいい子だったわ」
世話になっていたのは俺というより母親だったみたいだ。妹は「誰、蘭真?」と不思議そうに聞く。
「高島さんとこの長男よ」
「知らない。でもケーキ屋さんか~♪ どの辺に建てるんだろ!」
確かに。どの辺に建てるのだろうか。絶対に買いに行く。
自室に戻り、ベッドへダイブした。
兄ちゃん、久しぶりに見たけどやっぱりカッコよかった。思ってるほどおっさんじゃなくて、胸板も腕もガッチリしていて男らしかった。色黒でおしゃれな髭も生えてた。
「俺も髭、伸ばしてみよっかな」
短く剃っている自分の髭を触って、俺はそっと目を閉じた。
会えなくなって十三年。兄ちゃんはきっと幼稚園児との約束なんかとっくに忘れているだろうし、兄ちゃんが上京して俺が毎日泣いていたことなんて知るわけない。そして今もしつこく兄ちゃんに片想いしてるなんて絶対に知るわけないんだ。
幼い頃に兄ちゃんのことをそんな目で見ていたわけじゃないけど、月日が経つにつれて兄ちゃんとの思い出は美化される一方だった。夏になる度思い出して、冬になる度悲しくなった。
あの水色のゼリーが恋しくて、兄ちゃんの笑顔が愛おしくて、あの優しい声をまた聞きたいと思ってしまうんだ。
「蘭真……くんか」
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