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己の自我を意識したのはいつ頃だろうか、気が付けばそうなっていた。
決して不快ではない。それが代償だというなら不本意どころかサービス精神に溢れてすらいるだろう。
なにせ死んだはずの俺が死の淵にあった娘を未だに見守っているのだから。
全く身に覚えの無い話なのだが、俺はタクシーで移動中に事故死したのだそうだ。
そして、俺の生命保険に元々共働きだった妻の稼ぎもあって娘が経済的に困窮していないとも知ることが出来た。
正直それだけでも有り難い話だ。もう思い残すことはない。
が、運命はそのままの安寧を許さなかった。娘が拉致されたのだ。
犯人が何者なのかもまだわからない。男女混合、誰もが目出し帽を被り一見ではわからないが、よくよく見れば自分たちがなにをしでかしたのかも理解しているとは思えない、娘と大差ない年頃の若者たちばかりだ。
行き先は俺も訪れなかった【カルドロン】最深部のビルのひとつ。こういった拉致や犯罪の拠点になるとして社会実験特区の廃止を求める人々もいるが、実際に体験する羽目になるとは。
この身体、つまり娘は未だに意識を取り戻さない。このままではどうなるかわかったものではない。金が目的か。性的暴行か。なんにしたところでロクでもない未来が待ち受けているのは確かだ。ならばどうするべきか。
答えは簡単だ。
「ぶちのめしてやる」
その思いは奇しくも娘の口を突いて出ていたらしい。
腕は縛られているが足は自由だ。ぎょっとした見張り役ふたりのうちのひとりを蹴り飛ばすと、それはもう面白いほどに吹き飛んで窓ガラスに突き刺さった。
その結果に対する反応を待つまでもなくふたりめが手を伸ばし、それよりさらに速く返した足が蹴り飛ばし、そいつは壁に激突してそれきり動かない。
「あら、お元気そうでなによりです」
不意に響いた声には聞き覚えがあった。
「薬局の……」
いつの間にか現れた女。ワンレンの長い黒髪に丸眼鏡、安っぽい喪服のような黒ずくめに銜え煙草の姿は最後に会ったときとまったく変わっていない。
「娘さんもすっかりご立派になられて」
俺の娘がこの女を知っているはずがないのに驚いた様子もない。それにこの口ぶり、気付いているのか。いや、こうなると知っていたのか? 娘が拉致される可能性があるとも。あるいはこの女こそが主犯という可能性もある。
「俺がどうしてこうなってるのか知ってそうだな」
明らかに警戒した声色の俺に対して女はゆるりと紫煙を吐き出して笑みを浮かべる。
「もちろん。いつかこうなる可能性があるとも存じておりました。情報工作はしておいたのですが……秘密というものは存在すれば不思議とどこかから漏れてしまうものですので。申し訳ございません」
言葉ばかりで悪気の無さそうな態度に少し苛立ちを覚えるが脇に置いておく。
「それで、なにが起きてんだ。どうして俺が娘のなかにいる?」
「それは単に私があなたを娘さんのなかに入れたからですね」
「入れたって……どうやって、なんのために?」
女はため息のように大きく紫煙を吐き出した。それはふたりの間にひろがり視界をさえぎる。
「医食同源、という思想をご存知でらっしゃるかしら」
「……なぜ、今そんな話が出てくる」
「全身を癌に侵され余命いくばくもない。そんな人間を救う方法があるとしたらどんなものだと思われます?」
「そんな、方法って……いや、まさか」
「ちなみに人柄はヒトのガラから、人格は脳ではなく骨から採るんですよ。さて……もうお分かりですね?」
紫煙の向こうで狂気に染まった笑みを浮かべる女はまさしく。
「……魔女め」
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