三年前。

1/1
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/10ページ

三年前。

 九月の満月の夜、青竹城の最上階を訪れると神様が願いを叶えてくれる。  そんな都市伝説を目にしたのは高校一年の時だった。病を患い入院生活を送っていた私は暇潰しに色々なウェブサイトを閲覧していた。膨大な量の虚実入り混じった情報を眺める。その中にあった見慣れたお城の名前に目を留めた。青竹城とは私の家から電車で三駅離れたところにあるお城だ。小学校の遠足で訪れた覚えがある。だけどそんな伝説があるなんて知らなかった。  記事を読み進める。天守閣の最上階には神様が祀られており、今でも毎年九月に城の守護を祈念している。一方、何百年も前、時の城主はどうしても困った事態に直面すると神様に助けを求めたらしい。そしてしっかりした城主に対しては神様も応えてくれた。だけど何代目かの城主が怠け者で、事ある毎に神様へ助けを乞うたため、神様は激昂して自分を祀ってある天守閣以外の城の建物を全て燃やしてしまった。再建で藩の財政は傾き、城下町の人々も、お侍さんも、城で働く人達も、残らず大変苦しんだ。城主は心を入れ替え、身を切って人々を助け、お城の再建に知恵を尽くし、数年かけて何とか以前の姿へ戻した。再建が完了するまで、神様を祀ってある天守最上階の社には赴かなかった。神様に合わせる顔が無いから、と。代わりに毎日下の階から手を合わせていたそうだ。そして城の再建をやりきった翌日、ようやく天守を訪れた。供え物をして、床に頭を擦りつけた。すると神様が現れ城主にこう言った。 「今宵は長月の満月。お主の過ちと改心を忘れぬよう、毎年この日に祈祷を執り行え。さすれば青竹城の守護と、神からの施しを授けよう」  そうして毎年九月の満月の日には祈祷が執り行われるようになった。その後、歴代の城主は神様に頼ってはまた怠ける者が出てしまう、と助けを求めなくなった。神様は毎年九月の満月の日、願いを叶えようと待っている。だけど何も叶えず終わる。もしその神様に会えたら願いを叶えてくれるかも。記事はそう締められていた。  バカバカしい、と記事の筆者に心底呆れた。城主が怠けないよう自制したのに、横から勝手に現れて自分の願いを叶えてもらおうなんて厚かましいにも程がある。都市伝説ではなく、ただの泥棒だ。一体、この記事を書いた人間はどれほど面の皮が厚いのか。私には理解出来なかった。ただ、身近なところに伝説が存在すること自体は面白かった。  三ヶ月後に退院してからリハビリも兼ねて青竹城を訪れた。五百円を払って中を見学する。一階では青竹城の歴史年表や武具、農具の展示が行われていた。また、厠や武具庫の場所が示されており、天井の高さなどの説明も書かれていた。小学生の時にも来ているが、ぼんやりと見覚えがある、という程度の記憶しか無い。当時は全く興味が無かったし、説明など碌に読まなかったからだろう。勿体無いとは思うが年齢が一桁だった私と十七歳の私は考え方、捉え方が違って当然だ。過去の私の価値基準を今更とやかく言っても仕方無い。  狭くて急な階段を昇る。二階に出てすぐ目の前に鎧兜が展示されていた。昼間でも凄みを感じる。威嚇の目的でもあるのだろうか。脇には刀が飾られていた。長い名前が付いている。そちらの知識は明るくないが立派な物らしい。鎧の持ち主である城主が使っていたそうだ。人を殺せる道具を持って、人に殺されるかも知れない戦場へ赴くのはどういう気持ちなのか。一方私は何もしなければ死ぬところであったけれども、六時間の手術と三ヶ月の入院を経て生きることが出来た。私は生きたかった。死にたくないし殺したくもない。それは現代を生きる者の価値観だ。