微熱

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 (とうとうやってしまった‥)  昌枝は窓の外を流れてゆく明るい五月の朝の景色にぼんやりと眼を当てながら、心の中で呟いた。  都心と反対方向に向かう私鉄電車は、通勤通学時間帯のピークを超えた九時半過ぎ、パラパラと人が座っているほどの混み方だ。  余裕で座れる座席に斜めに腰を下ろし窓の外を眺めているうちに、昌枝は放心状態から何か厳粛な気持ちになってくるのを感じた。  (そう、とうとうやったんだ、私は)  毎朝パート勤務に向かうために乗る渋谷方面行き急行ではなく、中央林間行きの普通電車に乗っている私。  朝、駅に着いた時にはそんなこと思いもしなかった。夕べから少し風邪気味で今朝微熱があったので、九時ジャストに駅前のかかりつけの早川クリニックに駆けつけ、それでもしばらく順番待ちをして簡単な診察のあと解熱剤を貰い、遅れたら大変とばかり駅に走り込んだのが九時二十分だった。  いつもより一つ後になるけど、二十五分の急行で一駅、五分で水の口に着く。駅前からまた五分歩けば勤務先のスーパー松越だ。四十分には更衣室に滑り込めるだろう。駅の階段を上がりながら、頭の中でぷつぷつそんな計算をしていた。  ゆっくりと下りてくる女子高校生に気づいたのは、階段の半ばまで来た時だった。明るいグレーのジャケットと、同じ生地の短い、腿の半分が見えるボックスプリーツのスカート。紺色のハイソックスに焦茶のローファー。今時の女子高生を絵に描いたような姿だった。  ではあったが、昌枝は内心ちょっと首を傾げた。あの制服は県立月野高校。月野高校は、たしか中央林間の二つ三つ手前が最寄り駅だったはず。昌枝の家の近所にも何人か月高に通う子がいて、朝のゴミ出しの時など駅に向かう姿をよく見かける。  そう、この雁沼駅から電車に乗って。この時間に月高の子が帰って来るとはどういうことだろう。
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