薬局の魔女

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 復興企業都市智会市の第十四区画、社会実験特区である通称【カルドロン】は、その一区画が丸ごと高い壁で囲まれた、いわば公的無法地帯である。  区画内に行政は無く、故に司法も立法も無い。  法は常にその地域を仕切る何者か、あるいは自警団(ヴィジランテ)が各々でルールを取り決め執行する。  そんな弱肉強食が支配する無法の一角にひとつの小さな薬局があった。  廃墟同然の雑居ビルの並びに紛れた店の入り口は開け放たれた一枚の引き戸。その奥にある狭い店内の壁面には所狭しと市販薬が並べられている。  が、その内容はさほど豊富でもない。  解熱、咳、胃痛など用途は一通りそろっているものの種類はせいぜいひとつかふたつ、どれもうっすら埃を被っていて、なかには一昔前のパッケージであろうものさえ並んでいる。いかにも無法地帯と言った風情の品揃えだ。  客足も相応で、今も小さな店内には誰も居ない。  ただひとり、カウンター向こうのひとり掛けソファに沈み込み煙草を嗜む女以外には。  歳は三十路の前後だろうか、ワンレンを辛うじて肩口で背中に追いやった長い黒髪と薄汚れた細い黒縁の丸眼鏡。黒い長袖とロングスカートの上下も喪服のようでいて品のあるものではなく妙に安っぽい、それも着古(きふる)して年季が入っているようだ。  その彼女は商品や帳簿の世話をしているわけでもなく、開けっ放しになっている引き戸を気にするでもなく、ぼんやりと紙巻の市販煙草を吸いつけては紫煙を吐き、根元まで吸い尽くしては未練がましく火種を揉み消して次に火を付ける。  ただそれだけを延々と繰り返している。  ふくよかな乳房、今にも折れそうな細い腰、目を疑うほど長い脚とある意味でコミカルさすらあるスタイルの彼女はただただ溜息のように紫煙を吐き散らかしている。 「すまない、ここが【魔女の薬局】で合ってるか?」  引き戸の敷居を跨ぐや否やそう言ったのはどこにでもいそうなポロシャツにジーンズ姿の中年男性。周囲を必要以上に警戒する眼差しに怯えの色が見え隠れしているのを女は見逃さない。不穏な噂の絶えない未知の土地にいる人間の顔をしている。  区外からの客。  女は気だるげに紫煙を吐き出し、元々眠たげだった目をさらに細め掠れた声で問う。 「もしや、ここでのマナーを誰からも聞いてらっしゃらない?」  はっとした顔で男は慌てて引き戸を閉め、女の前までやってくる。 「ま、魔女さん薬を、くださいな」  恐る恐る口にした言葉と所作から女はそれなりに信用している顧客の誰かがこの男を紹介したのだと理解した。であれば取引をするのもやぶさかではない。 「お話を伺いましょうか。どんなお薬をご所望で?」  男は一瞬ほっとした表情を見せ、すぐに眉間にしわを寄せる。 「娘を助けられる薬が欲しい。もうどれだけ持つかもわからない。ここの薬ならどんな病気でも治せるんだろう?」  救いを求めるような眼差しを受けて女は半笑いで煙草に火を付けた。 「常に、誰でも、いつでも、確実に、ではありませんが、まあ、場合に寄っては。お嬢さんの病状は?」 「癌……それも既に全身に転移していて手の施しようがない。今はもう緩和医療で死を待つだけの状況だ」  差し出された絶望的なカルテの写しに目を通した女は、細い眉をひそめてひと息に三分の一ほども煙草を吸い上げて濃厚な煙を吐いた。 「確かに、現代医学ではどうしようもありませんね」 「どうだ、治せるのか?」 「聞くなら「効く薬はあるか?」にしてくださいません? 私はお医者様ではないんですから」 「あ、ああ、すまない。どうだろう、効く薬は、あるのか?」  突然不満げに片眉を上げた女に慌てて謝罪して神妙に聞き直す。彼女が機嫌を損ねてしまったらなにもかもがご破談だ。しかし幸いにもその一言だけで機嫌を直したらしい彼女は、それでも静かに首を横に振る。 「さすがにここまで酷いと、持ち合わせの薬や店にある材料だけでは難しいですね」 「そんなっ……。なんとか……なんとかならないのか。俺に出来ることならなんでもする!」  男の必死の訴えに目を瞬かせた女はしばし思案を巡らし、吸い尽くした煙草を揉み消して次の煙草に火を付けてと笑みを浮かべた。 「なんでも、とおっしゃいましたか。その言葉に、嘘偽りはございませんね?」  急に前のめりに話し始めた女に不気味なものを感じながらも男は覚悟を決めた顔で頷く。 「ああ、誓って本当だ。俺に出来ることならなんでもする。この命だって差し出して構わない」 「そこまでおっしゃるならよろしいでしょう」  女は唐突に立ち上がってカウンターを抜け出すと、唯一の出入り口である引き戸に鍵を掛けて軽やかに振り返る。 「カウンター奥の扉を開けて向こうにある応接室でしばしお待ちくださいませ。私は少々手配をしてから行きますので」 「……わかった」  ここまでずっと無気力だった女の豹変に不安なものを感じながら男は言われるままにカウンターへ入り、奥の扉を開けてその先へと消える。  その後ろ姿をしっかりと見送ると女は携帯電話を取り出した。 『はろはろお久しぶり! キミからの電話ってことはまた悪だくみかな!?』 「こんにちわ。悪だくみだなんて、いつだって善意の人助けですよ」 『ふーん、まあ主観での解釈だしどうでもいいけどね! それでご用件は!?』 「用立てて欲しいものがふたつ、いえ、みっつほど……」  そう言って手短に用件を伝え快諾を得た彼女は、上機嫌で奥の応接室へと向かうのだった。
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