鎧を着て刀を持った城主さんとは一生話が噛み合わない。でも、と首を傾げる。もしかしたら彼も殺したくないし死にたくないと思っていたのかも知れない。だけど立場と状況があるから刀と鎧を装備して戦場へ赴いた、その可能性もある。溜息を吐く。いくら考えても答えの出ない疑問。ただ、この鎧の持ち主も、人を殺すのも誰かに殺されるのも平気なわけではなかったのだと良いな、と感じた。  三階には青竹城の歴史に沿った文化の展示がされていた。築城から四百年を迎えるらしい。時代ごとの壺や焼き物、筆絵や手紙が見られた。面白かったのは、何代目かの城主が十七年間書き続けたという日記だ。藩の財政や城主の毎日の仕事について事細かに記されており、当時を知る上で非常に貴重な資料である、と説明書きにあった。真面目で几帳面な人だったのだ。結果、歴史の証人になった。これを書いた城主さんは、神様が怒った後世に城主となったのかな。そうだとすれば、一度城を焼失した失敗からの教訓を何かしら得ているはず。でも、もしもこの城主さんが元来適当な人であったとしたら。怠けたら罰が当たるから、と無理をして十七年間必死に几帳面な仕事をしていたとするならば。ちょっと可哀想だ。私が生まれてから今日まで、やりたくない仕事をずっとやらされているようなもの。入院していた三ヶ月、手術の影響で一ヶ月間点滴と水で過ごし、二ヶ月目は流動食、三ヶ月目にようやく固形食を食べた。形のある物を食べるという当たり前にこなしていた行為がとても苦しくて、気持ち悪くて、凄く嫌だった。あの苦しみを十七年間毎日続けろと言われたら目の前が真っ暗になる。いや、私は生理的反応で、城主さんはどちらかと言えば心理的反応だ。同列に並べて比較するのは間違っているのかな。頭を悩ませながら最後の階段を上った。  そこには金色に装飾された神社が在った。城の中、室内にも関わらず神社が存在している。あまり遭遇しない状況に少し困惑した。面積は二畳敷程、高さは二メートルくらいだろうか。だけど大きさなどどうでも良くなった。装飾の美しさや細かさもさる事ながら、土台となっている木材すら明かりを反射するほど丁寧に手入れされている。それは、此処に神様がいると本当に信じられている、という事実を十分に私へ伝えた。背筋を伸ばして正面に回る。百円玉を投げ入れると乾いた木の音が響いた。二礼二拍手をしてお祈りする。健康で過ごせますように、と心の中で呟いた。目を開ける。一礼をしてゆっくり離れた。こんなに立派な神社があったのに、何故覚えていないのか。小学校の遠足で確かに来たはずなのに、どれだけ集中力が散漫だったのだ。興味が無かった上に友達とお喋りでもしていたのだろう。こんな風に、学べたはずのものをいくつ取り零して来たのかな。勿体無い、と溜息を吐いた。  開け放たれた窓から外を見下ろす。北、西、南、東。順に巡った。同じ街が広がっているけれど、北には城跡の公園、西には中学校、南には博物館と山、東には駅、とそれぞれ異なる風景が現れた。割と趣が異なって見える。公園は煌き、中学校は活発、博物館と山は落ち着き、駅はざわめき。そんな雰囲気を感じた。  城は踏破した。帰ろう。唐突に思い立ちその場を去ることにした。神社に向かい頭を下げ、急な階段を一段ずつ踏み締める。最後に神社を横目で見た。堂々としていた。  あの日から私は一人で積極的に行動するようになった。他人と一緒にいると見落とすものが多いと知った。勿論、誰かと共有する時間も楽しい。一人にして欲しいわけではない。ただ、少しだけ抵抗のあった一人で出掛けるという行為が好きになった。だから翌年の夏には初めて一人で電車を乗り継ぎ祖父母の家を訪れたし、大学に入ってからはアルバイトをして稼いだお金で気ままにあちこちをふらついた。
/10ページ

最初のコメントを投稿しよう!