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明珍氏には朝・昼・夕と食後の薬が処方されている。ご自分で問題なく服薬されることもあるが、認知症の進行により服薬を忘れてしまったり、朝なのに夕の薬を飲んでしまうこともある。親族の方は遠方に住まわれていることと、はっきりとは言わないが明珍氏には関わらないというスタンスでいるため、介護をお願いするのは難しい。そのため、私たち介護職が訪問し、正しく服薬されるのを介助するのである。
「いつもありがとう」
そう言って微笑んでくれる明珍氏は、今は椅子に座って全く動かない。男は私を椅子で殴りつけるのをやめ、肩で息をしながら口の中で何かぶつぶつ言っている。よく聞くと、腹減ったとかなんとか言っているようだった。そして両手を食卓に叩き付けられると、
「メシ出せやジジイ!!」
と、叫んだ。食卓の上に積み上げられた新聞やらチラシやらが振動でバランスを崩し、カサカサと音を立てながら床に落ちてきた。なんとなく目を明珍氏に向けたが、やはり動く気配はない。男は明珍氏の後ろにある冷蔵庫に向かって歩き出した。
そこで男は床に落ちたチラシを踏み、それに足を取られた。つるりと滑ってバランスを崩し、ものの見事に後ろ向けに倒れると、したたかに背中を床に打ちつけたのだ。息ができないようで、床の上でもがいている男を見て、好機が訪れたと私は立ち上がった。この隙に外へ逃げ出し、助けを呼ぶのだ。居間から出ようとドアの方へ向かう途中、私は男の身体を跨いだ。
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