マイノリティ嫌いのマイノリティ

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とは思ったものの、普通を逸脱した人たちを認めることが世の中の大半の普通らしい。本当か嘘かわからないけれど、クラスのほとんどの人は人権学習の感想文にこう書いていた。 「私たちとは違う人、ではなく同じ人間として生きていると考えるのが大切だと思いました。」 「違うことを個性として認めることが大切だと学んだので、これからそう言う人たちの偏見をなくしていきたいです。」 実際どう思っているのかわからない。けれど、感想文は自由なことを書けと言われている割には模範解答があるのではないかと思う。だから、皆こぞって多様性を認める、個性は一人一人ある大切なものだこら、とか言う文章を多用するわけで。その文章を使うことが普通であるなら、それを理解できない私もまた普通から逸脱した人間なんだろう。でも不思議だ。そう言う人たちは認められない。差別と言われてしまう。ただ、理解できないだけで。同じではない。あっても良いとは思う。でも、理解できない。私の知っている人達と違うから。それは認められない。
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